« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »

2017年9月

花山天皇陵に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

花山天皇陵へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

20分ほど歩いた住宅街に

御陵参道の入り口がある。

「金閣寺」から10分ほどの距離だ。

800p1060265

入り口から

参道の砂利を踏みながら

40mほど進むと陵墓がある。

800p1060271

御陵は

住宅街の中に

埋もれるように建っている。

こぢんまりとした

御陵地だ。

800p1060282

【花山天皇紙屋川上陵】

(かざんてんのう かみやがわのほとりのみささぎ)

800p1060268

先ずは

ゆるりと参拝した。

何処からか

足踏み式の機織機の

音が聞こえてきた。

此所は西陣の地

「西陣織」の機織りだろう。

800p1060276

 代  数 : 第65代
 天皇名 : 花山天皇(かざんてんのう)
 御  父 : 冷泉天皇
 御  母 : 贈皇太后懷子
 御陵名 : 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)
 陵  形 : 方丘

800p1060285

御陵の周りを

眺めていると

杜の間から

「金閣寺」背後の

「大文字山」にある

「左大文字」が見えた。

この辺りに住んでいる人は

自宅から「送り火」が見えるのだろう。

良い場所だ。

800p1060281_2

今日は

気温が低く

肌寒い天気だった。

周りで鳴く「コオロギ」も

慌ただしく聞こえた。

明日も

この辺りの御陵を

回ってみようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大報恩寺(千本釈迦堂)に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

大報恩寺(千本釈迦堂)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

15分ほど歩いた「五辻通」に

「大報恩寺」(だいほうおんじ)がある。

「北野天満宮」から

5分ほどの距離だ。

800p1060174

「今出川通」から

門前通りを進み

交差する「五辻通」の

石畳の先に山門がある。

「山門」は

他の寺院でも見かける

ごく普通の山門だ。

800p1060176

「大報恩寺」(だいほうおんじ)

 別称:千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)

 創建:承久三年(1221年)求法上人義空によって創建。

 本尊:釈迦如来(重要文化財)

 山号:瑞応山(ずいおうざん)。

 宗派:真言宗智山派

800p1060178

山門をくぐると

その先には「本堂」(釈迦堂)があるが

「おかめ桜」と呼ばれる「枝垂れ桜」の大木が

「本堂」を覆い隠している。

800p1060197

800p1060195

「おかめ桜」の枝垂れをくぐると

「本堂」(釈迦堂)前に到着する。

800p1060212

国宝の「本堂」(釈迦堂)は

京都市に残る最も古い

仏教建築といわれている。

800p1060177

鎌倉時代初期建立の

入母屋造、檜皮葺の「本堂」は

傷みもなく美しい景観を保っている。

800p1060260

先ずは

「本堂」に上がり

ご本尊(釈迦如来坐像)に御参りした。

800p1060228

「大報恩寺」は

「応仁の乱」で

ほとんどの堂宇が焼失したが

唯一「本堂」はその難を逃れたという。

「本堂」には行快作の

本尊「釈迦如来坐像」が安置されており

これが「千本釈迦堂」の名の由来となっている。

800p1060237

「本堂」には

多くの刀や槍の傷跡がある。

800p1060232

応仁の乱では

西軍がこの辺りに陣を張り

この「千本釈迦堂」を本営とした。

 ※以後この辺りを「西陣」と呼ぶ。

柱や壁に刻まれた無数の傷跡は

応仁の乱で戦った兵士が残したものだそうだ。

800p1060233

「本堂」内から眺めると

「おかめ桜」の枝垂れが美しい。

桜の季節には

ぜひ訪れたい「枝垂れ桜」だ。

800p1060226

本堂の廊下には

数々の「おかめ人形」が飾られている。

800p1060243
これらの「おかめ人形」は

全国から奉納されたものだそうだ。

「千本釈迦堂」には

「おかめ」についての悲話が伝えられている。

800p1060244

境内には「おかめ塚」がある。

由緒書き等によると

鎌倉時代「本堂」を造営しているとき

大工の棟梁・長井飛騨守高次は

信徒から寄進された大事な心柱の1本を

うっかり短く切ってしまった。

途方に暮れていた夫を見かね

妻のおかめ(阿亀)がある助言をした。

4本すべての柱を短く切り頂上部に柱を継ぎ足して

長さを補えばいいのではないかと。

この画期的な着想によって本堂は無事完成し

高次は大任を果たすことができた。

しかし、当時は男性中心の社会で

おかめは、女が夫の仕事に口を出したこと

そして女の口添えで完成したことが世間に知れては

夫の名声に傷が付くと考えすべてを秘密にするため

上棟式前日に自ら命を絶ったという。

高次は妻の心情にうたれ

上棟式当日、御幣の先に

おかめの名にちなんだ福面を飾り妻の冥福を祈った。

この言い伝えから、大工の信仰を集め

現代でも上棟式には

御幣におかめの面を付けて

建築工事成就を祈るようになったという話だ。

800p1060202
大報恩寺(千本釈迦堂)
 瑞応山と号する真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂の名で知られている。
 承久三年(一二二一)藤原秀衡の孫、義空上人が、猫間中納言光隆の家卒、岸高より寄進を受けたこの地に小堂を立て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起こりといわれている。当初、倶舎、天台、真言の三宗の霊場として、堂塔迦藍も整い、壮麗を極めたが、応仁の乱をはじめ、度々の災火のため堂宇を消失してしまった。
 現在唯一残る本堂(釈迦堂)は、本市に現存する最古の仏堂遺構で、国宝に指定されている。
 堂内には、行快作の本尊釈迦如来坐像を安置、また霊宝殿内には快慶作の十大弟子像をはじめ、六観音菩薩像、千手観音立像、銅像釈迦誕生仏立像など数多くの文化財を所蔵している。
 また、毎年、二月にはおかめ福節分会、七月には陶器供養、八月には六道まいり、一二月には大根焚きなど多彩な行事が営まれ、多くの人々で賑わう。

800p1060201

おかめ塚由来
鎌倉時代の初め西洞院一条上るの辺りで長井飛騨守髙次という洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻阿亀が住んでいた。
その頃、義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本尊を建立することになり、髙次が総棟梁に選ばれ造営工事は着々と進んでいったが、髙次ほどの名人も”千慮の一失”というべきか信徒寄進の四天柱の一本を誤って短く切り落としてしまった。
心憂の毎日を過ごしている夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録を思い出し、「いっそ斗供をほどこせば」という一言。
この着想が結果として成功をおさめ見事な大堂の骨組みが出来上がった。  
安貞元年12月26日、厳粛な上棟式が行われたが、この日を待たずしておかめは自ら自刃して果てた。
女の提言により棟梁としての大任を果たし得たという事が世間にもれ聞こえては……「この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。  
髙次は上棟の日、亡き妻の面を御幣につけて飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれ、また、この阿亀の話を伝え聞いた人々は貞淑で才智にたけた阿亀の最期に同情の涙を流して菩提を弔うため境内に宝筐院塔を建立し、誰言うともなくこれを「おかめ塚」と呼ぶようになった。  
現在、京都を中心として使用されているおかめの面の上棟御幣は阿亀の特により、”家宅の火災除け”家内安全と繁栄を祈って始められたものです。
また、おかめの徳は、”災いを転じて福となす”というところから、建築成就工事安全、女一代厄難消滅、商人の商売繁栄などの招福信仰として全国を風靡するところとなっています。  
なお、昭和五四年の春、有志により阿亀の大像が造立され福徳の像として祀られ”おかめ信仰”の輪が一層広がっております。

800p1060206

今日は

ハッキリしない天気だったが

風が涼しく心地良かった。

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋彼岸。沼津へ出かけた。2017

彼岸の墓参りに出かけた。

行楽シーズンには

まだ早いと思うが

新幹線ホームは混雑していた。

三島駅で

在来線に乗り換え

沼津駅を出ると

雲が空を覆っていた。

途中「浅間神社」に参拝し

菩提寺

「乗運寺」に到着した。

800p1060342

山門をくぐると

数人の人達が

何やら楽しげに話していた。

墓参りに訪れた家族だろう。

800p1060345

先ずは

本堂にお参りした。

境内の木々は

葉先が色づき

少しずつ

秋が進んでいた。

800p1060355
「木槿」は

花数が多く

そろそろ終盤だろう。

800p1060430
境内の「彼岸花」は今が見頃。

墓地内でも

真っ赤な花を咲かせていた。

当家の墓は

墓掃除は済んでいるので

水を取り替え

墓参りを終えた。

800p1060362

墓参りの後は

「千本浜」へ向かった。

公園の

何時ものベンチで一休み。

最近は

アニメ(ラブライブ!サンシャイン!!)の影響で

訪れる人が増えたようだ。

それに伴い

園内のゴミが増えたように思う。

800p1060379_2
公園の

「彼岸花」も見頃だった。

最近は

株数が少なくなり

少し寂しくなったと思う。

800p1060373_2

一休みの後は

「千本浜」へ向かった。

800p1060385

千本浜は。

先日の台風18号による

流木も少なかったようだ。

800p1060415

霞が消え始め

「大瀬崎」もハッキリ見えた。

防潮堤の

何時もの場所に座り

暫く海を眺めた。

800p1060417

「富士山」も姿を現し

静かな「千本浜」だった。

800p1060411

帰りは

沼津駅で「干物」を購入。

少し早いが

昼前の新幹線で帰途に就く。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石像寺(釘抜地蔵)に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

石像寺(釘抜地蔵)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

20分ほど歩いた「千本通」に

「石像寺」(しゃくぞうじ)がある。

「北野天満宮」から

15分ほどの距離だ。

800p1060086

「石像寺」 (しゃくぞうじ)

弘法大師(空海)によって弘仁一〇年(819)創建。

 本尊:地蔵菩薩。

 山号:家隆山(かりゅうざん)。

 詳名:家隆山光明遍照院石像寺

 (かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)

 通称:釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)

800p1060088

「千本通」から

うっかり通り過ぎてしまいそうな

路地の石畳の先に中門があり

その先に小さな境内がある。

800p1060112

小さな境内には

小さな本堂がある。

すでに多くのお年寄りが

御参りに訪れていた。

800p1060106

地蔵堂前には

大きな「釘抜きの像」がある。

「石像寺」の本尊は

空海が唐から持ち帰った

石を刻んだとされている地蔵菩薩である。

この地蔵は苦しみを抜き取るということから

苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ

いつしかそれが訛って

「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったと言うことだ。

粋な洒落だ。

800p1060100

本堂の外壁は

奉納絵馬で埋めつくされている。

800p1060094

願を掛け

体や心の痛みや苦しみがなくなった人は

「八寸釘」と「釘抜」を貼り付けた絵馬を

奉納する習わしとなっている。

御利益があるようで新しい物も多い。

私が参拝している間も

お百度参りをする青年がいた。

見るからに心を病んでいそうな

30代前半と思しき青年は

回数を数える竹の棒を握りしめ

何かを一心に祈りながら

本堂の周りを回っていた。

彼の願いが叶うことを祈る。

800p1060095

本堂の裏手には

鎌倉時代につくられた

「石像弥陀三尊像」(重要文化財)がある。

一つの石から掘り出した石仏としては

日本最古のものといわれる石像だ。

さらに奥には

弘法大師が掘ったといわれる井戸や

平安時代に住んでいたとされる

歌人の藤原定家・家隆の墓もある。

800p1060098

御参りを終え

休息所で一休みした。

休息所は工事中で

現在はテント張りの仮休息所だ。

休息所には

参拝者の為にお茶が置かれ

自由にお茶が飲める様になっている。

隣に座った老婦人が

私にお茶を入れてくれた。

一時間ほど老婦人の話の相手をした。

休息所での

参拝者同士の会話が

ストレス緩和に役立っているのだろう。

境内は

昔懐かしい雰囲気が漂い

穏やかな空気に包まれていた。

ほっとする懐かしい気持ちになった。

800p1060091

【石像寺(釘抜地蔵)】
 正しくは光明遍照院石像寺(こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)という浄土宗の寺院で「釘抜地蔵」「くぎぬきさん」として親しまれている。
弘法大使(空海)の開基と伝えられ、もと真言宗であったが、重源上人(ちょうげんしょうにん)が中興してから浄土宗となった。
 地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩立像は弘法大師の作と伝えられ、諸々(もろもろ)の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜地蔵(くぬきじぞう)と呼ばれていたが、それがなまって釘抜地蔵となった。 一説には、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる。
 地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)(重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、 中尊の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)は高さ約一.二メートル、元仁元年(一二二四) 伊勢権守(いせごんのかみ)、佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、 翌年、開眼(かいげん)供養した銘がある。
観音堂には行基(ぎょうき)の作と伝えられる観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀っている。
 境内には、弘法大師三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。
また、この地は鎌倉時代初期の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)、家隆(いえたか)が住んだ所ともいわれており、定家らの墓と伝えるものがある。

800p1060114

今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北野天満宮に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

北野天満宮へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「今出川通」に

「北野天満宮」(きたのてんまんぐう)がある。

800p1060085

御祭神
 菅原道真公

全国に約1万2000社ある

天満宮、天神社の総本社だ。

800p1060083

「一の鳥居」から石畳を進むと

「三の鳥居」の先に「楼門」がある。

800p1060122

「楼門」は桃山時代の様式で

門の両側には彩色された

随神(ずいしん)の像が置かれている。

800p1060125

「楼門」上部には

菅原道真公を褒め称える言葉

 『文道大祖 風月本主』
 (ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)

の扁額が掲げられている。

800p1050984

「楼門」から左に折れ

「絵馬所」前の石畳を進むと

「三光門」(重要文化財)がある。

中門とも呼ばれる「三光門」は

慶長十二年(1607)に豊臣秀頼が

建立したと伝えられている。

800p1060132_2

「三光門」の扁額「天満宮」は

「後西天皇」が書かれたものだそうだ。

 ※後西天皇(ごさいてんのう)
  第111代天皇
  在位:承応三年(1655年)~寛文三年(1663年)

800p1050972

「三光門」をくぐると「本殿」(国宝)がある。

「本殿」前は

現在工事中で

全貌は見えないが

左に「紅梅」

右には「松」が植えられている。

「本殿」とのバランスが美しい。

800p1060141

先ずは

奥に進み

「本殿」に参拝した。

桃山様式の「本殿」は

慶長十二年(1607)に

秀吉の遺志を受け継ぎ

豊臣秀頼が造営したといわれている。

美しい「本殿」だ。

800p1060136
参拝を終え

休息所を兼ねている

「絵馬所」で一休みした。

800p1060145

  【北野天満宮絵馬所】
 北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、慶長十二年(1607)に再建されたもので。その後。元禄十三年(1700)から翌年にかけて大修理が行われている。現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられたものである。
建築当所は、現在の位置より北に、棟を南北に通して建ち、また、屋根も現在は桟瓦葺であるが、当初は木の板で葺いた木賊葺(とくさぶき)であった。
 この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構としてとして貴重である。

800p1060127

「絵馬所」外壁には

「三十六歌仙」の額絵が掲げられている。

何となく見れば

他の奉納額と同じように

木板に描かれているように見えるが

これは

西陣織で織り込んだものだ。

ここから東は「西陣」の地。

職人の高度な技術の集大成だ。

素晴らしい作品だと思う。

800p1060152

「絵馬所」内には

多くの奉納額が掲げられているが

西の端の目立たないところに

謎の奉納額がある。

新選組の隊旗「誠」の文字の

モデルになったとも言われる奉納額だ。

現代ではよく見るような書体だが

当時は斬新な書体で

近藤勇が気に入ったのだろう。

800p1060147

奉納額を眺めた後

「絵馬所」の縁台に座り

参拝者を眺めながら一休みした。

「北野天満宮」と言えば学問の神様。

やはり学生の参拝者が目立って多い。

800p1060154

「本殿」の北に

牛舎「一願成就のお牛さん」がある。

ここには大勢の中学生が参拝していた。

800p1050951

「お牛さん」を撫でると

一つだけ願いがかなうと言われる神様だ。

800p1060076

後ろには

大量の「絵馬」が奉納されている。

殆どが

中学・高校・大学入試だ。

中には

感心なことに

合格後の「お礼絵馬」もある。

若い人達の

エネルギーを感じた。

800p1060071

【北野天満宮】(きたのてんまんぐう)
 菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。  
 天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大茶会を催した。  
 本殿(国宝)は、豊臣秀頼が、慶長12年(1607)に造営したもので、権現造(ごんげんづくり)の代表的遺構である。また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇筆の勅額「天満宮」を掲げている。
 宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻(国宝)などの貴重な文化財を蔵している。  
 毎年2月25日には梅花祭、10月14日には瑞饋祭(ずいきまつり)が催されるほか、毎月25日の道真公の命日には多くの参拝者で賑う。

800p1060043

参拝後は

北門近くにある

「文子天満宮」に寄った。

(あやこ てんまんぐう)

800p1050921

御祭神
 菅原道真公

800p1050920

境内は

参拝者は少ない。

先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

ゆるりと参拝した。

この神社の本宮は

京都駅前の「渉成園」近くにあるが

「北野天満宮」の発祥神社だ。

私も本宮には度々参拝するが

ここの神社にはあまり参拝したことがない。

「北野天満宮」参拝時には

必ず参拝したいと思った。

800p1050923

今日は

「金閣寺」まで

「西大路通」を往復し

6,000歩ほど歩いた。

「釘抜地蔵」に御参りして帰ろうと思ったが

「北野天満宮」を覗いてみると

空いていたので寄ってみた。

意外にのんびりでき

楽しかった。

800p1050915

今日は

日射しは強いが

風も涼しく

心地良い天気だった。

明日は

「釘抜地蔵」に

御参りしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平野神社に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

平野神社へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「西大路道」に

「平野神社」(ひらのじんじゃ)がある。

「北野天満宮」北門から

2分ほどの距離だ。

800p1050908

御祭神
 今木皇大神(いまきのすめおおかみ)
                源気新生、活力生成の神
 久度大神(くどのおおかみ)
                台所・食事の神
 古開大神(ふるあきのおおかみ)
                邪気を振り開く平安の神
 比賣大神(ひめのおおかみ)
                生産力の神

800p1050905

本殿は

国の重要文化財に指定されている。

800p1050842

鳥居をくぐると

朱色の灯籠が立ち並ぶ

参道の先に神門がある。

800p1050910

神門をくぐると

桜の木に囲まれた

境内の中央に拝殿がある。

800p1050846

拝殿では

桜のライトアップ期間には

桜コンサートなども開催されるという。

拝殿の奥が本殿だ。

800p1050849

本殿は

4殿2棟からなる「平野造」と称される

独特の形式の造りで

荘厳な雰囲気の

美しい神社だ。

神紋も赤い桜紋だ。

800p1050855

先ずは

拝殿から奥に進み

本殿へ参拝した。

この神社は

古くから桜の社として知られ

魁桜という品種を筆頭に

胡蝶、一葉、寝覚、御衣黄

当社発祥の衣笠など約60種類

400本あまりの桜が境内を埋め尽くす。

花祭の時期は人が多いので

来られるかどうか分からないが

機会があったら見に来たいと思った。

800p1050870

【平野神社】
 平安遷都に伴って奈良の平城京からこの地に移された神社で、祭紙として、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比買神(ひめのかみ)四神を祀っている。平安時代中期には、伊勢、賀茂(上賀茂、下鴨)、石清水、松尾に次ぐ名社に数えられた。
 桜の名所として名高く、古くから各公家伝来の桜が奉納されたことから、境内には約五十種、約四百本の桜が植えられており、「平野の夜桜」として親しまれている。早咲きの品種は三月中旬、遅咲きの品種は四月二十日ごろに咲くといわれ、約一箇月間花見ができる。
 歴代の朝廷に大変暑く崇敬され、律令の施行細目を定める「延喜式(えんぎしき)」で皇太子御親祭とされたほか、源氏や平氏をはじめ諸子の氏神としても崇められた。
 本殿(重要文化財)は、寛永年間(一六二四〜一六四四)に建築されたもので、春日造(かすがづくり)の四殿を並べ、二殿ずつが「合の間」で連結されており、「平野造」(ひらのづくり)又は「比翼春日造」(ひよくかすがづくり)と呼ばれている。南門は慶安四年(一六五一)に御所の旧門を下賜されたもので、昭和一八年(一九四三)に現在の大鳥居の位置から移築された。
 寛和元年(九八五)四月十日に花山天皇が桜をお手植えされたことにちなみ、毎年四月十日には桜祭りが行われ、多くの人でにぎわう。

800p1050830

参拝を終え

西門から出ようと

桜並木を歩くと

左手にカバンを持ち

杖を軽くつきながら歩く

老紳士とすれ違った

私もあんな風になりたいと思った。

800p1050834

今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

来週も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大将軍八神社に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

大将軍八神社へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた大将軍商店街(妖怪ストリート)に

「大将軍八神社」(だいしょうぐんはちじんじゃ)がある。

「北野天満宮」から5分ほどの場所だ。

800p1050778

御祭神
 大将軍(方位神としての素戔鳴尊/牛頭天王)
 太歳神(たいさいしん) (天忍穂耳命)
 大陰神(たいおんじん) (市杵嶋姫命)
 歳刑神(さいぎょうしん)(田心媛命)
 歳破神(さいはしん)  (湍津姫命)
 歳殺神(さいせつしん) (天穂日神)
 黄幡神(おうはんじん) (活津彦根神)
 豹尾神(ひょうびしん) (熊野櫲樟日命)

800p1050779

狭い一条通から

直ぐに楼門がある。

楼門からは

石畳の先に本殿が見える。

800p1050828

こぢんまりとした境内だ。

鳥居から本殿まで

一直線に石畳が延び

両側に

摂末社と社務所が並ぶ。

800p1050787

平安遷都時

都の方除け乾(戌亥・北西)の

天門守護として造営されたという。

両側の松の神木と

権現造の本殿のバランスが美しい。

800p1050823

先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

本殿に参拝した。

800p1050794

この神社は

他の神社とは

少し雰囲気が違う神社だ。

境内に入り

直ぐに目につくのが

本殿前の「六芒星」だ。

「八卦」(はっけ)が彫られた

八角形の台座に置かれているが

方位を表すなら

4の倍数になるはずだが

なぜ「六芒星」なのだろうか。

謎の神社だ。

800p1050792

参拝を終え

本殿裏へ廻ると

「六将軍神像」を祀る

方徳殿という建物がある。

ここには

平安時代中期から末期の制作といわれる

木造大将軍神像 80躯(重要文化財)がある。

すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像

束帯姿の像、童子形の像など計80体を数えるという。

まだ見たことがないので

公開日には来たいと思う。

 ※公開日:毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日

800p1050801_3

【大将軍八神社】
 当社は、平安建都の際に都城の方除【ほうよけ】守護神として造営されたのが始まりとされ、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社と改められ、更に大将軍八神社となって現在に至っている。
 大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位をつかさどる神である。このため、建築・移動・旅行などに関し、方除け、厄除けの神として世間の崇敬を集め、その時々の権力者達も当社を厚遇したといわれている。
 当社には、平安時代中期から末期にかけての大将軍信仰高潮期に奉製されたと思われる「神像」百余体が所蔵されている。このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて八十体が昭和四七年(1972)に重要文化財に指定された。いずれの像も、独特の表情、装束で異彩を放っており、興味深い。また陰陽道に基づく、古天文歴道資料(府指定文化財)も蔵されている。

800p1050783

【大将軍八神社畧記】
御創建 人皇第五十代桓武天皇延暦十三年(西暦794)勅願により御創建された。
御祭神 星神大将軍をはじめ、方位八神を奉祀。
御由緒 平安京御造二際し桓武天皇は陰陽道を重く用いられ都を方位の厄災から守護する為内裏裏の北西角の大門に当るこの地に道教の星神を祀る大将軍堂を建立された。
 以来朝野の崇敬を篤く受け全国的に大将軍信仰は広まる事となった。中世応仁の乱後は神社として復興し江戸時代に入ると大将軍はそれ迄の星の大将としての妙見(北極星)信仰から太白星(金星)に移りさらに歴神(八将神)と習合して社名も大将軍八神宮と称した。
 明治の改正では陰陽道等は廃されたため御祭神は素戔嗚尊を主神に御子神八神を祀る神社となった。
 社殿は天文年間の旧建物を昭和の初めに八棟権現造の現社殿に造替した。
 方徳殿に立体曼荼羅様に祀られる大将軍像は道教密教神道の混淆した独特の神像で国の重要文化財に指定されている。 御神徳 大将軍は建築をはじめ人事一般方位に関わる全ての厄災を解除され八方開運にみちびく方除・厄除の御霊験あらたかな神である。
御例祭 十月第三日曜日に神幸祭が斎行され大神輿ずいき神輿等が巡行する。

800p1050780

さて。

九月に入り

風が北西に変わった。

まだ日射しは強いが

吹く風は涼しかった。

800p1050809

明日は

平野神社へ

参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »