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2017年8月

沼津へ出かけた。2017 晩夏

沼津へ出かけた。

八月も終盤になると

すでに2学期が始まった

中学・高校も多い。

新幹線ホームも

混雑が緩和されはじめた。

三島駅で

在来線に乗り換え

沼津駅を出ると

青空に白い雲がたなびいていた。

途中の

「浅間神社」に参拝し

菩提寺

「乗運寺」に到着した。

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「乗運寺」境内は

蝉の鳴き声が少なくなった。

本堂前には

季節の花「木槿」(ムクゲ)が

可憐な花を咲かせていた。

「ムクゲ」は

奈良時代から栽培記録が残る歴史ある花だ。

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「ムクゲ」の花言葉は

一つは「信念」だ。

「ムクゲ」の古い学名は「タチアオイ」。

十二世紀ごろ

十字軍のシリア遠征の際に

タチアオイが持参されたことに由来する。

二つ目は「新しい美」だ。

新たな花が次々と咲き続けることに由来する。

ムクゲは早朝に花を開き

夕方にはしぼんでしまうことから、

人の世の短い栄華のたとえで

「槿花一朝の夢」と表現されている。

 ※謹花(キンカ)=ムクゲ

「ムクゲ」は

新たな花が次々と咲き続けるので

秋までの長期間楽しむことができる。

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本堂に御参りし

境内を眺めると

毎年変わらぬ景色に心が和む。

そういえば。

当寺の総本山「知恩院」には

しばらく参拝していないので

近いうちに行こうと思った。

 総本山:知恩院(京都)
 大本山:増上寺(東京)金戒光明寺(京都)知恩寺(京都)
      清浄華院(京都)善導寺(久留米)光明寺(鎌倉)
      善光寺大本願(長野)

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墓地内には

「芙蓉」が大輪をつけていた。

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当家の墓は

供えられた花が

暑さで枯れかけていた。

花を取り替え

墓参りを終えた。

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墓参りの後は

千本浜公園の

何時ものベンチで一休みした。

園内の

刈り取られ短くなった夏草も

新芽が伸び

何度目かの夏草に

覆われ始めていた。

広い公園の

管理は大変だろうと思った。

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ベンチで一休みのあとは

お決まりの千本浜へ行った。

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千本浜の海と空は

まだ真夏の装いだった。

少し視界が悪いが

大瀬崎が霞に浮かんで見えた。

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防潮堤の

何時もの場所に座り

暫く海を眺めていたが

暑さに耐えられず

早々に退散。

昼過ぎの新幹線で帰途に就く。

 

 Photo : Lumix TX1

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木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)へでかけた。

JR「太秦駅」から

30分ほど歩いた「太子道」に

「木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)」がある。

最寄り駅の京福電鉄(通称:嵐電)「蚕ノ社駅」なら

5分ほどの距離だ。

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鳥居脇にある

大きい石柱には

「木嶋坐天照御魂神社」

(このしまにます あまてる みたまじんじゃ)

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小さい石柱は

「蠶神社」(かいこじんじゃ)となっている。

「由緒書」や

三条通りの鳥居には

「蚕養神社」(こかいじんじゃ)となっているが

これも「こかいじんじゃ」と読むのだろうか。

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この神社は

「木嶋坐天照御魂神社」と

「蚕養神社」を祀る(相殿)神社だ。

沼津にある

浅間・丸子神社(浅間神社・丸子神社)と

同じと思えばわかりやすい。

社名が「木嶋坐天照御魂神社」と長いので

「木嶋神社」(このしまじんじゃ)とか

「蚕の杜」(かいこのやしろ)と呼ばれている。

白木の鳥居をくぐり

石造りの太鼓橋を渡ると

長い石畳の先の森に「拝殿」が見える。

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「拝殿」は瓦葺きで

仏閣の作りのようだ。

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鬼瓦には二葉葵が描かれているが

肉眼では蓮の花と蕾のように見える。

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「拝殿」奥の森の中に

「本殿」がある。

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「本殿」の「提灯」にも

二葉葵が描かれている。

下賀茂神社の紋と同じだそうだ。

これはこの太秦の地を支配していた

秦氏と鴨氏との繋がりから来ているようだ。

下鴨神社の摂社・河合神社の祭神(玉依姫命)は

元は秦氏の祭神で

賀茂氏が秦氏の婿となった関係からということだ。

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先ずは

「木嶋坐天照御魂神社」に参拝した。

 御祭神

 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 大国魂神(おおくにたまのかみ)
 穂々出見命(ほほでみのみこと)
 鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
 瓊々杵尊(ににぎのみこと)

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次に右側の社殿の

「蚕養神社」(蚕ノ社)に参拝。

 御祭神 : 養蚕、織物、染色の祖神

西暦372年。渡来した秦氏が

養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。

その報恩と繁栄を祈るため

養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。

養蚕、織物、染色の守護神だ。

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「蚕養神社」(蚕ノ社)前の石積みに

石碑が埋め込まれている。

それには

『西陣 文化十年 縮縮緬仲間』とある。

    「ちじみ ちりめん なかま」

当時の西陣の縮緬業の組合が

報恩と繁栄を祈るため奉納したものだろう。

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さて。

この神社は

諸説飛び交う

ミステリアスな神社だ。

参拝を済ませ

「本殿」を下がると

左に小さな鳥居がある。

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鳥居をくぐると

温泉場にある足湯場のような浅い池がある。

「元糺の池」(もとただすのいけ)と称される神池だ。

糺には「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味があり

身滌(心身を浄める)の行場となっている。

夏最初の「土用の丑の日」に

この神池に手足を浸すと

諸病にかからぬと云う

俗信仰がある。

昔は

湧き水が池を流れたようだが

現在は枯れ池となっている。

神事を行う「土用の丑の日」には水を入れるという。

幸い週末の雷雨で

水が入った状態を見られラッキーだった。

この神池を

ユダヤ教の教会(シナゴーグ)にある

「禊ぎ池」(ミクバ)と同じだと

考察する研究者も居るようだ。

それはそれとして

神社で参詣者が

手や口を漱ぎ清める

「手水舎」の原形と言えるのではないだろうか。

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「元糺の池」の中に

珍しい形の鳥居がある。

鳥居を3基組み合わせた

「三柱鳥居」(みはしらとりい)だ。

三方から中心の神座を拝することが

できる形式の鳥居で「京都三鳥居」の1つだ。

 「京都三鳥居」
   木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居
   京都御苑の厳島神社の唐破風鳥居
   北野天満宮境内社の伴氏社の石造鳥居

中央の神座は

円錐形に小石を積み

御幣を立てて依代(よりしろ)としたものである。

この鳥居の起源等は詳らかでなく

秦氏の聖地である松尾山(松尾大社)

稲荷山(伏見稲荷大社)の

遥拝方位を表したとする説などがある。

現在のものは

享保年間に修復されたものだが

それ以前の

「北斎漫画」の

「三才鳥居」絵には

木造の鳥居として描かれている。

不思議な鳥居だ。

ユダヤ教の遺物と考察する人もいるが

「由緒書」によれば

景教(キリスト教の一派ネストル教)の

遺物ではないかと伝われている。

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他にも

何かが刻まれている

六角形の石があったり

不思議な井戸があったり。

キリスト教・ユダヤ教・諸説紛々の

謎の神社だ。

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【木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)境内】
(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)(かいこのやしろ)
  この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内 社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。
 「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されてい ることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
 この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・ 機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿 の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」も それにちなんだ社名である。
 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多か ったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」など の文献からうかがい知ることができる。
 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を 取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元 糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居 の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
 例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏季土用の丑の日には、 この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
 市内でも最古に属する当神社は、境内 から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の 姿をよくとどめており、京都発展に大き な役割を果してきた秦氏との関連を含め、 大へん貴重なものとして昭和60年6月 1日に京都市の史跡に指定された。
   推定面積11,131㎡
   京都市

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【木島座天照御魂神社】
 延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神穂々見出命・鵜茅葺不合命・瓊々杵尊)を祀っている。創建年月日は不詳であるが「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたと思われる古社である。天之御中主神を主として奉り、上は天神に至り下は地神に渉り、御魂の総徳を感じて天照御魂神と称し奉り、廣隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる。
 学問の神であり払いの神でもある。
【蚕養神社(蚕ノ社)】 本殿右側の社殿
 雄略天皇の御代(1500年前)秦酒公呉国(今の中国南部)より漢織・呉織を召し秦氏の諸族と供に数多くの絹、綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜るこの地を太秦と称し、推古天皇の御代に至り、その報恩と繁栄を祈るための養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。
 養蚕、織物、染色の守護神である。
【元糺の池】(もとただすのいけ)
境内に「元糺の池」と称する神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う。糺には「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で此の神池は身滌(身に罪や穢のある時に心身を浄める)の行場である。
夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬと云う俗信仰がある。
【三柱鳥居】
 全国唯一の鳥居である。鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することが出来るよう建立されている。創立年月は不詳であるが現在の鳥居は享保年間(約300年前)に修復されたものである。
 一説には景教(キリスト教の一派ネストル教・約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと伝われている。

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参拝を終え

入り口鳥居へ戻ると

鳥居の隅に

「椿丘大明神」と彫られた石柱がある。

「由緒書」もない謎の神社だ。

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入り口の駒狐は

左は巻物、右は珠をくわえている。

稲荷神社だ。

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太鼓橋を渡り

鳥居をくぐると

祠がいくつかある広場がある。

油揚の匂いがプンプン漂い

ただならぬ雰囲気だ。

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中央の一番大きな祠には

「白清社」の文字が書かれていた。

半地下構造で

中は薄暗く

何か出てきそうな雰囲気だ。

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入ってみると

中は石室構造になっていた。

油揚の匂いが強すぎる。

カチャカチャと鈴を鳴らし

急ぎ参拝した。

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(後で調べてみると)

1.祀られているのは白清稲荷。

2.この近くの「天塚古墳」から移築されたもの。

3.半地下石室構造になっているのは古墳の石室を再現。

※「天塚古墳」では石室にお稲荷さんを祀っていた。

  秦氏が天照国照彦天火明櫛玉饒速日ノ命

  (天火明命の別名)を祀り、その後、伏見稲荷を祀った。

  それらの総称が伯清稲荷大明神。養蚕稲荷ともいわれている。

  「天塚古墳」は古墳全体が伯清稲荷大明神の神域になっている。

  明治20年「天塚古墳」を調査したとき

  祀られていたお稲荷さんを

  「木嶋坐天照御魂神社」境内に移築した。

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さてさて。

今回は

少年の好奇心を

擽るような神社だった。

楽しかったが

帰宅後の

由緒調べに

時間を費やし

少々疲れた。

 

 Photo : Lumix TX1

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後龜山天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

後龜山天皇陵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた小倉山麓に

御陵参道の入り口がある。

「祇王寺」から5分ほどの距離だ。

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入り口から

「嵯峨有心堂」(某家の別荘)の塀と

市道に挟まれた参道を上がると

御陵がある。

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御陵は

小倉山の山林に

埋もれるように建っている。

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【後龜山天皇嵯峨小倉陵】

(ごかめやまてんのう さがのおぐらのみささぎ)

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御陵は

先日の

「龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵」と比べ

簡素な作りだ。

どういう基準で作られているのだろうか。

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参拝者は私一人だった。

先ずはゆるりと参拝した。

 代  数 : 第99代
 天皇名 : 後龜山天皇(ごかめやまてんのう)
 御  父 : 後村上天皇
 御  母 : 嘉喜門院藤原氏
 御陵名 : 嵯峨小倉陵(さがのおぐらのみささぎ)
 陵  形 : 五輪塔

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楼門が無いので

鳥居の背後に

陵墓(五輪塔)を見ることができる。

五輪塔も簡素に思った。

山林の中にあるせいか

吹く風が涼しかった。

頭上で鳴く鶯も

夏の終わりの鳴き声に聞こえた。

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御陵参拝のあと

二尊院近くの

蓮沼に寄ってみた。

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京都の蓮はもう終わりだが

此所は株の数が多いので

まだ蓮の花を見ることができた。

それでも

蕾も少なくなったので

此所ももう終盤だろう。

沼の周りではコオロギも鳴き出し

そろそろ夏も終わりに感じた。

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お盆と言っても

嵯峨野散策道は

相変わらず観光客が多い。

私は

人の多い観光ルートを避け

観光客の居ない脇道を歩く。

それでも

迷い込んだ外国人観光客に

道を聞かれる事が多い。

通常は

発音に気をつけて丁寧に説明するが

疲れているときは

単語を並べた棒読み英語で説明する。

それが意外に通じ

思わず笑った。

 

 Photo : Lumix TX1

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龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

龜山天皇陵・後嵯峨天皇陵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど歩いた「天龍寺」境内に

御陵の入り口がある。

御陵入り口は

「天龍寺」の墓地の中門を兼ねている。

中門は一般観光客は立ち入り禁止となっており

竹柵で遮断されているが

墓参者と御陵参拝者は立入可能だ。

何年か前までは

立ち入り自由だったが

外国人観光客の増加に伴い

このような処置になったのだろう。

私もこの主旨に従い

外国人観光客が後に付いて入ってこないよう

大勢の外国人観光客が途切れるのを待ち

竹柵をくぐった。

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「中門」から

「天龍寺」墓地に至る参道の途中に

御陵の入り口がある

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【龜山天皇亀山陵】

(かめやまてんのう かめやまのみささぎ)

【後嵯峨天皇嵯峨南陵】

(ごさがてんのう さがのみなみのみささぎ)

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御陵は

「龜山天皇」と「後嵯峨天皇」が

親子仲良く並んでいる。

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【龜山天皇陵】

向かって左が

「龜山天皇陵」だ。

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代  数 : 第90代
天皇名 : 龜山天皇(かめやまてんのう)
御  父 : 後嵯峨天皇
御  母 : 皇后 姞子
御陵名 : 龜山陵(かめやまのみささぎ)
陵  形 : 方形堂

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木造の楼門はタメ色に塗られ

張られた金箔が優美な気品を醸し出している。

先ずは「龜山天皇陵」に参拝した。

遺骨は、五つに分けられ、

三つは嵯峨に、残りは南禅寺と

高野山に納められているという。

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【後嵯峨天皇陵】

次に

向かって右が

「後嵯峨天皇陵」だ。

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代  数 : 第88代
天皇名 : 後嵯峨天皇(ごさがてんのう)
御  父 : 土御門天皇
御  母 : 贈皇太后通子
御陵名 : 嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)
陵  形 : 方形堂

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「後嵯峨天皇陵」も

「亀山天皇陵」と同じ作りになっている。

写真だけでは見分けは付かない。

「後嵯峨天皇陵」にもゆっくり参拝し

本日の御陵参拝を終えた。

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今日は

曇り空だったが

風が弱く暑い日だった。

帰りに食べた

「かき氷」で一息ついた。

明日は

「後亀山天皇陵」に参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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大酒神社に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

大酒神社へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「府道131号」沿いに

「大酒神社」(おおさけじんじゃ)がある。

広隆寺から3分ほどの距離だ。

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祭神は

「秦始皇帝」「弓月王」「秦酒公」。

秦始皇帝を祀っているのはこの神社だけだろう。

弓月王(ゆんずきのきみ)は

百済から18,670余人を率いて渡来した秦氏の先祖。

秦酒公(はたのさけきみ)は弓月王の孫。

古くは,「大辟(おおさけ)神社」と称されていたが

秦酒公を祭神とされたことから「大酒神社」に改められた。

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鳥居は

柱が八角形の「八角柱鳥居」だ。

近くの「蚕ノ社」(木嶋坐天照御魂神社)の

「三柱鳥居」の柱も八角形だった。

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鳥居をくぐると「手水舎」があるが

水は出ていなかった。

参拝者は少ないようだ。

横の珍しい形の石碑は

皇紀2600年祈念碑だ。

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「手水舎」の林の奥に「本殿」がある。

三角形の敷地に

巧みに配置されている。

昔は「広隆寺」境内にあったが

明治期の「神仏分離令」でここに遷された。

昭和40年代の道路拡張工事で

現在の形になったようだ。

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秦氏の氏神にしては

小さな本殿だと思う。

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先ずはカチャカチャと鈴を鳴らし

「本殿」に参拝した。

秦氏が渡来したのは

西暦372年。古墳時代だ。

こぢんまりとした神社だが

他の神社とは違う歴史を感じた。

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 【大酒神社】
  祭神 秦始皇帝、弓月王、秦酒公
  相殿 兄媛命、弟媛命(呉服女、漢織女)
  神階 正一位、治歴四年四月(一〇六八年)
当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社 (元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六 年)皇帝十四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、日本朝 の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。 これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生れた。
 后の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇十四年(三 七二年)百済より百二十七県の民衆一万八千六百七十余人 統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す。又、弓月王 の孫酒公は、秦氏諸族を率て蚕を養い、呉服漢織に依って 絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積し て山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさ)と言う言葉で 酒公に禹豆麻佐の姓を賜う。数多の絹綾を織出したる呉服 漢織の神霊を祀りし社を大酒神社の側にありしが明暦年中 破壊に及びしを以て、当社に合祭す。
 機織のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入 するに力め、農耕、造酒、土木、管絋、工匠等産業発達に 大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
  今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
 広隆寺建立后、寺内、桂宮院(国宝)境内に鎮守の社と して祀られていたが、明治初年制令に依り神社仏閣が分離 され、現在地に移し祀られる。現在広隆寺で十月十日に行 われる、京都三大奇祭の一つである牛祭りは、以前広隆寺 の伽藍神であった当社の祭礼である。
 尚、六〇三年広隆寺建立者 秦河勝は酒公の六代目の孫。
 又、大宝元年(七〇一年)子孫秦忌寸都理が松尾大社を 創立、和銅四年(七一三年)秦伊呂具が伏見稲荷大社を建 立した。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国 に文明文化の発展に貢献した。秦氏族の祖神である。

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来週は「お盆」だが

当家の「お盆」は済んでいる。

家でゴロゴロしたいが

叱られるので

暑くない日を選び

御陵巡りをしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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廣隆寺に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

廣隆寺へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「太秦」交差点前に

「廣隆寺」(こうりゅうじ)がある。

京福電鉄(通称:嵐電)「太秦広隆寺駅」なら

1分ほどの距離だ。

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「楼門」は

五叉路の「太秦」交差点前にあり

交通量が多い三条通りには

京福電鉄「嵐山本線」の

路面電車が通っている。

かっては太秦の中心部だったのだろう。

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楼門を入ると

境内から大勢の観光客の

騒がしい外国語が聞こえてきた。

楼門の仁王像を眺めながら

騒がしい団体の観光客が

掃けるのを待っていると

京福電鉄「帷子ノ辻行き」の

電車が通り過ぎた。

楼門を吹き抜ける風が涼しかった。

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掃き清められた境内は

寺院とは思えない雰囲気が漂っている。

広大な神社のようだ。

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境内には

国宝1号に指定された

「弥勒菩薩半跏像」をはじめ

国宝:二十点

重文:四十八点

文化財の宝庫だ。

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「太子殿」(本殿)は

楼門から150mほどある。

途中にある

「地蔵堂」と「講堂」(重文)に御参りし

「太子殿」(本殿)に到着した。

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先ずは階段を上がり

「太子殿」に御参りした。

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廣隆寺は

蜂岡寺(はちおかでら)秦公寺(はたのきみでら)

太秦寺(うずまさでら)などの別称があり

太秦廣隆寺とも呼ばれている。

渡来人系の秦氏の氏寺で

平安京遷都以前から存在した

京都最古の寺院だ。

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廊下には

多数の「奉納額」が掛けられている。

古い物は

字が擦れて読めないが

明治期の物が多いようだ。

組合組織の「奉納額」が多い。

寺の歴史が窺い知れる。

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何を意味するのか

「五芒星」の「奉納額」もある。

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「太子殿」に御参りの後は

国宝、重文が納められた

「霊宝殿」へ向かった。

入り口には

寺院には珍しい

石作りの「太鼓橋」がある。

 ※水は流れていない

ここから先は

神域ということだろう。

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「太鼓橋」を渡り

国宝「桂宮院」前を過ぎると

旧「霊宝殿」の前に

立派な掲示舎がある。

殆どの人は通り過ぎるが

ここには「十善戒」が掲示してある。

十善戒(じゅうぜんかい)とは

仏教における十悪を否定して戒律としたものだ。

読んでみると

当たり前のことが書かれているが

中にはつい忘れがちのこともある。

これを「モーセの十戒」と言う人もいるが

半分同じで半分違うというところだろ。

「十善戒」が作られたのは

江戸末期ということだから

「モーセの十戒」の影響が

無いとは言えないとは思う。

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【十善戒】
 不殺生(ふせっしょう) 生きものを殺しません
 不偸盗(ふちゅうとう) ものを盗みません
 不邪淫(ふじゃいん) みだらな男女の関係をしません
 不妄語(ふもうご) うそいつわりを言いません
 不綺語(ふきご) たわごとを言いません
 不悪口(ふあっく) 人の悪口を言いません
 不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌をつかいません
 不慳貪(ふけんどん) ものを慳(おし)み貪(むさぼ)りません
 不瞋恚(ふしんに) 怒り憎むことをしません
 不邪見(ふじゃけん) 間違った考え方をしません

【モーセの十戒】
 第1戒 わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 第2戒 偶像を造ってはならない
 第3戒 主の御名を、みだりに唱えてはならない。
 第4戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
 第5戒 あなたの父と母を敬え。
 第6戒 殺してはならない。
 第7戒 姦淫してはならない。
 第8戒 盗んではならない。
 第9戒 偽りの証言をしてはならない。
 第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

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旧「霊宝殿」の横に

新「霊宝殿」がある。

どの寺院でも

国宝や重文などは

防火防犯設備が整った

収蔵庫に収められている。

廣隆寺でも

国宝:二十点、重文:四十八点は

この「霊宝殿」に納められている。

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館内には

日本一美しいと言われている

御本尊「弥勒菩薩半跏思惟像」(国宝1号)が

半跏思惟という、台に片足を降ろした状態で座り

中央に安置されていた。

  『※中学教科書掲載のあの仏像』

「秦河勝」が聖徳太子より贈られた仏像を

本尊として広隆寺を開いたが

その仏像が「弥勒菩薩半跏思惟像」だということだ。

館内は薄暗く

神秘的な雰囲気で

中央のベンチには

二人の外国人が瞑想していた。

他の神社仏閣でも

日本人より外国人の

瞑想者が多いと思った。

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さて。

秦氏は中国からの

渡来人とはいわれるが

館内にある

目鼻立ちがはっきりした

「秦河勝像」(重文)を見ると

私にはそうとは思えなかった。

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【廣隆寺】(こうりゅうじ)
推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般的に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇十六年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも務め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして、"和を似って貴しと偽す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民俗の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。

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今日は

比較的過ごしやすい日だったが

写真を撮るため

人が途切れるのを待つのに

少々疲れた。

この後

近くの

「大酒神社」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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