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2017年9月

石像寺(釘抜地蔵)に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

石像寺(釘抜地蔵)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

20分ほど歩いた「千本通」に

「石像寺」(しゃくぞうじ)がある。

「北野天満宮」から

15分ほどの距離だ。

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「石像寺」 (しゃくぞうじ)

弘法大師(空海)によって弘仁一〇年(819)創建。

 本尊:地蔵菩薩。

 山号:家隆山(かりゅうざん)。

 詳名:家隆山光明遍照院石像寺

 (かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)

 通称:釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)

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「千本通」から

うっかり通り過ぎてしまいそうな

路地の石畳の先に中門があり

その先に小さな境内がある。

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小さな境内には

小さな本堂がある。

すでに多くのお年寄りが

御参りに訪れていた。

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地蔵堂前には

大きな「釘抜きの像」がある。

「石像寺」の本尊は

空海が唐から持ち帰った

石を刻んだとされている地蔵菩薩である。

この地蔵は苦しみを抜き取るということから

苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ

いつしかそれが訛って

「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったと言うことだ。

粋な洒落だ。

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本堂の外壁は

奉納絵馬で埋めつくされている。

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願を掛け

体や心の痛みや苦しみがなくなった人は

「八寸釘」と「釘抜」を貼り付けた絵馬を

奉納する習わしとなっている。

御利益があるようで新しい物も多い。

私が参拝している間も

お百度参りをする青年がいた。

見るからに心を病んでいそうな

30代前半と思しき青年は

回数を数える竹の棒を握りしめ

何かを一心に祈りながら

本堂の周りを回っていた。

彼の願いが叶うことを祈る。

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本堂の裏手には

鎌倉時代につくられた

「石像弥陀三尊像」(重要文化財)がある。

一つの石から掘り出した石仏としては

日本最古のものといわれる石像だ。

さらに奥には

弘法大師が掘ったといわれる井戸や

平安時代に住んでいたとされる

歌人の藤原定家・家隆の墓もある。

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御参りを終え

休息所で一休みした。

休息所は工事中で

現在はテント張りの仮休息所だ。

休息所には

参拝者の為にお茶が置かれ

自由にお茶が飲める様になっている。

隣に座った老婦人が

私にお茶を入れてくれた。

一時間ほど老婦人の話の相手をした。

休息所での

参拝者同士の会話が

ストレス緩和に役立っているのだろう。

境内は

昔懐かしい雰囲気が漂い

穏やかな空気に包まれていた。

ほっとする懐かしい気持ちになった。

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【石像寺(釘抜地蔵)】
 正しくは光明遍照院石像寺(こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)という浄土宗の寺院で「釘抜地蔵」「くぎぬきさん」として親しまれている。
弘法大使(空海)の開基と伝えられ、もと真言宗であったが、重源上人(ちょうげんしょうにん)が中興してから浄土宗となった。
 地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩立像は弘法大師の作と伝えられ、諸々(もろもろ)の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜地蔵(くぬきじぞう)と呼ばれていたが、それがなまって釘抜地蔵となった。 一説には、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる。
 地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)(重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、 中尊の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)は高さ約一.二メートル、元仁元年(一二二四) 伊勢権守(いせごんのかみ)、佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、 翌年、開眼(かいげん)供養した銘がある。
観音堂には行基(ぎょうき)の作と伝えられる観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀っている。
 境内には、弘法大師三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。
また、この地は鎌倉時代初期の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)、家隆(いえたか)が住んだ所ともいわれており、定家らの墓と伝えるものがある。

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今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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北野天満宮に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

北野天満宮へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「今出川通」に

「北野天満宮」(きたのてんまんぐう)がある。

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御祭神
 菅原道真公

全国に約1万2000社ある

天満宮、天神社の総本社だ。

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「一の鳥居」から石畳を進むと

「三の鳥居」の先に「楼門」がある。

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「楼門」は桃山時代の様式で

門の両側には彩色された

随神(ずいしん)の像が置かれている。

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「楼門」上部には

菅原道真公を褒め称える言葉

 『文道大祖 風月本主』
 (ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)

の扁額が掲げられている。

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「楼門」から左に折れ

「絵馬所」前の石畳を進むと

「三光門」(重要文化財)がある。

中門とも呼ばれる「三光門」は

慶長十二年(1607)に豊臣秀頼が

建立したと伝えられている。

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「三光門」の扁額「天満宮」は

「後西天皇」が書かれたものだそうだ。

 ※後西天皇(ごさいてんのう)
  第111代天皇
  在位:承応三年(1655年)~寛文三年(1663年)

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「三光門」をくぐると「本殿」(国宝)がある。

「本殿」前は

現在工事中で

全貌は見えないが

左に「紅梅」

右には「松」が植えられている。

「本殿」とのバランスが美しい。

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先ずは

奥に進み

「本殿」に参拝した。

桃山様式の「本殿」は

慶長十二年(1607)に

秀吉の遺志を受け継ぎ

豊臣秀頼が造営したといわれている。

美しい「本殿」だ。

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参拝を終え

休息所を兼ねている

「絵馬所」で一休みした。

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  【北野天満宮絵馬所】
 北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、慶長十二年(1607)に再建されたもので。その後。元禄十三年(1700)から翌年にかけて大修理が行われている。現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられたものである。
建築当所は、現在の位置より北に、棟を南北に通して建ち、また、屋根も現在は桟瓦葺であるが、当初は木の板で葺いた木賊葺(とくさぶき)であった。
 この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構としてとして貴重である。

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「絵馬所」外壁には

「三十六歌仙」の額絵が掲げられている。

何となく見れば

他の奉納額と同じように

木板に描かれているように見えるが

これは

西陣織で織り込んだものだ。

ここから東は「西陣」の地。

職人の高度な技術の集大成だ。

素晴らしい作品だと思う。

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「絵馬所」内には

多くの奉納額が掲げられているが

西の端の目立たないところに

謎の奉納額がある。

新選組の隊旗「誠」の文字の

モデルになったとも言われる奉納額だ。

現代ではよく見るような書体だが

当時は斬新な書体で

近藤勇が気に入ったのだろう。

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奉納額を眺めた後

「絵馬所」の縁台に座り

参拝者を眺めながら一休みした。

「北野天満宮」と言えば学問の神様。

やはり学生の参拝者が目立って多い。

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「本殿」の北に

牛舎「一願成就のお牛さん」がある。

ここには大勢の中学生が参拝していた。

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「お牛さん」を撫でると

一つだけ願いがかなうと言われる神様だ。

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後ろには

大量の「絵馬」が奉納されている。

殆どが

中学・高校・大学入試だ。

中には

感心なことに

合格後の「お礼絵馬」もある。

若い人達の

エネルギーを感じた。

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【北野天満宮】(きたのてんまんぐう)
 菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。  
 天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大茶会を催した。  
 本殿(国宝)は、豊臣秀頼が、慶長12年(1607)に造営したもので、権現造(ごんげんづくり)の代表的遺構である。また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇筆の勅額「天満宮」を掲げている。
 宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻(国宝)などの貴重な文化財を蔵している。  
 毎年2月25日には梅花祭、10月14日には瑞饋祭(ずいきまつり)が催されるほか、毎月25日の道真公の命日には多くの参拝者で賑う。

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参拝後は

北門近くにある

「文子天満宮」に寄った。

(あやこ てんまんぐう)

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御祭神
 菅原道真公

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境内は

参拝者は少ない。

先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

ゆるりと参拝した。

この神社の本宮は

京都駅前の「渉成園」近くにあるが

「北野天満宮」の発祥神社だ。

私も本宮には度々参拝するが

ここの神社にはあまり参拝したことがない。

「北野天満宮」参拝時には

必ず参拝したいと思った。

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今日は

「金閣寺」まで

「西大路通」を往復し

6,000歩ほど歩いた。

「釘抜地蔵」に御参りして帰ろうと思ったが

「北野天満宮」を覗いてみると

空いていたので寄ってみた。

意外にのんびりでき

楽しかった。

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今日は

日射しは強いが

風も涼しく

心地良い天気だった。

明日は

「釘抜地蔵」に

御参りしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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平野神社に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

平野神社へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「西大路道」に

「平野神社」(ひらのじんじゃ)がある。

「北野天満宮」北門から

2分ほどの距離だ。

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御祭神
 今木皇大神(いまきのすめおおかみ)
                源気新生、活力生成の神
 久度大神(くどのおおかみ)
                台所・食事の神
 古開大神(ふるあきのおおかみ)
                邪気を振り開く平安の神
 比賣大神(ひめのおおかみ)
                生産力の神

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本殿は

国の重要文化財に指定されている。

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鳥居をくぐると

朱色の灯籠が立ち並ぶ

参道の先に神門がある。

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神門をくぐると

桜の木に囲まれた

境内の中央に拝殿がある。

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拝殿では

桜のライトアップ期間には

桜コンサートなども開催されるという。

拝殿の奥が本殿だ。

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本殿は

4殿2棟からなる「平野造」と称される

独特の形式の造りで

荘厳な雰囲気の

美しい神社だ。

神紋も赤い桜紋だ。

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先ずは

拝殿から奥に進み

本殿へ参拝した。

この神社は

古くから桜の社として知られ

魁桜という品種を筆頭に

胡蝶、一葉、寝覚、御衣黄

当社発祥の衣笠など約60種類

400本あまりの桜が境内を埋め尽くす。

花祭の時期は人が多いので

来られるかどうか分からないが

機会があったら見に来たいと思った。

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【平野神社】
 平安遷都に伴って奈良の平城京からこの地に移された神社で、祭紙として、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比買神(ひめのかみ)四神を祀っている。平安時代中期には、伊勢、賀茂(上賀茂、下鴨)、石清水、松尾に次ぐ名社に数えられた。
 桜の名所として名高く、古くから各公家伝来の桜が奉納されたことから、境内には約五十種、約四百本の桜が植えられており、「平野の夜桜」として親しまれている。早咲きの品種は三月中旬、遅咲きの品種は四月二十日ごろに咲くといわれ、約一箇月間花見ができる。
 歴代の朝廷に大変暑く崇敬され、律令の施行細目を定める「延喜式(えんぎしき)」で皇太子御親祭とされたほか、源氏や平氏をはじめ諸子の氏神としても崇められた。
 本殿(重要文化財)は、寛永年間(一六二四〜一六四四)に建築されたもので、春日造(かすがづくり)の四殿を並べ、二殿ずつが「合の間」で連結されており、「平野造」(ひらのづくり)又は「比翼春日造」(ひよくかすがづくり)と呼ばれている。南門は慶安四年(一六五一)に御所の旧門を下賜されたもので、昭和一八年(一九四三)に現在の大鳥居の位置から移築された。
 寛和元年(九八五)四月十日に花山天皇が桜をお手植えされたことにちなみ、毎年四月十日には桜祭りが行われ、多くの人でにぎわう。

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参拝を終え

西門から出ようと

桜並木を歩くと

左手にカバンを持ち

杖を軽くつきながら歩く

老紳士とすれ違った

私もあんな風になりたいと思った。

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今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

来週も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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大将軍八神社に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

大将軍八神社へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた大将軍商店街(妖怪ストリート)に

「大将軍八神社」(だいしょうぐんはちじんじゃ)がある。

「北野天満宮」から5分ほどの場所だ。

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御祭神
 大将軍(方位神としての素戔鳴尊/牛頭天王)
 太歳神(たいさいしん) (天忍穂耳命)
 大陰神(たいおんじん) (市杵嶋姫命)
 歳刑神(さいぎょうしん)(田心媛命)
 歳破神(さいはしん)  (湍津姫命)
 歳殺神(さいせつしん) (天穂日神)
 黄幡神(おうはんじん) (活津彦根神)
 豹尾神(ひょうびしん) (熊野櫲樟日命)

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狭い一条通から

直ぐに楼門がある。

楼門からは

石畳の先に本殿が見える。

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こぢんまりとした境内だ。

鳥居から本殿まで

一直線に石畳が延び

両側に

摂末社と社務所が並ぶ。

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平安遷都時

都の方除け乾(戌亥・北西)の

天門守護として造営されたという。

両側の松の神木と

権現造の本殿のバランスが美しい。

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先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

本殿に参拝した。

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この神社は

他の神社とは

少し雰囲気が違う神社だ。

境内に入り

直ぐに目につくのが

本殿前の「六芒星」だ。

「八卦」(はっけ)が彫られた

八角形の台座に置かれているが

方位を表すなら

4の倍数になるはずだが

なぜ「六芒星」なのだろうか。

謎の神社だ。

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参拝を終え

本殿裏へ廻ると

「六将軍神像」を祀る

方徳殿という建物がある。

ここには

平安時代中期から末期の制作といわれる

木造大将軍神像 80躯(重要文化財)がある。

すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像

束帯姿の像、童子形の像など計80体を数えるという。

まだ見たことがないので

公開日には来たいと思う。

 ※公開日:毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日

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【大将軍八神社】
 当社は、平安建都の際に都城の方除【ほうよけ】守護神として造営されたのが始まりとされ、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社と改められ、更に大将軍八神社となって現在に至っている。
 大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位をつかさどる神である。このため、建築・移動・旅行などに関し、方除け、厄除けの神として世間の崇敬を集め、その時々の権力者達も当社を厚遇したといわれている。
 当社には、平安時代中期から末期にかけての大将軍信仰高潮期に奉製されたと思われる「神像」百余体が所蔵されている。このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて八十体が昭和四七年(1972)に重要文化財に指定された。いずれの像も、独特の表情、装束で異彩を放っており、興味深い。また陰陽道に基づく、古天文歴道資料(府指定文化財)も蔵されている。

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【大将軍八神社畧記】
御創建 人皇第五十代桓武天皇延暦十三年(西暦794)勅願により御創建された。
御祭神 星神大将軍をはじめ、方位八神を奉祀。
御由緒 平安京御造二際し桓武天皇は陰陽道を重く用いられ都を方位の厄災から守護する為内裏裏の北西角の大門に当るこの地に道教の星神を祀る大将軍堂を建立された。
 以来朝野の崇敬を篤く受け全国的に大将軍信仰は広まる事となった。中世応仁の乱後は神社として復興し江戸時代に入ると大将軍はそれ迄の星の大将としての妙見(北極星)信仰から太白星(金星)に移りさらに歴神(八将神)と習合して社名も大将軍八神宮と称した。
 明治の改正では陰陽道等は廃されたため御祭神は素戔嗚尊を主神に御子神八神を祀る神社となった。
 社殿は天文年間の旧建物を昭和の初めに八棟権現造の現社殿に造替した。
 方徳殿に立体曼荼羅様に祀られる大将軍像は道教密教神道の混淆した独特の神像で国の重要文化財に指定されている。 御神徳 大将軍は建築をはじめ人事一般方位に関わる全ての厄災を解除され八方開運にみちびく方除・厄除の御霊験あらたかな神である。
御例祭 十月第三日曜日に神幸祭が斎行され大神輿ずいき神輿等が巡行する。

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さて。

九月に入り

風が北西に変わった。

まだ日射しは強いが

吹く風は涼しかった。

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明日は

平野神社へ

参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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