絵日記・京の散歩

石像寺(釘抜地蔵)に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

石像寺(釘抜地蔵)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

20分ほど歩いた「千本通」に

「石像寺」(しゃくぞうじ)がある。

「北野天満宮」から

15分ほどの距離だ。

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「石像寺」 (しゃくぞうじ)

弘法大師(空海)によって弘仁一〇年(819)創建。

 本尊:地蔵菩薩。

 山号:家隆山(かりゅうざん)。

 詳名:家隆山光明遍照院石像寺

 (かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)

 通称:釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)

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「千本通」から

うっかり通り過ぎてしまいそうな

路地の石畳の先に中門があり

その先に小さな境内がある。

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小さな境内には

小さな本堂がある。

すでに多くのお年寄りが

御参りに訪れていた。

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地蔵堂前には

大きな「釘抜きの像」がある。

「石像寺」の本尊は

空海が唐から持ち帰った

石を刻んだとされている地蔵菩薩である。

この地蔵は苦しみを抜き取るということから

苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ

いつしかそれが訛って

「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったと言うことだ。

粋な洒落だ。

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本堂の外壁は

奉納絵馬で埋めつくされている。

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願を掛け

体や心の痛みや苦しみがなくなった人は

「八寸釘」と「釘抜」を貼り付けた絵馬を

奉納する習わしとなっている。

御利益があるようで新しい物も多い。

私が参拝している間も

お百度参りをする青年がいた。

見るからに心を病んでいそうな

30代前半と思しき青年は

回数を数える竹の棒を握りしめ

何かを一心に祈りながら

本堂の周りを回っていた。

彼の願いが叶うことを祈る。

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本堂の裏手には

鎌倉時代につくられた

「石像弥陀三尊像」(重要文化財)がある。

一つの石から掘り出した石仏としては

日本最古のものといわれる石像だ。

さらに奥には

弘法大師が掘ったといわれる井戸や

平安時代に住んでいたとされる

歌人の藤原定家・家隆の墓もある。

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御参りを終え

休息所で一休みした。

休息所は工事中で

現在はテント張りの仮休息所だ。

休息所には

参拝者の為にお茶が置かれ

自由にお茶が飲める様になっている。

隣に座った老婦人が

私にお茶を入れてくれた。

一時間ほど老婦人の話の相手をした。

休息所での

参拝者同士の会話が

ストレス緩和に役立っているのだろう。

境内は

昔懐かしい雰囲気が漂い

穏やかな空気に包まれていた。

ほっとする懐かしい気持ちになった。

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【石像寺(釘抜地蔵)】
 正しくは光明遍照院石像寺(こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)という浄土宗の寺院で「釘抜地蔵」「くぎぬきさん」として親しまれている。
弘法大使(空海)の開基と伝えられ、もと真言宗であったが、重源上人(ちょうげんしょうにん)が中興してから浄土宗となった。
 地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩立像は弘法大師の作と伝えられ、諸々(もろもろ)の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜地蔵(くぬきじぞう)と呼ばれていたが、それがなまって釘抜地蔵となった。 一説には、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる。
 地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)(重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、 中尊の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)は高さ約一.二メートル、元仁元年(一二二四) 伊勢権守(いせごんのかみ)、佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、 翌年、開眼(かいげん)供養した銘がある。
観音堂には行基(ぎょうき)の作と伝えられる観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀っている。
 境内には、弘法大師三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。
また、この地は鎌倉時代初期の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)、家隆(いえたか)が住んだ所ともいわれており、定家らの墓と伝えるものがある。

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今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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北野天満宮に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

北野天満宮へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「今出川通」に

「北野天満宮」(きたのてんまんぐう)がある。

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御祭神
 菅原道真公

全国に約1万2000社ある

天満宮、天神社の総本社だ。

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「一の鳥居」から石畳を進むと

「三の鳥居」の先に「楼門」がある。

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「楼門」は桃山時代の様式で

門の両側には彩色された

随神(ずいしん)の像が置かれている。

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「楼門」上部には

菅原道真公を褒め称える言葉

 『文道大祖 風月本主』
 (ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)

の扁額が掲げられている。

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「楼門」から左に折れ

「絵馬所」前の石畳を進むと

「三光門」(重要文化財)がある。

中門とも呼ばれる「三光門」は

慶長十二年(1607)に豊臣秀頼が

建立したと伝えられている。

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「三光門」の扁額「天満宮」は

「後西天皇」が書かれたものだそうだ。

 ※後西天皇(ごさいてんのう)
  第111代天皇
  在位:承応三年(1655年)~寛文三年(1663年)

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「三光門」をくぐると「本殿」(国宝)がある。

「本殿」前は

現在工事中で

全貌は見えないが

左に「紅梅」

右には「松」が植えられている。

「本殿」とのバランスが美しい。

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先ずは

奥に進み

「本殿」に参拝した。

桃山様式の「本殿」は

慶長十二年(1607)に

秀吉の遺志を受け継ぎ

豊臣秀頼が造営したといわれている。

美しい「本殿」だ。

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参拝を終え

休息所を兼ねている

「絵馬所」で一休みした。

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  【北野天満宮絵馬所】
 北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、慶長十二年(1607)に再建されたもので。その後。元禄十三年(1700)から翌年にかけて大修理が行われている。現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられたものである。
建築当所は、現在の位置より北に、棟を南北に通して建ち、また、屋根も現在は桟瓦葺であるが、当初は木の板で葺いた木賊葺(とくさぶき)であった。
 この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構としてとして貴重である。

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「絵馬所」外壁には

「三十六歌仙」の額絵が掲げられている。

何となく見れば

他の奉納額と同じように

木板に描かれているように見えるが

これは

西陣織で織り込んだものだ。

ここから東は「西陣」の地。

職人の高度な技術の集大成だ。

素晴らしい作品だと思う。

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「絵馬所」内には

多くの奉納額が掲げられているが

西の端の目立たないところに

謎の奉納額がある。

新選組の隊旗「誠」の文字の

モデルになったとも言われる奉納額だ。

現代ではよく見るような書体だが

当時は斬新な書体で

近藤勇が気に入ったのだろう。

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奉納額を眺めた後

「絵馬所」の縁台に座り

参拝者を眺めながら一休みした。

「北野天満宮」と言えば学問の神様。

やはり学生の参拝者が目立って多い。

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「本殿」の北に

牛舎「一願成就のお牛さん」がある。

ここには大勢の中学生が参拝していた。

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「お牛さん」を撫でると

一つだけ願いがかなうと言われる神様だ。

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後ろには

大量の「絵馬」が奉納されている。

殆どが

中学・高校・大学入試だ。

中には

感心なことに

合格後の「お礼絵馬」もある。

若い人達の

エネルギーを感じた。

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【北野天満宮】(きたのてんまんぐう)
 菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。  
 天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大茶会を催した。  
 本殿(国宝)は、豊臣秀頼が、慶長12年(1607)に造営したもので、権現造(ごんげんづくり)の代表的遺構である。また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇筆の勅額「天満宮」を掲げている。
 宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻(国宝)などの貴重な文化財を蔵している。  
 毎年2月25日には梅花祭、10月14日には瑞饋祭(ずいきまつり)が催されるほか、毎月25日の道真公の命日には多くの参拝者で賑う。

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参拝後は

北門近くにある

「文子天満宮」に寄った。

(あやこ てんまんぐう)

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御祭神
 菅原道真公

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境内は

参拝者は少ない。

先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

ゆるりと参拝した。

この神社の本宮は

京都駅前の「渉成園」近くにあるが

「北野天満宮」の発祥神社だ。

私も本宮には度々参拝するが

ここの神社にはあまり参拝したことがない。

「北野天満宮」参拝時には

必ず参拝したいと思った。

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今日は

「金閣寺」まで

「西大路通」を往復し

6,000歩ほど歩いた。

「釘抜地蔵」に御参りして帰ろうと思ったが

「北野天満宮」を覗いてみると

空いていたので寄ってみた。

意外にのんびりでき

楽しかった。

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今日は

日射しは強いが

風も涼しく

心地良い天気だった。

明日は

「釘抜地蔵」に

御参りしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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平野神社に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

平野神社へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「西大路道」に

「平野神社」(ひらのじんじゃ)がある。

「北野天満宮」北門から

2分ほどの距離だ。

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御祭神
 今木皇大神(いまきのすめおおかみ)
                源気新生、活力生成の神
 久度大神(くどのおおかみ)
                台所・食事の神
 古開大神(ふるあきのおおかみ)
                邪気を振り開く平安の神
 比賣大神(ひめのおおかみ)
                生産力の神

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本殿は

国の重要文化財に指定されている。

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鳥居をくぐると

朱色の灯籠が立ち並ぶ

参道の先に神門がある。

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神門をくぐると

桜の木に囲まれた

境内の中央に拝殿がある。

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拝殿では

桜のライトアップ期間には

桜コンサートなども開催されるという。

拝殿の奥が本殿だ。

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本殿は

4殿2棟からなる「平野造」と称される

独特の形式の造りで

荘厳な雰囲気の

美しい神社だ。

神紋も赤い桜紋だ。

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先ずは

拝殿から奥に進み

本殿へ参拝した。

この神社は

古くから桜の社として知られ

魁桜という品種を筆頭に

胡蝶、一葉、寝覚、御衣黄

当社発祥の衣笠など約60種類

400本あまりの桜が境内を埋め尽くす。

花祭の時期は人が多いので

来られるかどうか分からないが

機会があったら見に来たいと思った。

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【平野神社】
 平安遷都に伴って奈良の平城京からこの地に移された神社で、祭紙として、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比買神(ひめのかみ)四神を祀っている。平安時代中期には、伊勢、賀茂(上賀茂、下鴨)、石清水、松尾に次ぐ名社に数えられた。
 桜の名所として名高く、古くから各公家伝来の桜が奉納されたことから、境内には約五十種、約四百本の桜が植えられており、「平野の夜桜」として親しまれている。早咲きの品種は三月中旬、遅咲きの品種は四月二十日ごろに咲くといわれ、約一箇月間花見ができる。
 歴代の朝廷に大変暑く崇敬され、律令の施行細目を定める「延喜式(えんぎしき)」で皇太子御親祭とされたほか、源氏や平氏をはじめ諸子の氏神としても崇められた。
 本殿(重要文化財)は、寛永年間(一六二四〜一六四四)に建築されたもので、春日造(かすがづくり)の四殿を並べ、二殿ずつが「合の間」で連結されており、「平野造」(ひらのづくり)又は「比翼春日造」(ひよくかすがづくり)と呼ばれている。南門は慶安四年(一六五一)に御所の旧門を下賜されたもので、昭和一八年(一九四三)に現在の大鳥居の位置から移築された。
 寛和元年(九八五)四月十日に花山天皇が桜をお手植えされたことにちなみ、毎年四月十日には桜祭りが行われ、多くの人でにぎわう。

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参拝を終え

西門から出ようと

桜並木を歩くと

左手にカバンを持ち

杖を軽くつきながら歩く

老紳士とすれ違った

私もあんな風になりたいと思った。

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今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

来週も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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大将軍八神社に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

大将軍八神社へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた大将軍商店街(妖怪ストリート)に

「大将軍八神社」(だいしょうぐんはちじんじゃ)がある。

「北野天満宮」から5分ほどの場所だ。

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御祭神
 大将軍(方位神としての素戔鳴尊/牛頭天王)
 太歳神(たいさいしん) (天忍穂耳命)
 大陰神(たいおんじん) (市杵嶋姫命)
 歳刑神(さいぎょうしん)(田心媛命)
 歳破神(さいはしん)  (湍津姫命)
 歳殺神(さいせつしん) (天穂日神)
 黄幡神(おうはんじん) (活津彦根神)
 豹尾神(ひょうびしん) (熊野櫲樟日命)

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狭い一条通から

直ぐに楼門がある。

楼門からは

石畳の先に本殿が見える。

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こぢんまりとした境内だ。

鳥居から本殿まで

一直線に石畳が延び

両側に

摂末社と社務所が並ぶ。

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平安遷都時

都の方除け乾(戌亥・北西)の

天門守護として造営されたという。

両側の松の神木と

権現造の本殿のバランスが美しい。

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先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

本殿に参拝した。

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この神社は

他の神社とは

少し雰囲気が違う神社だ。

境内に入り

直ぐに目につくのが

本殿前の「六芒星」だ。

「八卦」(はっけ)が彫られた

八角形の台座に置かれているが

方位を表すなら

4の倍数になるはずだが

なぜ「六芒星」なのだろうか。

謎の神社だ。

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参拝を終え

本殿裏へ廻ると

「六将軍神像」を祀る

方徳殿という建物がある。

ここには

平安時代中期から末期の制作といわれる

木造大将軍神像 80躯(重要文化財)がある。

すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像

束帯姿の像、童子形の像など計80体を数えるという。

まだ見たことがないので

公開日には来たいと思う。

 ※公開日:毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日

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【大将軍八神社】
 当社は、平安建都の際に都城の方除【ほうよけ】守護神として造営されたのが始まりとされ、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社と改められ、更に大将軍八神社となって現在に至っている。
 大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位をつかさどる神である。このため、建築・移動・旅行などに関し、方除け、厄除けの神として世間の崇敬を集め、その時々の権力者達も当社を厚遇したといわれている。
 当社には、平安時代中期から末期にかけての大将軍信仰高潮期に奉製されたと思われる「神像」百余体が所蔵されている。このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて八十体が昭和四七年(1972)に重要文化財に指定された。いずれの像も、独特の表情、装束で異彩を放っており、興味深い。また陰陽道に基づく、古天文歴道資料(府指定文化財)も蔵されている。

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【大将軍八神社畧記】
御創建 人皇第五十代桓武天皇延暦十三年(西暦794)勅願により御創建された。
御祭神 星神大将軍をはじめ、方位八神を奉祀。
御由緒 平安京御造二際し桓武天皇は陰陽道を重く用いられ都を方位の厄災から守護する為内裏裏の北西角の大門に当るこの地に道教の星神を祀る大将軍堂を建立された。
 以来朝野の崇敬を篤く受け全国的に大将軍信仰は広まる事となった。中世応仁の乱後は神社として復興し江戸時代に入ると大将軍はそれ迄の星の大将としての妙見(北極星)信仰から太白星(金星)に移りさらに歴神(八将神)と習合して社名も大将軍八神宮と称した。
 明治の改正では陰陽道等は廃されたため御祭神は素戔嗚尊を主神に御子神八神を祀る神社となった。
 社殿は天文年間の旧建物を昭和の初めに八棟権現造の現社殿に造替した。
 方徳殿に立体曼荼羅様に祀られる大将軍像は道教密教神道の混淆した独特の神像で国の重要文化財に指定されている。 御神徳 大将軍は建築をはじめ人事一般方位に関わる全ての厄災を解除され八方開運にみちびく方除・厄除の御霊験あらたかな神である。
御例祭 十月第三日曜日に神幸祭が斎行され大神輿ずいき神輿等が巡行する。

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さて。

九月に入り

風が北西に変わった。

まだ日射しは強いが

吹く風は涼しかった。

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明日は

平野神社へ

参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)へでかけた。

JR「太秦駅」から

30分ほど歩いた「太子道」に

「木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)」がある。

最寄り駅の京福電鉄(通称:嵐電)「蚕ノ社駅」なら

5分ほどの距離だ。

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鳥居脇にある

大きい石柱には

「木嶋坐天照御魂神社」

(このしまにます あまてる みたまじんじゃ)

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小さい石柱は

「蠶神社」(かいこじんじゃ)となっている。

「由緒書」や

三条通りの鳥居には

「蚕養神社」(こかいじんじゃ)となっているが

これも「こかいじんじゃ」と読むのだろうか。

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この神社は

「木嶋坐天照御魂神社」と

「蚕養神社」を祀る(相殿)神社だ。

沼津にある

浅間・丸子神社(浅間神社・丸子神社)と

同じと思えばわかりやすい。

社名が「木嶋坐天照御魂神社」と長いので

「木嶋神社」(このしまじんじゃ)とか

「蚕の杜」(かいこのやしろ)と呼ばれている。

白木の鳥居をくぐり

石造りの太鼓橋を渡ると

長い石畳の先の森に「拝殿」が見える。

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「拝殿」は瓦葺きで

仏閣の作りのようだ。

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鬼瓦には二葉葵が描かれているが

肉眼では蓮の花と蕾のように見える。

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「拝殿」奥の森の中に

「本殿」がある。

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「本殿」の「提灯」にも

二葉葵が描かれている。

下賀茂神社の紋と同じだそうだ。

これはこの太秦の地を支配していた

秦氏と鴨氏との繋がりから来ているようだ。

下鴨神社の摂社・河合神社の祭神(玉依姫命)は

元は秦氏の祭神で

賀茂氏が秦氏の婿となった関係からということだ。

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先ずは

「木嶋坐天照御魂神社」に参拝した。

 御祭神

 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 大国魂神(おおくにたまのかみ)
 穂々出見命(ほほでみのみこと)
 鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
 瓊々杵尊(ににぎのみこと)

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次に右側の社殿の

「蚕養神社」(蚕ノ社)に参拝。

 御祭神 : 養蚕、織物、染色の祖神

西暦372年。渡来した秦氏が

養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。

その報恩と繁栄を祈るため

養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。

養蚕、織物、染色の守護神だ。

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「蚕養神社」(蚕ノ社)前の石積みに

石碑が埋め込まれている。

それには

『西陣 文化十年 縮縮緬仲間』とある。

    「ちじみ ちりめん なかま」

当時の西陣の縮緬業の組合が

報恩と繁栄を祈るため奉納したものだろう。

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さて。

この神社は

諸説飛び交う

ミステリアスな神社だ。

参拝を済ませ

「本殿」を下がると

左に小さな鳥居がある。

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鳥居をくぐると

温泉場にある足湯場のような浅い池がある。

「元糺の池」(もとただすのいけ)と称される神池だ。

糺には「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味があり

身滌(心身を浄める)の行場となっている。

夏最初の「土用の丑の日」に

この神池に手足を浸すと

諸病にかからぬと云う

俗信仰がある。

昔は

湧き水が池を流れたようだが

現在は枯れ池となっている。

神事を行う「土用の丑の日」には水を入れるという。

幸い週末の雷雨で

水が入った状態を見られラッキーだった。

この神池を

ユダヤ教の教会(シナゴーグ)にある

「禊ぎ池」(ミクバ)と同じだと

考察する研究者も居るようだ。

それはそれとして

神社で参詣者が

手や口を漱ぎ清める

「手水舎」の原形と言えるのではないだろうか。

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「元糺の池」の中に

珍しい形の鳥居がある。

鳥居を3基組み合わせた

「三柱鳥居」(みはしらとりい)だ。

三方から中心の神座を拝することが

できる形式の鳥居で「京都三鳥居」の1つだ。

 「京都三鳥居」
   木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居
   京都御苑の厳島神社の唐破風鳥居
   北野天満宮境内社の伴氏社の石造鳥居

中央の神座は

円錐形に小石を積み

御幣を立てて依代(よりしろ)としたものである。

この鳥居の起源等は詳らかでなく

秦氏の聖地である松尾山(松尾大社)

稲荷山(伏見稲荷大社)の

遥拝方位を表したとする説などがある。

現在のものは

享保年間に修復されたものだが

それ以前の

「北斎漫画」の

「三才鳥居」絵には

木造の鳥居として描かれている。

不思議な鳥居だ。

ユダヤ教の遺物と考察する人もいるが

「由緒書」によれば

景教(キリスト教の一派ネストル教)の

遺物ではないかと伝われている。

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他にも

何かが刻まれている

六角形の石があったり

不思議な井戸があったり。

キリスト教・ユダヤ教・諸説紛々の

謎の神社だ。

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【木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)境内】
(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)(かいこのやしろ)
  この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内 社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。
 「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されてい ることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
 この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・ 機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿 の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」も それにちなんだ社名である。
 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多か ったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」など の文献からうかがい知ることができる。
 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を 取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元 糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居 の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
 例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏季土用の丑の日には、 この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
 市内でも最古に属する当神社は、境内 から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の 姿をよくとどめており、京都発展に大き な役割を果してきた秦氏との関連を含め、 大へん貴重なものとして昭和60年6月 1日に京都市の史跡に指定された。
   推定面積11,131㎡
   京都市

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【木島座天照御魂神社】
 延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神穂々見出命・鵜茅葺不合命・瓊々杵尊)を祀っている。創建年月日は不詳であるが「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたと思われる古社である。天之御中主神を主として奉り、上は天神に至り下は地神に渉り、御魂の総徳を感じて天照御魂神と称し奉り、廣隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる。
 学問の神であり払いの神でもある。
【蚕養神社(蚕ノ社)】 本殿右側の社殿
 雄略天皇の御代(1500年前)秦酒公呉国(今の中国南部)より漢織・呉織を召し秦氏の諸族と供に数多くの絹、綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜るこの地を太秦と称し、推古天皇の御代に至り、その報恩と繁栄を祈るための養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。
 養蚕、織物、染色の守護神である。
【元糺の池】(もとただすのいけ)
境内に「元糺の池」と称する神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う。糺には「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で此の神池は身滌(身に罪や穢のある時に心身を浄める)の行場である。
夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬと云う俗信仰がある。
【三柱鳥居】
 全国唯一の鳥居である。鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することが出来るよう建立されている。創立年月は不詳であるが現在の鳥居は享保年間(約300年前)に修復されたものである。
 一説には景教(キリスト教の一派ネストル教・約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと伝われている。

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参拝を終え

入り口鳥居へ戻ると

鳥居の隅に

「椿丘大明神」と彫られた石柱がある。

「由緒書」もない謎の神社だ。

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入り口の駒狐は

左は巻物、右は珠をくわえている。

稲荷神社だ。

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太鼓橋を渡り

鳥居をくぐると

祠がいくつかある広場がある。

油揚の匂いがプンプン漂い

ただならぬ雰囲気だ。

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中央の一番大きな祠には

「白清社」の文字が書かれていた。

半地下構造で

中は薄暗く

何か出てきそうな雰囲気だ。

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入ってみると

中は石室構造になっていた。

油揚の匂いが強すぎる。

カチャカチャと鈴を鳴らし

急ぎ参拝した。

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(後で調べてみると)

1.祀られているのは白清稲荷。

2.この近くの「天塚古墳」から移築されたもの。

3.半地下石室構造になっているのは古墳の石室を再現。

※「天塚古墳」では石室にお稲荷さんを祀っていた。

  秦氏が天照国照彦天火明櫛玉饒速日ノ命

  (天火明命の別名)を祀り、その後、伏見稲荷を祀った。

  それらの総称が伯清稲荷大明神。養蚕稲荷ともいわれている。

  「天塚古墳」は古墳全体が伯清稲荷大明神の神域になっている。

  明治20年「天塚古墳」を調査したとき

  祀られていたお稲荷さんを

  「木嶋坐天照御魂神社」境内に移築した。

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さてさて。

今回は

少年の好奇心を

擽るような神社だった。

楽しかったが

帰宅後の

由緒調べに

時間を費やし

少々疲れた。

 

 Photo : Lumix TX1

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後龜山天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

後龜山天皇陵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた小倉山麓に

御陵参道の入り口がある。

「祇王寺」から5分ほどの距離だ。

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入り口から

「嵯峨有心堂」(某家の別荘)の塀と

市道に挟まれた参道を上がると

御陵がある。

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御陵は

小倉山の山林に

埋もれるように建っている。

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【後龜山天皇嵯峨小倉陵】

(ごかめやまてんのう さがのおぐらのみささぎ)

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御陵は

先日の

「龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵」と比べ

簡素な作りだ。

どういう基準で作られているのだろうか。

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参拝者は私一人だった。

先ずはゆるりと参拝した。

 代  数 : 第99代
 天皇名 : 後龜山天皇(ごかめやまてんのう)
 御  父 : 後村上天皇
 御  母 : 嘉喜門院藤原氏
 御陵名 : 嵯峨小倉陵(さがのおぐらのみささぎ)
 陵  形 : 五輪塔

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楼門が無いので

鳥居の背後に

陵墓(五輪塔)を見ることができる。

五輪塔も簡素に思った。

山林の中にあるせいか

吹く風が涼しかった。

頭上で鳴く鶯も

夏の終わりの鳴き声に聞こえた。

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御陵参拝のあと

二尊院近くの

蓮沼に寄ってみた。

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京都の蓮はもう終わりだが

此所は株の数が多いので

まだ蓮の花を見ることができた。

それでも

蕾も少なくなったので

此所ももう終盤だろう。

沼の周りではコオロギも鳴き出し

そろそろ夏も終わりに感じた。

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お盆と言っても

嵯峨野散策道は

相変わらず観光客が多い。

私は

人の多い観光ルートを避け

観光客の居ない脇道を歩く。

それでも

迷い込んだ外国人観光客に

道を聞かれる事が多い。

通常は

発音に気をつけて丁寧に説明するが

疲れているときは

単語を並べた棒読み英語で説明する。

それが意外に通じ

思わず笑った。

 

 Photo : Lumix TX1

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龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど歩いた「天龍寺」境内に

御陵の入り口がある。

御陵入り口は

「天龍寺」の墓地の中門を兼ねている。

中門は一般観光客は立ち入り禁止となっており

竹柵で遮断されているが

墓参者と御陵参拝者は立入可能だ。

何年か前までは

立ち入り自由だったが

外国人観光客の増加に伴い

このような処置になったのだろう。

私もこの主旨に従い

外国人観光客が後に付いて入ってこないよう

大勢の外国人観光客が途切れるのを待ち

竹柵をくぐった。

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「中門」から

「天龍寺」墓地に至る参道の途中に

御陵の入り口がある

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【龜山天皇亀山陵】

(かめやまてんのう かめやまのみささぎ)

【後嵯峨天皇嵯峨南陵】

(ごさがてんのう さがのみなみのみささぎ)

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御陵は

「龜山天皇」と「後嵯峨天皇」が

親子仲良く並んでいる。

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【龜山天皇陵】

向かって左が

「龜山天皇陵」だ。

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代  数 : 第90代
天皇名 : 龜山天皇(かめやまてんのう)
御  父 : 後嵯峨天皇
御  母 : 皇后 姞子
御陵名 : 龜山陵(かめやまのみささぎ)
陵  形 : 方形堂

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木造の楼門はタメ色に塗られ

張られた金箔が優美な気品を醸し出している。

先ずは「龜山天皇陵」に参拝した。

遺骨は、五つに分けられ、

三つは嵯峨に、残りは南禅寺と

高野山に納められているという。

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【後嵯峨天皇陵】

次に

向かって右が

「後嵯峨天皇陵」だ。

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代  数 : 第88代
天皇名 : 後嵯峨天皇(ごさがてんのう)
御  父 : 土御門天皇
御  母 : 贈皇太后通子
御陵名 : 嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)
陵  形 : 方形堂

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「後嵯峨天皇陵」も

「亀山天皇陵」と同じ作りになっている。

写真だけでは見分けは付かない。

「後嵯峨天皇陵」にもゆっくり参拝し

本日の御陵参拝を終えた。

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今日は

曇り空だったが

風が弱く暑い日だった。

帰りに食べた

「かき氷」で一息ついた。

明日は

「後亀山天皇陵」に参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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大酒神社に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

大酒神社へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「府道131号」沿いに

「大酒神社」(おおさけじんじゃ)がある。

広隆寺から3分ほどの距離だ。

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祭神は

「秦始皇帝」「弓月王」「秦酒公」。

秦始皇帝を祀っているのはこの神社だけだろう。

弓月王(ゆんずきのきみ)は

百済から18,670余人を率いて渡来した秦氏の先祖。

秦酒公(はたのさけきみ)は弓月王の孫。

古くは,「大辟(おおさけ)神社」と称されていたが

秦酒公を祭神とされたことから「大酒神社」に改められた。

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鳥居は

柱が八角形の「八角柱鳥居」だ。

近くの「蚕ノ社」(木嶋坐天照御魂神社)の

「三柱鳥居」の柱も八角形だった。

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鳥居をくぐると「手水舎」があるが

水は出ていなかった。

参拝者は少ないようだ。

横の珍しい形の石碑は

皇紀2600年祈念碑だ。

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「手水舎」の林の奥に「本殿」がある。

三角形の敷地に

巧みに配置されている。

昔は「広隆寺」境内にあったが

明治期の「神仏分離令」でここに遷された。

昭和40年代の道路拡張工事で

現在の形になったようだ。

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秦氏の氏神にしては

小さな本殿だと思う。

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先ずはカチャカチャと鈴を鳴らし

「本殿」に参拝した。

秦氏が渡来したのは

西暦372年。古墳時代だ。

こぢんまりとした神社だが

他の神社とは違う歴史を感じた。

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 【大酒神社】
  祭神 秦始皇帝、弓月王、秦酒公
  相殿 兄媛命、弟媛命(呉服女、漢織女)
  神階 正一位、治歴四年四月(一〇六八年)
当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社 (元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六 年)皇帝十四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、日本朝 の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。 これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生れた。
 后の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇十四年(三 七二年)百済より百二十七県の民衆一万八千六百七十余人 統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す。又、弓月王 の孫酒公は、秦氏諸族を率て蚕を養い、呉服漢織に依って 絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積し て山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさ)と言う言葉で 酒公に禹豆麻佐の姓を賜う。数多の絹綾を織出したる呉服 漢織の神霊を祀りし社を大酒神社の側にありしが明暦年中 破壊に及びしを以て、当社に合祭す。
 機織のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入 するに力め、農耕、造酒、土木、管絋、工匠等産業発達に 大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
  今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
 広隆寺建立后、寺内、桂宮院(国宝)境内に鎮守の社と して祀られていたが、明治初年制令に依り神社仏閣が分離 され、現在地に移し祀られる。現在広隆寺で十月十日に行 われる、京都三大奇祭の一つである牛祭りは、以前広隆寺 の伽藍神であった当社の祭礼である。
 尚、六〇三年広隆寺建立者 秦河勝は酒公の六代目の孫。
 又、大宝元年(七〇一年)子孫秦忌寸都理が松尾大社を 創立、和銅四年(七一三年)秦伊呂具が伏見稲荷大社を建 立した。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国 に文明文化の発展に貢献した。秦氏族の祖神である。

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来週は「お盆」だが

当家の「お盆」は済んでいる。

家でゴロゴロしたいが

叱られるので

暑くない日を選び

御陵巡りをしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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廣隆寺に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

廣隆寺へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「太秦」交差点前に

「廣隆寺」(こうりゅうじ)がある。

京福電鉄(通称:嵐電)「太秦広隆寺駅」なら

1分ほどの距離だ。

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「楼門」は

五叉路の「太秦」交差点前にあり

交通量が多い三条通りには

京福電鉄「嵐山本線」の

路面電車が通っている。

かっては太秦の中心部だったのだろう。

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楼門を入ると

境内から大勢の観光客の

騒がしい外国語が聞こえてきた。

楼門の仁王像を眺めながら

騒がしい団体の観光客が

掃けるのを待っていると

京福電鉄「帷子ノ辻行き」の

電車が通り過ぎた。

楼門を吹き抜ける風が涼しかった。

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掃き清められた境内は

寺院とは思えない雰囲気が漂っている。

広大な神社のようだ。

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境内には

国宝1号に指定された

「弥勒菩薩半跏像」をはじめ

国宝:二十点

重文:四十八点

文化財の宝庫だ。

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「太子殿」(本殿)は

楼門から150mほどある。

途中にある

「地蔵堂」と「講堂」(重文)に御参りし

「太子殿」(本殿)に到着した。

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先ずは階段を上がり

「太子殿」に御参りした。

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廣隆寺は

蜂岡寺(はちおかでら)秦公寺(はたのきみでら)

太秦寺(うずまさでら)などの別称があり

太秦廣隆寺とも呼ばれている。

渡来人系の秦氏の氏寺で

平安京遷都以前から存在した

京都最古の寺院だ。

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廊下には

多数の「奉納額」が掛けられている。

古い物は

字が擦れて読めないが

明治期の物が多いようだ。

組合組織の「奉納額」が多い。

寺の歴史が窺い知れる。

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何を意味するのか

「五芒星」の「奉納額」もある。

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「太子殿」に御参りの後は

国宝、重文が納められた

「霊宝殿」へ向かった。

入り口には

寺院には珍しい

石作りの「太鼓橋」がある。

 ※水は流れていない

ここから先は

神域ということだろう。

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「太鼓橋」を渡り

国宝「桂宮院」前を過ぎると

旧「霊宝殿」の前に

立派な掲示舎がある。

殆どの人は通り過ぎるが

ここには「十善戒」が掲示してある。

十善戒(じゅうぜんかい)とは

仏教における十悪を否定して戒律としたものだ。

読んでみると

当たり前のことが書かれているが

中にはつい忘れがちのこともある。

これを「モーセの十戒」と言う人もいるが

半分同じで半分違うというところだろ。

「十善戒」が作られたのは

江戸末期ということだから

「モーセの十戒」の影響が

無いとは言えないとは思う。

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【十善戒】
 不殺生(ふせっしょう) 生きものを殺しません
 不偸盗(ふちゅうとう) ものを盗みません
 不邪淫(ふじゃいん) みだらな男女の関係をしません
 不妄語(ふもうご) うそいつわりを言いません
 不綺語(ふきご) たわごとを言いません
 不悪口(ふあっく) 人の悪口を言いません
 不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌をつかいません
 不慳貪(ふけんどん) ものを慳(おし)み貪(むさぼ)りません
 不瞋恚(ふしんに) 怒り憎むことをしません
 不邪見(ふじゃけん) 間違った考え方をしません

【モーセの十戒】
 第1戒 わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 第2戒 偶像を造ってはならない
 第3戒 主の御名を、みだりに唱えてはならない。
 第4戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
 第5戒 あなたの父と母を敬え。
 第6戒 殺してはならない。
 第7戒 姦淫してはならない。
 第8戒 盗んではならない。
 第9戒 偽りの証言をしてはならない。
 第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

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旧「霊宝殿」の横に

新「霊宝殿」がある。

どの寺院でも

国宝や重文などは

防火防犯設備が整った

収蔵庫に収められている。

廣隆寺でも

国宝:二十点、重文:四十八点は

この「霊宝殿」に納められている。

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館内には

日本一美しいと言われている

御本尊「弥勒菩薩半跏思惟像」(国宝1号)が

半跏思惟という、台に片足を降ろした状態で座り

中央に安置されていた。

  『※中学教科書掲載のあの仏像』

「秦河勝」が聖徳太子より贈られた仏像を

本尊として広隆寺を開いたが

その仏像が「弥勒菩薩半跏思惟像」だということだ。

館内は薄暗く

神秘的な雰囲気で

中央のベンチには

二人の外国人が瞑想していた。

他の神社仏閣でも

日本人より外国人の

瞑想者が多いと思った。

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さて。

秦氏は中国からの

渡来人とはいわれるが

館内にある

目鼻立ちがはっきりした

「秦河勝像」(重文)を見ると

私にはそうとは思えなかった。

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【廣隆寺】(こうりゅうじ)
推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般的に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇十六年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも務め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして、"和を似って貴しと偽す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民俗の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。

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今日は

比較的過ごしやすい日だったが

写真を撮るため

人が途切れるのを待つのに

少々疲れた。

この後

近くの

「大酒神社」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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法金剛院の観蓮会。2017 仲夏(京都)

今日の散歩。

法金剛院へでかけた。

JR「花園駅」から

5分ほど歩いた「丸太町通」沿いに

「法金剛院」(ほうこんごういん)がある。

横断歩道が青信号なら

3分ほどの距離だ。

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「表門」から

「鐘楼」横を抜けると

さらに「中門」がある。

「表門」も「中門」も

寺の規模にしては

小さな山門だ。

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法金剛院は

名高きハスの名所で

ちょうど観蓮会(かんれんえ)が行われていた。

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世界中の蓮の花が集められ

池や鉢に植えられている。

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「庫裏」から

「礼堂」前には

鉢植えの大きな蓮が並べられていた。

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淡いピンクの大輪が美しかった。

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先ずは

御本尊の大きな「阿弥陀如来」(重文)と

「十一面観世音菩薩」(重文)

「僧形文殊菩薩」(重文)

「地蔵菩薩」(重文)

に御参りした。

御参りのあと

「礼堂」から見えた

可憐な蓮の花に思わず見とれた。

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庭園は回廊式庭園で

大きな池には蓮が植えられている。

池の中央には島(亀島)があるが

蓮に覆われ見えなかった。

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「法金剛院」の蓮の花は

7月上旬~8月初旬にかけて

約90品種の蓮の花が次々と咲き揃う。

蓮の花は

開花初日、夜明けから10時頃まで猪口(ちょこ)のように咲き、

2日目には椀のように11時頃まで咲く。

3~4日目は昼過ぎから夕方頃まで咲き

そして散ってしまう。

花の命は短い。

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青色と黄色は

咲いていなかったが

大小咲き揃う「蓮の花」に心が和んだ。

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蓮の池に

覆いかぶさる楓も

ほんのり夏色に変わっていた。

夏の寺院は涼しくて気持ちが良い。

しばらく木陰で涼み

帰途に就く。

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【法金剛院】(ほうこんごういん)
 五位山と号する、京都では数少ない律宗寺院である。
極楽浄土に見立てた浄土式庭園は有名で、平安末期の姿をとどめている、花の寺としても知られ、とりわけ蓮の名所として名高い。
 平安時代の初めに右大臣清原夏野(きよはらのなつの)がこの地で営んだ山荘を、没後、寺に改め、双丘寺(そうきゅうじ)と称したのが当寺の起こりで、大治5年(1130)に鳥羽上皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が再興し、寺名を法金剛院と改めた。 四季折々の美しい景観は、待賢門院を深く慕ったといわれる西行(さいぎょう)の歌にも詠まれている。その後、弘安2年(1279)に円覚により再興され、律宗に改められた。
 本堂は、元和4年(1618)に再建されたもので、堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらい)、僧形文殊坐像(そうぎょうもんじゅ)(いずれも重要文化財)などを安置している。また、寺宝として、蓮華式香炉(重要文化財)などの工芸品や書画など多数を蔵している。
 庭園は、昭和45年(1970)に発掘、復元されたもので、池の北側にある巨石を並べて造られた「青女の滝」(せいじょ)は、五位山と呼ばれる背後の山とともに国の特別名勝に指定されている。   京都市

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今日は「太秦」へ行く予定だったが

朝の蒸し暑さに心がめげた。

暑い日は

近くに限る。

この夏

始めて食べた

「かき氷」が美味しかった。

「太秦」には

来週行こうと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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