絵日記・京の散歩

後龜山天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

後龜山天皇陵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた小倉山麓に

御陵参道の入り口がある。

「祇王寺」から5分ほどの距離だ。

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入り口から

「嵯峨有心堂」(某家の別荘)の塀と

市道に挟まれた参道を上がると

御陵がある。

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御陵は

小倉山の山林に

埋もれるように建っている。

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【後龜山天皇嵯峨小倉陵】

(ごかめやまてんのう さがのおぐらのみささぎ)

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御陵は

先日の

「龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵」と比べ

簡素な作りだ。

どういう基準で作られているのだろうか。

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参拝者は私一人だった。

先ずはゆるりと参拝した。

 代  数 : 第99代
 天皇名 : 後龜山天皇(ごかめやまてんのう)
 御  父 : 後村上天皇
 御  母 : 嘉喜門院藤原氏
 御陵名 : 嵯峨小倉陵(さがのおぐらのみささぎ)
 陵  形 : 五輪塔

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楼門が無いので

鳥居の背後に

陵墓(五輪塔)を見ることができる。

五輪塔も簡素に思った。

山林の中にあるせいか

吹く風が涼しかった。

頭上で鳴く鶯も

夏の終わりの鳴き声に聞こえた。

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御陵参拝のあと

二尊院近くの

蓮沼に寄ってみた。

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京都の蓮はもう終わりだが

此所は株の数が多いので

まだ蓮の花を見ることができた。

それでも

蕾も少なくなったので

此所ももう終盤だろう。

沼の周りではコオロギも鳴き出し

そろそろ夏も終わりに感じた。

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お盆と言っても

嵯峨野散策道は

相変わらず観光客が多い。

私は

人の多い観光ルートを避け

観光客の居ない脇道を歩く。

それでも

紛れ込んだ外国人観光客に

道を聞かれる事が多い。

通常は

発音に気をつけて説明するが

疲れているときは

単語を並べた棒読み英語で説明する。

それが意外に通じ

思わず笑った。

 

 Photo : Lumix TX1

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龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど歩いた「天龍寺」境内に

御陵の入り口がある。

御陵入り口は

「天龍寺」の墓地の中門を兼ねている。

中門は一般観光客は立ち入り禁止となっており

竹柵で遮断されているが

墓参者と御陵参拝者は立入可能だ。

何年か前までは

立ち入り自由だったが

外国人観光客の増加に伴い

このような処置になったのだろう。

私もこの主旨に従い

外国人観光客が後に付いて入ってこないよう

大勢の外国人観光客が途切れるのを待ち

竹柵をくぐった。

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「中門」から

「天龍寺」墓地に至る参道の途中に

御陵の入り口がある

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【龜山天皇亀山陵】

(かめやまてんのう かめやまのみささぎ)

【後嵯峨天皇嵯峨南陵】

(ごさがてんのう さがのみなみのみささぎ)

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御陵は

「龜山天皇」と「後嵯峨天皇」が

親子仲良く並んでいる。

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【龜山天皇陵】

向かって左が

「龜山天皇陵」だ。

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代  数 : 第90代
天皇名 : 龜山天皇(かめやまてんのう)
御  父 : 後嵯峨天皇
御  母 : 皇后 姞子
御陵名 : 龜山陵(かめやまのみささぎ)
陵  形 : 方形堂

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木造の楼門はタメ色に塗られ

張られた金箔が優美な気品を醸し出している。

先ずは「龜山天皇陵」に参拝した。

遺骨は、五つに分けられ、

三つは嵯峨に、残りは南禅寺と

高野山に納められているという。

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【後嵯峨天皇陵】

次に

向かって右が

「後嵯峨天皇陵」だ。

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代  数 : 第88代
天皇名 : 後嵯峨天皇(ごさがてんのう)
御  父 : 土御門天皇
御  母 : 贈皇太后通子
御陵名 : 嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)
陵  形 : 方形堂

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「後嵯峨天皇陵」も

「亀山天皇陵」と同じ作りになっている。

写真だけでは見分けは付かない。

「後嵯峨天皇陵」にもゆっくり参拝し

本日の御陵参拝を終えた。

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今日は

曇り空だったが

風が弱く暑い日だった。

帰りに食べた

「かき氷」で一息ついた。

明日は

「後亀山天皇陵」に参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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大酒神社に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

大酒神社へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「府道131号」沿いに

「大酒神社」(おおさけじんじゃ)がある。

広隆寺から3分ほどの距離だ。

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祭神は

「秦始皇帝」「弓月王」「秦酒公」。

秦始皇帝を祀っているのはこの神社だけだろう。

弓月王(ゆんずきのきみ)は

百済から18,670余人を率いて渡来した秦氏の先祖。

秦酒公(はたのさけきみ)は弓月王の孫。

古くは,「大辟(おおさけ)神社」と称されていたが

秦酒公を祭神とされたことから「大酒神社」に改められた。

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鳥居は

柱が八角形の「八角鳥居」だ。

近くの「蚕ノ社」(秦氏創建)の

三角鳥居の柱も八角形だった。

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鳥居をくぐると「手水舎」があるが

水は出ていなかった。

参拝者は少ないようだ。

横の珍しい形の石碑は

皇紀2600年祈念碑だ。

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「手水舎」の林の奥に「本殿」がある。

三角形の敷地に

巧みに配置されている。

昔は「広隆寺」境内にあったが

明治期の「神仏分離令」でここに遷された。

昭和40年代の道路拡張工事で

現在の形になったようだ。

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秦氏の氏神にしては

小さな本殿だと思う。

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先ずはカチャカチャと鈴を鳴らし

「本殿」に参拝した。

秦氏が渡来したのは

西暦372年。古墳時代だ。

こぢんまりとした神社だが

他の神社とは違う歴史を感じた。

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 【大酒神社】
  祭神 秦始皇帝、弓月王、秦酒公
  相殿 兄媛命、弟媛命(呉服女、漢織女)
  神階 正一位、治歴四年四月(一〇六八年)
当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社 (元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六 年)皇帝十四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、日本朝 の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。 これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生れた。
 后の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇十四年(三 七二年)百済より百二十七県の民衆一万八千六百七十余人 統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す。又、弓月王 の孫酒公は、秦氏諸族を率て蚕を養い、呉服漢織に依って 絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積し て山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさ)と言う言葉で 酒公に禹豆麻佐の姓を賜う。数多の絹綾を織出したる呉服 漢織の神霊を祀りし社を大酒神社の側にありしが明暦年中 破壊に及びしを以て、当社に合祭す。
 機織のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入 するに力め、農耕、造酒、土木、管絋、工匠等産業発達に 大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
  今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
 広隆寺建立后、寺内、桂宮院(国宝)境内に鎮守の社と して祀られていたが、明治初年制令に依り神社仏閣が分離 され、現在地に移し祀られる。現在広隆寺で十月十日に行 われる、京都三大奇祭の一つである牛祭りは、以前広隆寺 の伽藍神であった当社の祭礼である。
 尚、六〇三年広隆寺建立者 秦河勝は酒公の六代目の孫。
 又、大宝元年(七〇一年)子孫秦忌寸都理が松尾大社を 創立、和銅四年(七一三年)秦伊呂具が伏見稲荷大社を建 立した。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国 に文明文化の発展に貢献した。秦氏族の祖神である。

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来週は「お盆」だが

当家の「お盆」は済んでいる。

家でゴロゴロしたいが

叱られるので

暑くない日を選び

御陵巡りをしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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廣隆寺に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

廣隆寺へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「太秦」交差点前に

「廣隆寺」(こうりゅうじ)がある。

京福電鉄(通称:嵐電)「太秦広隆寺駅」なら

1分ほどの距離だ。

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「楼門」は

五叉路の「太秦」交差点前にあり

交通量が多い三条通りには

京福電鉄「嵐山本線」の

路面電車が通っている。

かっては太秦の中心部だったのだろう。

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楼門を入ると

境内から大勢の観光客の

騒がしい外国語が聞こえてきた。

楼門の仁王像を眺めながら

騒がしい団体の観光客が

掃けるのを待っていると

京福電鉄「嵐山行き」の

電車が通り過ぎた。

楼門を吹き抜ける風が涼しかった。

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掃き清められた境内は

寺院とは思えない雰囲気が漂っている。

広大な神社のようだ。

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境内には

国宝1号に指定された

「弥勒菩薩半跏像」をはじめ

国宝:二十点

重文:四十八点

文化財の宝庫だ。

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「太子殿」(本殿)は

楼門から150mほどある。

途中にある

「地蔵堂」と「講堂」(重文)に御参りし

「太子殿」(本殿)に到着した。

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先ずは階段を上がり

「太子殿」に御参りした。

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廣隆寺は

蜂岡寺(はちおかでら)秦公寺(はたのきみでら)

太秦寺(うずまさでら)などの別称があり

太秦廣隆寺とも呼ばれている。

渡来人系の秦氏の氏寺で

平安京遷都以前から存在した

京都最古の寺院だ。

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廊下には

多数の「奉納額」が掛けられている。

古い物は

字が擦れて読めないが

明治期の物が多いようだ。

組合組織の「奉納額」が多い。

寺の歴史が窺い知れる。

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何を意味するのか

「五芒星」の「奉納額」もある。

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「太子殿」に御参りの後は

国宝、重文が納められた

「霊宝殿」へ向かった。

入り口には

寺院には珍しい

石作りの「太鼓橋」がある。

 ※水は流れていない

ここから先は

神域ということだろう。

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「太鼓橋」を渡り

国宝「桂宮院」前を過ぎると

旧「霊宝殿」の前に

立派な掲示舎がある。

殆どの人は通り過ぎるが

ここには「十善戒」が掲示してある。

十善戒(じゅうぜんかい)とは

仏教における十悪を否定して戒律としたものだ。

読んでみると

当たり前のことが書かれているが

中にはつい忘れがちのこともある。

これを「モーセの十戒」と言う人もいるが

半分同じで半分違うというところだろ。

「十善戒」が作られたのは

江戸末期ということだから

「モーセの十戒」の影響が

無いとは言えないとは思う。

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【十善戒】
 不殺生(ふせっしょう) 生きものを殺しません
 不偸盗(ふちゅうとう) ものを盗みません
 不邪淫(ふじゃいん) みだらな男女の関係をしません
 不妄語(ふもうご) うそいつわりを言いません
 不綺語(ふきご) たわごとを言いません
 不悪口(ふあっく) 人の悪口を言いません
 不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌をつかいません
 不慳貪(ふけんどん) ものを慳(おし)み貪(むさぼ)りません
 不瞋恚(ふしんに) 怒り憎むことをしません
 不邪見(ふじゃけん) 間違った考え方をしません

【モーセの十戒】
 第1戒 わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 第2戒 偶像を造ってはならない
 第3戒 主の御名を、みだりに唱えてはならない。
 第4戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
 第5戒 あなたの父と母を敬え。
 第6戒 殺してはならない。
 第7戒 姦淫してはならない。
 第8戒 盗んではならない。
 第9戒 偽りの証言をしてはならない。
 第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

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旧「霊宝殿」の横に

新「霊宝殿」がある。

どの寺院でも

国宝や重文などは

防火防犯設備が整った

収蔵庫に収められている。

廣隆寺でも

国宝:二十点、重文:四十八点は

この「霊宝殿」に納められている。

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館内には

日本一美しいと言われている

御本尊「弥勒菩薩半跏思惟像」(国宝1号)が

半跏思惟という、台に片足を降ろした状態で座り

中央に安置されていた。

  『※中学教科書掲載のあの仏像』

「秦河勝」が聖徳太子より贈られた仏像を

本尊として広隆寺を開いたが

その仏像が「弥勒菩薩半跏思惟像」だということだ。

館内は薄暗く

神秘的な雰囲気で

中央のベンチには

二人の外国人が瞑想していた。

他の神社仏閣でも

日本人より外国人の

瞑想者が多いと思った。

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さて。

秦氏は中国からの

渡来人とはいわれるが

館内にある

目鼻立ちがはっきりした

「秦河勝像」(重文)を見ると

私にはそうとは思えなかった。

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【廣隆寺】(こうりゅうじ)
推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般的に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇十六年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも務め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして、"和を似って貴しと偽す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民俗の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。

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今日は

比較的過ごしやすい日だったが

写真を撮るため

人が途切れるのを待つのに

少々疲れた。

この後

近くの

「大酒神社」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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法金剛院の観蓮会。2017 仲夏(京都)

今日の散歩。

法金剛院へでかけた。

JR「花園駅」から

5分ほど歩いた「丸太町通」沿いに

「法金剛院」(ほうこんごういん)がある。

横断歩道が青信号なら

3分ほどの距離だ。

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「表門」から

「鐘楼」横を抜けると

さらに「中門」がある。

「表門」も「中門」も

寺の規模にしては

小さな山門だ。

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法金剛院は

名高きハスの名所で

ちょうど観蓮会(かんれんえ)が行われていた。

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世界中の蓮の花が集められ

池や鉢に植えられている。

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「庫裏」から

「礼堂」前には

鉢植えの大きな蓮が並べられていた。

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淡いピンクの大輪が美しかった。

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先ずは

御本尊の大きな「阿弥陀如来」(重文)と

「十一面観世音菩薩」(重文)

「僧形文殊菩薩」(重文)

「地蔵菩薩」(重文)

に御参りした。

御参りのあと

「礼堂」から見えた

可憐な蓮の花に思わず見とれた。

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庭園は回廊式庭園で

大きな池には蓮が植えられている。

池の中央には島(亀島)があるが

蓮に覆われ見えなかった。

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「法金剛院」の蓮の花は

7月上旬~8月初旬にかけて

約90品種の蓮の花が次々と咲き揃う。

蓮の花は

開花初日、夜明けから10時頃まで猪口(ちょこ)のように咲き、

2日目には椀のように11時頃まで咲く。

3~4日目は昼過ぎから夕方頃まで咲き

そして散ってしまう。

花の命は短い。

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青色と黄色は

咲いていなかったが

大小咲き揃う「蓮の花」に心が和んだ。

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蓮の池に

覆いかぶさる楓も

ほんのり夏色に変わっていた。

夏の寺院は涼しくて気持ちが良い。

しばらく木陰で涼み

帰途に就く。

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【法金剛院】(ほうこんごういん)
 五位山と号する、京都では数少ない律宗寺院である。
極楽浄土に見立てた浄土式庭園は有名で、平安末期の姿をとどめている、花の寺としても知られ、とりわけ蓮の名所として名高い。
 平安時代の初めに右大臣清原夏野(きよはらのなつの)がこの地で営んだ山荘を、没後、寺に改め、双丘寺(そうきゅうじ)と称したのが当寺の起こりで、大治5年(1130)に鳥羽上皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が再興し、寺名を法金剛院と改めた。 四季折々の美しい景観は、待賢門院を深く慕ったといわれる西行(さいぎょう)の歌にも詠まれている。その後、弘安2年(1279)に円覚により再興され、律宗に改められた。
 本堂は、元和4年(1618)に再建されたもので、堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらい)、僧形文殊坐像(そうぎょうもんじゅ)(いずれも重要文化財)などを安置している。また、寺宝として、蓮華式香炉(重要文化財)などの工芸品や書画など多数を蔵している。
 庭園は、昭和45年(1970)に発掘、復元されたもので、池の北側にある巨石を並べて造られた「青女の滝」(せいじょ)は、五位山と呼ばれる背後の山とともに国の特別名勝に指定されている。   京都市

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今日は「太秦」へ行く予定だったが

朝の蒸し暑さに心がめげた。

暑い日は

近くに限る。

この夏

始めて食べた

「かき氷」が美味しかった。

「太秦」には

来週行こうと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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後宇多天皇陵に参拝。2017 仲夏(京都)

今日の散歩。

「後宇多天皇陵」に参拝した。

JR「嵯峨嵐山駅」から

北へ15分ほど歩くと

古道の入り口に

御陵参拝道の

石道標がある。

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石道標から

途中の「嵯峨天皇陵」を経て

25分ほどで「御陵の杜」に到達する。

「御陵の杜」の竹林の道を進むと

遠くに御陵入り口が見えてくる。

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JR「嵯峨嵐山駅」からは

約45分の行程だ。

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【後宇多天皇 蓮華峯寺陵】

(ごうだてんのう  れんげぶじのみささぎ)

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参拝通路の両側には

大きな池が広がっている。

近年 御陵を整備したとき

昔からここにあった池を

そのまま残したのだろう。

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池には

多数の鯉が泳いでいた。

彼方此方に

亀も顔を出していた。

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池を渡り

参道を進むと

楓並木の新緑が美しかった。

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「陵墓」は

新緑の中に埋もれるように建っている。

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「後宇多天皇」は1324年7月16日

大覚寺殿にて崩御し

その3日後に葬られたという。

 代  数 : 第91代
 天皇名 : 後宇多天皇(ごうだてんのう)
 御  父 : 龜山天皇
 御  母 : 皇后佶子
 御陵名 : 蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)
 陵  形 : 方形堂・五輪塔

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陵墓は楼門に遮られ見えない。

「後宇多天皇」と母「亀山天皇皇后」

「亀山天皇分骨所」「後宇多天皇皇后子内親王分骨所」

「後二條天皇分骨所」ともなっている。

頭上で鳴く鶯の中

ゆるりと参拝した。

雨上がりで

蒸し暑い日だったが

御陵の杜は

涼しくて気持ちが良い。

つい長居をしたくなる。

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帰りは

来た道をブラブラ帰った。

昭和の雰囲気が残る

嵯峨野の細道は

少年の頃を思い出させる。

道端にあった

野菜自動販売機で

「万願寺唐辛子」と

「キュウリ」を買った。

「キュウリ」をかじりながら

歩いた道端の

水路を流れる水音が

心地良かった。

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今年は

梅雨明けが早いような気がする。

梅雨前線が北上したので

台風3号が通り過ぎる

5日頃には

梅雨明けだろうか。


 Photo :Lumix TX1

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御髪神社に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

御髪神社へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど歩いた小倉池の畔に

「御髪神社」(みかみじんじゃ)がある。

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祭神は

藤原鎌足の末孫、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)。

日本唯一の頭髪(理容)に関わる神社だ。

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小さな境内の

数段の石段の上に

小さな本殿がある。

小さな鈴をカチャカチャと鳴らし

「本殿」に参拝した。

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本殿の横に「髪塚」がある。

一般的な神社では

特別なお願いをする場合

玉串奉納を行い参拝するが

「御髪神社」では

「献髪奉納」という参拝作法がある。

まず神職に頭髪を少し切っていただき

それを袋に納めて神前にお供えし参拝するのだ。

私は遠慮したが

「献髪」する人は

結構多いそうだ。

【髪塚】
髪は人身の最上位にあって、造化の神より賜った美しい自然の冠りであると共に生前にも残し得る唯一の分身(カタミ)として、大きな恩恵に感謝する為、副神として納祭し、祈拝されます。

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絵馬を見ると

「ハゲが治りますように」の祈願もあるが

「今の髪が維持できますように」の祈願も多い。

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最近では

カツラ・育毛剤などの

理容業以外の参拝者も多いそうだ。

通称「ハゲ神社」と呼ばれるが

私の頭髪は今のところ

御厄介になることはないだろう。

危なくなったら

駆け込むことにする。

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【御髪神社由緒】
亀山天皇の御代(一二五九年~一二七四年)に藤原基晴卿が宮中に宝物係として仕えていたが、所管の宝物を紛失した責任を取り、探索の為諸国を行脚し、文久五年下関に居を構え三男政之公が生計を髪結職に求めたのが髪結業の始祖であった。

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雲の合間から

時々射す日射しは

暑かったが

爽やかな風が吹き

気持ちの良い一日だった。

 

 Photo : Lumix TX1

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嵯峨天皇陵に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩

「嵯峨天皇陵」に参拝した。

JR「嵯峨嵐山駅」から

30分ほど歩いた山裾に

御陵への参拝道入り口がある。

「嵯峨天皇陵」までは

さらに20分程だ。

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【嵯峨天皇嵯峨山上陵】

(さがてんのう さがの やまのえの みささぎ)

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参拝道入り口から

530段の石段を上った山頂が御陵だ。

参拝道入り口から

山頂までの標高差は約80mある。

 530段×0.15m≒80m

石段は九十九折りでかなり急峻だ。

この参拝道は

平成24年の土砂崩れで閉鎖され

一般の参拝が停止されていたが

平成27年6月に復旧工事が完成し

同時に参拝が再開された。

話では登り易くなったと聞いたが

私にはかなりきつい。

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参拝道石段の途中からは

嵯峨野が一望できる。

かって「嵯峨天皇」の時代は

現在の「大覚寺」に「嵯峨御所」があった。

その時代の嵯峨野は

「広沢池」を取り囲むように

田園が広がっていたことだろう。

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「大覚寺」方面には

大覚寺の「大沢池」と

赤い「大覚寺心経宝塔」が見える。

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遠くには

「京都タワー」が霞んで見えた。

まるで蝋燭を立てたようだ。

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石段を20分程上ると

やっと御陵が見えてきた。

息が切れる。

とりあえず

管理小屋の日陰でひと休みだ。

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ひと休みを終え

やっと陵墓に到着した。

 代  数 : 第52代
 天皇名 : 嵯峨天皇(さがてんのう)
 御  父 : 桓武天皇
 御  母 : 皇后天之高藤廣宗照姫之尊
 御陵名 : 嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)
 陵  形 : 円丘

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陵形は円丘で

周りを三段の空石積みで取り囲んでいる。

既に他の参拝者は下山したので

ゆっくりと参拝した。

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参拝後は

10分程付近を散策し

下山することにした。

帰りは

これがまた大変だ。

最近は上りより

下りが辛い。

膝が痛くて

思うように降りられない。

私もとうとう

爺(ジジイ)の仲間入りしたなと思った。

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下山途中で見つけた山躑躅の

ピンクの小花が可愛かった。

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この近くには「後宇多天皇陵」もある。

涼しい日に参拝したいと思った。

 

今日は

かなり疲れたので

明日は

近場で済まそうと思う。


 Photo :Lumix TX1

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地蔵院の新緑。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

地蔵院へでかけた。

阪急「上桂駅」から

15分ほど歩いた衣笠山麓に

「地蔵院」(じぞういん)がある。

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竹林の中にあるので

別名「竹の寺」と呼ばれている。

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山門を入ると

涼しげな竹林の中に

落ちついた空間が広がっていた。

遠くに本堂が見える。

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幻想的な木漏れ日の中を歩くと。

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幼い頃

母に読み聞かされた

お伽話の世界のようだと思った。

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地蔵堂(本堂)は

伝教大師の作といわれる

延命安産の地蔵菩薩が御本尊だ。

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先ずは地蔵堂に御参りをした。

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地蔵堂を覆う青モミジが

木漏れ日に照らされ美しかった。

薄暗い竹林との

コントラストも良い。

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境内の庭は

緑の苔で覆われている。

竹と苔が美しい閑静な寺だ。

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地蔵堂の横には

「一休禅師母子像」がある。

「地蔵院」は

「一休さん」(一休禅師)の

生まれ育った寺と伝えられている。

「一休さん」は近くの民家で生まれ

「地蔵院」で6歳まで養育されたという。

 ※(寺院内での出産は遠慮された)

この竹林の中で

母子で楽しく過ごしたことだろう。

親子の姿は美しく

懐かしくも思った。

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地蔵堂横の

緑の小径の先には中門がある。

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中門を入ると「方丈」がある。

「方丈」は現在修理中で(平成29年10月末まで)

中には入れないが

「方丈」の書院から見る

「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園が美しい。

   ※写真は「地蔵院」ポストカード

紅葉の頃

また来たいと思う。

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帰り道

ふと振り返ると

山門を覆うモミジに陽があたり

輝いた新緑が美しかった。

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【地蔵院】(じぞういん)
衣笠山(きぬがさやま)と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵又は、竹の寺とも呼ばれている。
 この地には、もと歌人の衣笠内大臣藤原家良(ふじわらのいえよし)の山荘があったが、家良の没後、貞治六年(1367)に、官領の細川頼之(ほそかわよりゆき)が、宗鏡禅師(そうきょう)に深く帰依して当寺を建設した。宗鏡は、恩師夢窓国師(むそう)を開山に請じて、自らは第二世となった。
 以後、当寺は細川家の庇護を受け、次々と伽藍を建立し、境内塔頭三院、末寺二十三寺数える一大禅利となったが、応仁の乱により堂舎悉く消失してしまった。その後、江戸時代の貞享三年(1686)に、第一四世古霊和尚によって寺観が整えられた。
 現在の本堂(地蔵堂)は、昭和一〇年(1935)に再建したもので、堂内には、本尊の延命安産地蔵菩薩、夢窓国師、宗鏡禅師、細川頼之の木像を安置している。
 また、方丈前には、「十六羅漢の庭」(じょうろくらかん)と呼ばれる枯山水庭園があり、本堂南には、宗鏡禅師、細川頼之の墓がある。なお、一休禅師が幼少の頃修業された寺でもある。

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今日も

JR「嵯峨嵐山駅」から

歩く予定だったが

昨日の疲れが残っていたので

阪急嵐山線「上桂駅」からの経路にした。

歩く歩数(一万歩)が少し足りなかったが

たまには

こんな日があっても良いだろう。

 

 Photo : Lumix TX1

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月読神社に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

月読神社へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

50分ほど歩いた松尾山麓に

「月読神社」(つきよみじんじゃ)がある。

先週訪れた「松尾大社」の南400mに位置し

「松尾大社」の境外摂社となっている。

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祭神は「月読尊」(つきよみのみこと)。

「月読尊(大神)」は

夜を統べる神だということだ。

「月読」とは「月齢を数える」

すなわち「暦」を司る神ではないだろうか。

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石段を上ると楼門がある。

楼門からは新緑に覆われた

本殿と拝殿が見える。

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こぢんまりとした境内だ。

古い神社にしては

本殿(江戸時代)と拝殿と

小さな社務所だけだ。

室町時代初期の

「松尾神社境内絵図」によれば、

かつては本殿・拝殿のほか

假殿・庁屋・講坊・贄殿等があったそうだ。

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境内に「神功皇后」ゆかりの

安産信仰発祥の石「月延石」(つきのべいし)が

奉祀されていることから

「安産守護のお社」として崇められている。

安産祈願の参拝者が多いが

神秘的な雰囲気が漂う境内なので

最近では若い女性の参拝者も多いという。

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瞑想する英語圏の

美少女の邪魔にならないように

小さくカチャカチャと鈴を鳴らし

「本殿」に参拝をした。

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本殿脇に「月延石」があり

誰でも撫でて祈願することができる。

白い石は参拝者が奉納した「祈願石」だ。

【月延石】(つきのべいし)
境内にある「月延石」は「安産石」とも呼ばれ、安産の神として信仰されている。『雍州府志』所載の伝説では、この石は元は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産し、のち舒明天皇の時に月読神社に奉納されたという。

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この神社には「絵馬」の奉納はない。

ここでは「祈願石」といわれる白石に

願い事を書いて奉納するしきたりととなっている。

「安産祈願」や「安産お礼」が書かれた

「祈願石」を読んでいると

ほのぼのとした気持ちになった。

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【月読神社境内】
 月読(つきよみ)神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。
 文献によれば、顕宗(けんそう)三年(四八七)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて宣託をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)の地に社を創建したとされ、斎衡(さいこう)三年(八五六)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。
 境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子社などから構成されています。
 月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。

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日射しが強く

暑い日だったが

木陰では爽やかな風が吹き

気持ちの良い一日だった。

 

さて、明日は

地蔵院(竹の寺)まで

足を延ばすことにする。

 

 Photo : Lumix TX1

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