絵日記・京の散歩

乃木神社に参拝。2018 仲冬(京都)

今日の散歩。

乃木神社に参拝した。

JR「桃山駅」から

10分ほど東進すると「乃木神社」がある。

  「乃木神社」に参拝した。(京都)

先に訪れた

「明治天皇陵」参拝のあとは

「乃木神社」に参拝するのが

私の習慣だ。

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【乃木神社】(のぎじんじゃ)

 創  建:大正五年九月(1916)

 御祭神:
      乃木希典命(のぎまれすけのみこと)
      乃木静子命(のぎしずこのみこと)

 御利益:文武両道・勝負運
       (入試・学業・出世、芸事・スポーツなど)

【乃木希典】(のぎ まれすけ)
 1849年12月25日~1912年9月13日
 日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。
 日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。

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「乃木神社」は

東京赤坂が有名だが

ここ京都の「乃木神社」が

本宮的な神社に相応しいと私は思う。

本殿は春日造り銅板葺(元は檜皮葺)

拝殿は四面解放式入母屋造りで

拝殿の前には

乃木将軍の愛馬が

駆け巡る姿を象った石造が並ぶ。

先ずは

拝殿に向かい本殿に参拝した。

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「乃木神社」は

伏見桃山の山麓に位置し

知名度も低いので

三箇日を過ぎれば参拝者は少ない。

それでも最近では

アイドルグループ(乃木坂46)の聖地として

訪れるフアンが多くなったそうだ。

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「乃木神社」参拝のあと

直ぐ下を通るJR「奈良線」の

複線化工事を見に行った。

JR「奈良線」は

一部(京都~JR藤森ほか)を除き単線だが

この複線化工事で「京都~城陽間」が

複線化されるという。

 ※2022年度完成予定

先月「奈良線」に乗った際

意外に工事が進んでいるのに驚いた。

この箇所も

法面が切り取られ

複線敷が見え始めていた。

この辺りには

工事反対者は少なかったのだろう。

法面上にある

京都橘高校へ至る

高校私道の桜並木が撤去され

電車内から校門や校庭が見えるようになっていた。

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京都橘高校といえば

「吹奏楽部」が

元旦にアメリカで行われた

「ローズパレード」に2度目の出場を果たした。

快挙だろう。

彼女達の

笑顔で元気なパフォーマンスは

見てる此方も笑顔で元気になる。

橘の「吹奏楽部」に憧れて入学し

夢を果たした彼女達が羨ましく思う。

ただ漫然と過ごした

自分の高校時代とオーバー・ラップし

切なくなることもある。

私は一体何をしてたのだろう。

【ローズ・パレード】 (Rose Parade)
 アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナで毎年行なわれるパレード。新年祝賀行事の1つとして、元日(元日が日曜日の年は翌1月2日月曜日)に行なわれるローズボウルの前にパレードする。花で装飾されたフロート車、マーチングバンド、馬などが登場する。
 1890年1月1日に開始され、何十万もの人々が沿道で観覧し、全米でテレビ放送されている。世界中200カ国以上で何百万もの人々が視聴しているとされる。1902年、カレッジフットボールのローズボウルが追加され、パレードの資金集めがより容易になった。
 2011年より公式名称が「ローズ・パレード・プレゼンテッド・バイ・ホンダ」となった。そのためホンダのフロート車が先頭となり、毎年テーマに沿ったフロート車が後続する。

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さて。

寒がりの私には

朝晩の冷え込みが身に堪える。

特に足元が冷たく

我慢できなかったが

ヒートテック(発熱靴下)なる

靴下を試しに買ってみた。

ポカポカとまではいかないが

足元が冷えなく具合が良い。

帰りに何足か

買って帰ろうと思った。

 

 Photo :Lumix TX1

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明治天皇陵・昭憲皇太后陵に参拝。2018 仲冬(京都)

今日の散歩。

「明治天皇陵」と

「昭憲皇太后陵」に参拝した。

JR「桃山駅」から

15分ほど進むと参道の入口がある。

御陵の杜の玉砂利の参道を進むと

朝霧に霞む石段が見えてくる。

23段×10層=230段

かなり急峻な石段だ。

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前回までは

休み々登ったが

今回は一気に登りきった。

これも一万歩散歩の成果だろう。

 「明治天皇陵」と「昭憲皇太后陵」に参拝した。(京都)

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石段を登り切った正面に

「明治天皇陵墓」がある。

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【明治天皇伏見桃山陵】

(めいじてんのう ふしみももやまの みささぎ)

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奥の鳥居まではは

まだ100m程あるが

普段はここまでしか入れない。

正月三箇日は

奥の鳥居まで入ることができるのだが

残念だが今回も参拝に来られなかった。

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墳丘は上円下方墳で

円丘部の高さは約6.3m

かなり大きな御陵墓だ。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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参拝者は少ないので

静かな杜に柏手が響いた。

どの神社仏閣でも

初詣者や観光客が多いが

御陵は参拝者は疎らだった。

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「明治天皇陵」参拝のあとは

東隣の「昭憲皇太后陵」に参拝した。

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「明治天皇陵」から

参道を東へ進むと

23段の石段がある。

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石段を上がると正面に

「昭憲皇太后陵」が見えてくる。

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玉砂利の参道を

80mほど進むと御陵墓だ。

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【昭憲皇太后伏見桃山東陵】

(しょうけんこうたいごう ふしみももやまの ひがしの みささぎ)

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「明治天皇陵」と比べると

女性らしい優しい感じの御陵墓だ。

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墳丘は上円下方墳で

円丘部の高さは

天皇陵より二回りほど小さい。

それでも約4mはあるだろう。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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静かな御陵だ。

御陵の杜の中

車の音も聞こえない。

聞こえるのは

鳥の声だけだった。

  
 Photo :Lumix TX1

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年末散歩。2017 年の瀬(京都)

今日の散歩。

「年末散歩」と銘打って

彼方此方徘徊に出かけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

「竹林の道」を登ると

風に吹かれた笹の葉が

「さやさや」と歌うように鳴っていた。

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かなり少なくなったが

それでも観光客は多い。

外国人には

年の瀬は関係ないようだ。

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「小倉池」には

北方から渡ってきた

「真鴨」の一団が羽を休めていた。

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数えてみると雄が10羽。

10家族居る計算になるのか。

この冬を此所で越冬するのだろう。

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「常寂光寺」を経て

「落柿舎」裏の竹林を通ると

鹿が2頭草を食んでいた。

私は初めて見たが

冬になると「小倉山」から

偶に下りてくるらしい。

しばらく様子を眺めていたが

レンタサイクルで通りかかった

中国人観光客が騒がしくするので

逃げるように居なくなった。

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「清涼寺」に御参りし

嵐電「嵯峨駅」から

チンチン電車に乗った。

嵐電「北野白梅町駅」から

再び徘徊を始めた。

「北野天満宮」は

先週来たときには

参道や「楼門」の飾り付けは

すでに済んでいたが

今日は

「本殿」や「絵馬所」などでも

正月準備が進んでいた。

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来年は「戌年」。

今年も年賀状用に

パクらせて頂いた。

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「本殿」と

「文子天満宮」へ参拝。

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コンビニで休息後

「西大路通」を下り

JR「円町駅」より

「二条駅」へ向かう。

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地下鉄「東山駅」から

所用を済ませ「知恩院」へ寄った。

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「三門」の前には

「除夜の鐘」の案内があった。

これを見ると

年の瀬を実感する。

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ちょうど「三門」前に

シャトルバスが下りてきたので

「御影堂」前まで乗せて頂いた。

平成大修理中の「御影堂」も

年末年始の休工中で静かだ。

「納骨堂」へ

途中買った仏花を供え

御参りを済ませた。

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「黒門」から出ようと

「阿弥陀堂」前を通ると

「寒桜」が満開で美しかった。

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新年の御参りは

初詣の後になるだろう。

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本日の

「年末散歩」は二万歩。

一日一万歩を目標(ノルマ)に

始めた散歩だが

血糖値や血圧も下がり

最近では

下り階段も楽になった。

来年も

積極的(?)に

続けようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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武信神社に参拝。2017 初冬(京都)

今日の散歩。

武信稲荷神社へでかけた。

JR「二条駅」から

「三条通」を10分ほど東進すると

住宅街の中に「武信稲荷神社」がある。

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「武信稲荷神社」(たけのぶいなりじんじゃ)

  創建:貞観元年(859)
 
  御祭神
     宇迦之御魂大神
     (ウガノミタマノオオカミ)
     佐田彦大神
     (サダヒコノオオカミ)
     大宮能売大神
     (オオミヤノメノオオカミ)

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鳥居をくぐり

参道を進むと拝殿がある。

境内は2011年に改修されたが

既に石畳が不陸していた。

この辺りは(壬生)

地下水位が高いので

その影響かも知れない。

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拝殿の奥に本殿がある。

少し狭い境内だ。

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先ずは

鈴を鳴らし

本殿に参拝した。

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本殿の脇に

平安時代末期

「平重盛」が安芸の宮島厳島神社から

苗木を 移したと伝えられている「榎」の大木がある。

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樹齢は約850年。

高さ 23m、胸高幹周り4m。

四方に大きく枝を伸ばし

樹冠は東西22m、南北26m。

京都市天然記念物に指定されている。

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この「榎」には

「坂本龍馬」が「おりょう」に

自分の無事を知らせるため

「龍」という字を彫り残し

その伝言がもとで二人は再会できたという逸話が残る。

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その「龍」の字は

150年を経た現在は

もう見つけることはできないが

二人にあやかって

愛の伝言、縁結び、夫婦円満

「龍馬」にあやかる

必勝、開運、諸願成就などの

絵馬が奉納されていた。

【龍馬とおりょう】
神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていた。その中に 坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が勤王家の医師であったため捕らえられていた。
おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為、神社の大木の上から様子を探ったという。
その後命を狙われ追われる龍馬は身を隠し二人は離れることとなる。おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜していた。そんなおり二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎をふと思い出し訪れた。するとそこには龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったという。
自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。そういう龍馬からの伝言であった。
龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再び出会えたという。

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【武信稲荷神社】(たけのぶいなりじんじゃ)
 平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)、西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創祀された御社であります。
 平安時代の古図には、三条から南の神社付近一帯の広い地域は「この地、藤原氏延命院の地なり」と記されています。延命院とは藤原右大臣が、人々の健康長寿を願って創設した医療施設であり、延命院と勧学院(現千本三条東、西ノ京勧学院町にあった学問所)の守護神としてお祀りした神社であります。
 平安京の大内裏は、今の千本丸太町を中心としたところであり現在の千本通りが朱雀大路にあたり、神社付近は貴族の邸宅や平安京の中央諸官庁があった地域です。
 後世、藤原武信という方がこの御社を厚く信仰し、御神威の発揚につとめたので、武信神社と称されるようになり、創祀以来一千年余にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいます。
 また創祀された藤原良相公が長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名に所縁の神社として知られています。

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今日は

予報より暖かい日だった。

年末のせいか

人も車も速く感じた。

 

 Photo : Lumix TX1

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車折神社に参拝。2017 初冬(京都)

今日の散歩。

車折神社へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど東進すると

三条通に「車折神社」がある。

最寄り駅の

嵐電「車折神社駅」なら1分だ。

一ノ鳥居は

瓦葺き屋根で覆われ

柱には装飾が施されている。

珍しい鳥居だ。

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車折神社(くるまざきじんじゃ)

   創建:不詳
 
 御祭神:清原頼業公
       (きよはら・よりなりこう)

 御神徳:「学業成就・試験合格」
       「商売繁昌・会社隆昌」
       「良縁成就・恋愛成就」

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参道を進むと二ノ鳥居がある。

二ノ鳥居も

瓦葺き屋根で覆われていた。

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二ノ鳥居をくぐると

寄進者名が刻まれた玉垣が

ずらりと並ぶ長い参道がある。

人気のある神社だ。

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三ノ鳥居の先に

拝殿と本殿が見える。

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拝殿前に

朱色の板垣や

桜の古木があるせいか

他の神社とは雰囲気が違って見える。

拝殿は

銅板葺・総檜造で

昭和六三年の新築で比較的新しい。

奥の本殿は

宝暦二年(1752)造営の

入母屋造・銅板葺総檜造だ。

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先ずは

鈴を鳴らし

本殿に参拝した。

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拝殿前には

願い事が成就した方が納められた

お礼の言葉を記した「祈念神石」が

うず高く積まれていた。

長さ3.0×幅1.5×高さ1.0×1/2=2.25m3

石一個は3~5㎝程度だ。

石一個を5cm四方と仮定すると

0.05×0.05×0.05=0.000125m3

2.25÷0.000125=18,000人

2カ所あるので

18,000×2=36,000人

36,000人に御利益があったと言うことになる。

いつから積まれているか不明だが

それにしても多いと思った。

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雰囲気の良い境内で

ベンチでもあれば

のんびりしたいと思った。

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境内には

末社が4社あるが

なかでも有名なのが「芸能神社」だ。

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「芸能神社」は

芸能・芸術の祖神として

「天宇受売命」を祀った神社だ。

芸能や芸術に関わる人達に崇められている。

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本社より末社の方が有名で

車折神社(本社)=芸能神社(末社)と

誤解している人が多いほどだ。

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今では芸能人にとって

パワースポットになっている。

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朱色の板玉垣には

ローカルからメジャーまで

時代劇俳優からアイドルまで

芸能人達の名前で埋め尽くされていた。

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【車折神社】(くるまざきじんじゃ)
 平安時代末期の儒学者、清原頼業公(きよはらよりなり)(一一二二~一一八九)を祀る。
 社伝によれば、後嵯峨天皇(ござが)が、牛車に乗ってこの社前を通ろうとした時、突然牛が動かなくなり、車の轅(ながえ)(引棒)が折れたことから、車折神社と呼ばれるようになったといわれている。昔から学問の向上、商売繁昌、売掛金回収に御利益があるといわれ、社務所で授与された小石に祈願を込め、家に持ち帰り、願いが成就(じょうじゅ)したらお礼の石を1個添えて神前に返納するという慣(ならわし)わしがある。
 境内には、芸能道の祖神といわれる天宇受売命(あまのうずめのみこと)を祀った「芸能神社」があり、古来、芸能上達を祈願する人に厚い崇敬を受けている。また、当社の宮司でもあった富岡鉄斎の「筆塚」がある。毎年5月の第3日曜日に行われる「三船祭」(みふねまつり)では、新緑の嵐山大堰川(おおいがわ)に、御座船(ござぶね)をはじめ、龍頭船、鷁首船、扇流し船などの多くの船を浮かべて、平安時代の優雅な風情を再建する。三船の名称は、白河天皇が、漢詩・和歌・奏楽に長けたものを三隻の船に分乗させたことによる。
京都市

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今日は

気温は低いが

風もなくポカポカ日和だった。

毎日こんな日だったら

いいのにと思った。

 

 Photo : Lumix TX1

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岩屋寺(大石寺)に参拝。2017 初冬(京都)

今日の散歩。

山科の岩屋寺へでかけた。

地下鉄「椥辻駅」から

「新十条通」を30分ほど西進すると

「岩屋寺」がある。

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狭い古道から

長い参道を進むと

山門の石段が見える。

参道はかなり急峻だ。

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山門の前には

モミジ林が広がる。

このモミジ林が

忠臣蔵で有名な

「大石内蔵助良雄」の

山科屋敷跡だ。

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「赤穂城」明け渡しの後

内蔵助はこの地に屋敷を新築し

討入り前の一年有余

家族で隠れ住んだ場所だ。

現在はモミジ林で

庭石か礎石らしきものが点在しているが

当時は屋敷周りは竹林に覆われていたという。

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屋敷跡には

「大石良雄君隠棲旧址」の碑が立っている。

討入り後

邸宅、田畑など一切の財産は

「岩屋寺」に寄進され

「岩屋寺」の下段境内となっている。

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屋敷跡の片隅に

内蔵助の「遺髪塚」がある。

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討ち入り直前

内蔵助から受け取った遺髪を

「寺坂吉右衛門」が持参し

祀ったといわれている。

おなじみの「二つ巴」紋が目をひいた。

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   【遺髪塚碑】
  播州赤穂藩主浅野家の家老
 大石良雄(一六五九~一七〇
 三)は、江戸城内での刃傷沙汰
 で領地召し上げとなったため、
 縁戚で浅野家に仕える新藤源四
 朗の縁故により、新藤の出身地
 である山科に居を構えた。この
 石碑は、大石の遺髪を埋めた塚
 に建て、その隠棲の跡を示すも
 のである。
  建立年 安永四年(1775年)
  建立者 宮部義正・上田正並
  寸 法 高八十八㎝・直径三十四㎝

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石段を上ると

桜に覆われた山門がある。

背後には稲荷山が迫り

石段の方向は

ちょうど「伏見稲荷」だ。

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山門は

簡素な造りで

典型的な山寺だ。

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岩屋寺(いわやじ)

 別称:大石寺

 山号:神遊山金地院(しんゆうざんこんちいん)

 宗派:曹洞宗永平寺派

 本尊:大聖不動明王(だいしょうふどうみょうおう)

 創建:不詳

古くは天台宗に属し

住職は代々尼僧が勤める事になっている。

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先ずは

本堂に上がり

御本尊にお参りした。

御本尊の右隣には

「浅野内匠頭」、「大石内蔵助良雄」

他四十七士と「寺坂吉右衛門」の

位牌が祀られている。

 「大石内蔵助良雄」

  家老 四十五歳

  法名:忠誠院刃空浄剣居士

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「毘沙門堂」には

「浅野内匠頭」と

討ち入り装束をまとった

「大石内蔵助良雄」他四十七士と

「寺坂吉右衛門」の仏像も祀られていた。

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「収納庫」には

大石良雄が使用した文机や

鍵付き貴重品箱などの数々の遺品が保管されていた。

おそらく大石邸にあった物が

此所に遷されたのだろう。

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境内の

大石邸の古材を使って建てられた

茶室(可笑庵)前には

「大石内蔵助」が祀ったという

「大石辨財天」もあり

狭い境内は足の踏み場もないほどだった。

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「忠臣蔵」といえば

映画やドラマの遠い世界だったが

こうして史実を目の当たりにすると

遠い歴史が身近に感じた。

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【岩屋寺】(いわやじ)
 創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で神遊山(しんゆうざん)金地院(こんちいん)と号する。古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助(くらのすけ)の隠棲地として有名で大石寺とも呼ばれる。
 本堂に安置する本尊大聖不動明王は智証ちしょう大師の作とされ、大石良雄の念持仏であったという。また、大石良雄の遺髪塚及び宅址もある。大石良雄は赤穂城明け渡しの後、ここに隠れてひそかに討ち入りの謀(はかりごと)を巡らしたが、事成った後、邸宅、田畑等一切を岩屋寺に寄進した。その後、一時は荒廃したが、嘉永年間(1848~1854)に京都町奉行浅野長祚(ながとし)らの寄付を受けて再興した。
 境内には本堂と明治三十四年(1901)に建立された木像堂があり、浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)公の位牌をはじめ、四十七士の木像や位牌、大石良雄の遺品等が安置されている。12月14日には義士忌(ぎしき)が行われ、「山科義士まつり」で知られる討ち入り当時を再現する行列が訪れる。

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初雪も降り

寒がりの私には

朝晩の冷え込みが身に堪える。

特に足元が冷たくて我慢できない。

ヒートテックなる

靴下でも買おうと思った。

 

 Photo : Lumix TX1

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大石神社に参拝。2017 初冬(京都)

今日の散歩。

山科の大石神社へでかけた。

地下鉄「椥辻駅」から

「新十条通」を30分ほど西進すると

稲荷山の山麓に

「大石神社」がある。

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一の鳥居をくぐり

参道を進むと

二ノ鳥居の先に

立派な拝殿がある。

拝殿脇の

枝垂れ桜(大石桜)が

見事な姿だった。

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拝殿の奥に

「流造」の本殿が見える。

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大石神社(おおいしじんじゃ)
 
御祭神
大石内蔵助良雄公
(おおいしくらのすけよしたかこう)
 大願成就 願掛けの神

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先ずは

鈴を鳴らし

本殿に参拝した。

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この「大石神社」は

赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため

「大石内蔵助良雄公」をご祭神として大石隠棲の地に

京都府知事を会長とする大石神社建設会、山科義士会

また、当時浪曲界の重鎮であった吉田大和之丞 (奈良丸) を

会長とするもの等の団体が組織され

全国の崇敬者により昭和十年創建された。

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ちょうど12月14日の

「義士まつり」も過ぎ

参拝者も少なく

静かな境内だった。

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拝殿の前には

「大石内蔵助良雄公」の銅像もある。

「大石内蔵助」のイメージは

映画やドラマの印象が強いので

この銅像の顔には違和感を感じた。

現実の姿は

こうだったのだろう。

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今日は

「新十条通」の凸凹した歩道が

歩き辛く少々足を痛めた。

30分ほど休息し

隣の「岩屋寺」へ向かった。

 

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花園天皇陵に参拝。2017 初冬(京都)

今日の散歩。

花園天皇陵へでかけた。

地下鉄「東山駅」から

「白川」沿いに10分ほど下り

「華頂道」を東進し

「神宮道」を左折すると

御陵の入り口がある。

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入口は

御陵には珍しい

寺社様式の門だ。

門の瓦や扉には

菊の御紋が刻まれていた。

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門の先には

長い参道が見える。

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参道は

右の「知恩院」の伽藍と

左の「青蓮院門跡」の庭園に挟まれた

山裾に位置している。

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平均勾配は5%超程度だろうか。

石段でも可能だと思うが

おそらくコンクリート舗装の

斜路にした理由があるのだろう。

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「青蓮院門跡」の竹林から

参道を覆う紅葉が

まだ見頃だった。

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参道を150mほど進むと

御陵に到着する。

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御陵墓前の広場は

モミジに覆われていた。

紅葉の見頃の季節は

さぞ美しいことだろう。

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【花園天皇 十樂院上陵】

(はなぞのてんのう じゅうらくいんのうえのみささぎ)

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円丘の御陵墓は

森に埋もれて見えなかった。

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先ずは

ゆるりと参拝した。

 代 数:第95代
 天皇名:花園天皇(はなぞのてんのう)
 御  父:伏見天皇
 御  母:顯親門院藤原季子
 御陵名:十樂院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)
 陵  形:円丘

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鳥居の奥には

菊の御紋が刻まれた

石の門扉がある。

石の門扉は珍しいと思った。

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「花園天皇」は

歌道・学問・書道に優れ、

特に和歌では京極派の主要人物の一人で

「風雅和歌集」の監修を行っている。

読経や念仏を欠かさない信心深い人物であったという。

ちなみに

右京区花園にある

臨済宗妙心寺派大本山「妙心寺」の

開基者は花園法皇(花園天皇)である。

陵墓前の

日陰のモミジが

陽に照らされ美しかった。

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日に日に

朝晩の冷え込みも厳しくなってきた。

寒がりの私には身に堪える。

次回から

自宅を出る時間を

遅くしようと思う。

 

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知恩院に参拝(冬紅葉)2017 初冬(京都)

今日の散歩。

知恩院へでかけた。

地下鉄「東山駅」から

「白川」沿いに10分ほど下り

「知恩院道」を5分ほど東進すると

「知恩院」の「三門」がある。

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「三門」(国宝)は

「徳川秀忠」の寄進により

元和七年(1621)建立された。

高さ24m、入母屋造、本瓦葺き

五間三戸の二重門で

門の上層内部には

釈迦如来像と十六羅漢像が安置され

天井には龍図が描かれている。

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「知恩院」は

浄土宗総本山の寺院で

当家の菩提寺の総本山だ。

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「知恩院」(ちおんいん)
 
 山号:華頂山(かちょうざん)

正式名:華頂山 知恩教院 大谷寺

 宗派:浄土宗総本山

 開基:法然(ほうねん)

 創建:承安五年(1175)

 本尊:法然上人像(本堂)

     阿弥陀如来(阿弥陀堂)

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「三門」には

観光バス駐車場に到着した

中国語や韓国語の大群が向かっていた。

またお決まりの

記念撮影に興じるのだろう。

騒がしさから逃れるように

通用門でもある

「黒門」へ向かった。

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「黒門」(桃山期)では

日本語と英語しか聞こえない。

ほっとする。

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「黒門」を入ると

まだ紅葉が残っていた。

風に舞う紅落に

物寂しさを感じた。

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石段を上ると

参道が赤い絨毯に染まっていた。

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「中門」の

見上げるモミジが

陽に照らされ美しかった。

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「法然上人御堂」前から

「御影堂(本堂)」へ到着した。

国宝「御影堂」は

現在工事中(平成大修理)で

仮設の鉄骨ドームで覆われていた。

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「御影堂」は

寛永十六年(1639)「徳川家光」によって建立。

宗祖法然の像を安置することから

御影堂(みえいどう)と呼ばれている。

仮設ドームの隙間から

真新しい屋根が見えた。

今日は

御参りが目的なので

「方丈」の拝観はまたの日にし

「納骨堂」へ向かった。

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「本堂」の東奥に「納骨堂」がある。

「納骨堂」の前は

美しい「モミジ」が植えられているので

紅葉の名所にもなっている。

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「紅葉」シーズン中は

人が多く御参りどころではないが

「冬紅葉」の今は静かだ。

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持参した

「仏花」と「線香」を供え

ご先祖の霊に御参りをした。

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お参りを終え

石段を下りると

「納骨堂」前の

池の「冬紅葉」が美しかった。

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御参りのあとは

墓地へ向かった。

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石段から見える

「方丈庭園」の紅葉が

まだ美しかった。

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石段を上りきると

「御廟」の門がある。

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門をくぐると

「御廟」の下に

「勢至堂」(せいしどう)がある。

「勢至堂」は

「法然上人」がご終焉を迎えられるまで

お念仏の教えを自ら広められた故地であり

知恩院発祥の地である。

「勢至堂」に御参りし

奥の墓地へ向かった。

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墓地には

歴代「門主」の墓が並んでいる。

奥へ進むと

「濡髪大明神」の前に

「千姫の墓」がある。

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「千姫」は

「徳川秀忠」の長女で

「豊臣秀頼」に嫁ぐが慶長二十年(1615)

大坂夏の陣で豊臣が敗れると大坂城から救出された。

その後千姫は、姫路城主「本多忠政」の嫡男「忠刻」と再婚するが

忠刻の死により江戸へ帰り天樹院と号した。

寛文六年(1666)死去。

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「千姫の墓」のうしろに

「濡髪大明神」(ぬれがみだいみょうじん)がある。

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「濡髪大明神」は

「知恩院」を火災から守る「濡髪童子」が祀られている。

「濡髪」という名前は

「御影堂」辺りに住んでいた狐が

童子に化けていたときに

髪が濡れていたことに由来するという。

「濡髪」が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、

祇園町のきれいどころの信仰を集め

今日では縁結びの神様「濡髪さん」として親しまれている。

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ちょうどお勤めの時間で

後ろに並び御参りさせて頂いた。

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堂内には

現役の「舞妓さん」の

「奉納提灯」が並んでいた。

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墓地背後の

「冬紅葉」が美しかった。

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帰りは

「宝仏殿」裏の石段を上り

「大鐘楼」に寄った。

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「大鐘楼」は

延宝六年(1678)の建立で

「梵鐘」(重文)は寛永十三年(1636)の鋳造である。

この「大鐘楼」で除夜の鐘を突く映像は

年末のTV番組でたびたび流れている。

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高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70tの

「梵鐘」を支える「鐘楼」の

珍しい基礎構造に

しばらく見入った。

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「大鐘楼」周りには

まだ紅葉が残っていた。

日陰のモミジが

陽に照らされ美しかった。

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また正月に

お参りに来ることになるだろう。

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今日は

石段を上がったり降りたりで

歩く歩数が少なかった。

帰りは歩数を稼ぐため

「大鐘楼」から

「八坂神社」を通り抜け

「建仁寺」経由で

京阪「祇園四条駅」から帰宅した。

明日は

「花園天皇陵」に

参拝したいと思う。

 

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三条天皇陵に参拝。2017 初冬(京都)

今日の散歩。

三条天皇陵へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

「西大路通」を25分ほど北上し

金閣寺の前を横切ると

高級住宅街の中に

御陵の入り口がある。

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10段の石段を上がると

白砂利の参道と兼ねた

一般拝所の前に御陵がある。

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【三條天皇 北山陵】

(さんじょうてんのう きたやまのみささぎ)

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狭隘な御陵地だが

円丘の御陵墓は

森に埋もれて見えなかった。

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先ずは

ゆるりと参拝した。

 代  数:第67代
 天皇名:三條天皇(さんじょうてんのう)
 御  父:冷泉天皇
 御  母:贈皇太后超子
 御陵名:北山陵(きたやまのみささぎ)
 陵  形:円丘

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御陵地は

左直上に「大文字山」

周りは高級住宅街だ。

「大文字山」の山麓斜面を盛土し

御陵地が造成されている。

かなり狭い御陵地だ。

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「三條天皇」は

藤原道長(みちなが)の陰謀により

退位されたと言われている。

長和三年(1014)「三条天皇」は眼病を患う。

仙丹の服用直後に視力を失ったといわれる。

道長は天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫った。

更にこの年と翌年、内裏が相次いで焼失。

病状の悪化もあり同五年(1016)「三条天皇」は

皇后娍子の子敦明親王の立太子を条件に

道長の勧めに従い譲位し「後一条天皇」が即位した。

翌寛仁元年(1017)4月に出家し程なく42歳で崩御した。

譲位の際に詠んだとされる歌が小倉百人一首に採られている。

 心にも あらでうき世に ながらへば

     恋しかるべき 夜半の月かな

           三条院(三条天皇)

  ■ 現代語訳 ■
  
  心ならずも、

   このはかない現世で生きながらえていたならば、

    きっと恋しく思い出されるに違いない、

     この夜更けの月が。

「三条天皇」の寂しくてつらい気持ちが伝わってくる歌だ。

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次回は

先延ばしにしていた

「知恩院」に御参りしたいと思う。

 

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