« 後龜山天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都) | トップページ | 沼津へ出かけた。2017 晩夏 »

木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)へでかけた。

JR「太秦駅」から

30分ほど歩いた「太子道」に

「木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)」がある。

最寄り駅の京福電鉄(通称:嵐電)「蚕ノ社駅」なら

5分ほどの距離だ。

800p1050576

鳥居脇にある

大きい石柱には

「木嶋坐天照御魂神社」

(このしまにます あまてる みたまじんじゃ)

800p1050676

小さい石柱は

「蠶神社」(かいこじんじゃ)となっている。

「由緒書」や

三条通りの鳥居には

「蚕養神社」(こかいじんじゃ)となっているが

これも「こかいじんじゃ」と読むのだろうか。

800p1050674

この神社は

「木嶋坐天照御魂神社」と

「蚕養神社」を祀る(相殿)神社だ。

沼津にある

浅間・丸子神社(浅間神社・丸子神社)と

同じと思えばわかりやすい。

社名が「木嶋坐天照御魂神社」と長いので

「木嶋神社」(このしまじんじゃ)とか

「蚕の杜」(かいこのやしろ)と呼ばれている。

白木の鳥居をくぐり

石造りの太鼓橋を渡ると

長い石畳の先の森に「拝殿」が見える。

800p1050579

「拝殿」は瓦葺きで

仏閣の作りのようだ。

800p1050637

鬼瓦には二葉葵が描かれているが

肉眼では蓮の花と蕾のように見える。

800p1050638
「拝殿」奥の森の中に

「本殿」がある。

800p1050595

「本殿」の「提灯」にも

二葉葵が描かれている。

下賀茂神社の紋と同じだそうだ。

これはこの太秦の地を支配していた

秦氏と鴨氏との繋がりから来ているようだ。

下鴨神社の摂社・河合神社の祭神(玉依姫命)は

元は秦氏の祭神で

賀茂氏が秦氏の婿となった関係からということだ。

800p1050618
先ずは

「木嶋坐天照御魂神社」に参拝した。

 御祭神

 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 大国魂神(おおくにたまのかみ)
 穂々出見命(ほほでみのみこと)
 鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
 瓊々杵尊(ににぎのみこと)

800p1050617

次に右側の社殿の

「蚕養神社」(蚕ノ社)に参拝。

 御祭神 : 養蚕、織物、染色の祖神

西暦372年。渡来した秦氏が

養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。

その報恩と繁栄を祈るため

養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。

養蚕、織物、染色の守護神だ。

800p1050620

「蚕養神社」(蚕ノ社)前の石積みに

石碑が埋め込まれている。

それには

『西陣 文化十年 縮縮緬仲間』とある。

    「ちじみ ちりめん なかま」

当時の西陣の縮緬業の組合が

報恩と繁栄を祈るため奉納したものだろう。

800p1050614

さて。

この神社は

諸説飛び交う

ミステリアスな神社だ。

参拝を済ませ

「本殿」を下がると

左に小さな鳥居がある。

800p1050600

鳥居をくぐると

温泉場にある足湯場のような浅い池がある。

「元糺の池」(もとただすのいけ)と称される神池だ。

糺には「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味があり

身滌(心身を浄める)の行場となっている。

夏最初の「土用の丑の日」に

この神池に手足を浸すと

諸病にかからぬと云う

俗信仰がある。

昔は

湧き水が池を流れたようだが

現在は枯れ池となっている。

神事を行う「土用の丑の日」には水を入れるという。

幸い週末の雷雨で

水が入った状態を見られラッキーだった。

この神池を

ユダヤ教の教会(シナゴーグ)にある

「禊ぎ池」(ミクバ)と同じだと

考察する研究者も居るようだ。

それはそれとして

神社で参詣者が

手や口を漱ぎ清める

「手水舎」の原形と言えるのではないだろうか。

800p1050596
「元糺の池」の中に

珍しい形の鳥居がある。

鳥居を3基組み合わせた

「三柱鳥居」(みはしらとりい)だ。

三方から中心の神座を拝することが

できる形式の鳥居で「京都三鳥居」の1つだ。

 「京都三鳥居」
   木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居
   京都御苑の厳島神社の唐破風鳥居
   北野天満宮境内社の伴氏社の石造鳥居

中央の神座は

円錐形に小石を積み

御幣を立てて依代(よりしろ)としたものである。

この鳥居の起源等は詳らかでなく

秦氏の聖地である松尾山(松尾大社)

稲荷山(伏見稲荷大社)の

遥拝方位を表したとする説などがある。

現在のものは

享保年間に修復されたものだが

それ以前の

「北斎漫画」の

「三才鳥居」絵には

木造の鳥居として描かれている。

不思議な鳥居だ。

ユダヤ教の遺物と考察する人もいるが

「由緒書」によれば

景教(キリスト教の一派ネストル教)の

遺物ではないかと伝われている。

800p1050610

他にも

何かが刻まれている

六角形の石があったり

不思議な井戸があったり。

キリスト教・ユダヤ教・諸説紛々の

謎の神社だ。

800p1050662

【木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)境内】
(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)(かいこのやしろ)
  この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内 社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。
 「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されてい ることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
 この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・ 機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿 の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」も それにちなんだ社名である。
 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多か ったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」など の文献からうかがい知ることができる。
 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を 取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元 糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居 の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
 例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏季土用の丑の日には、 この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
 市内でも最古に属する当神社は、境内 から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の 姿をよくとどめており、京都発展に大き な役割を果してきた秦氏との関連を含め、 大へん貴重なものとして昭和60年6月 1日に京都市の史跡に指定された。
   推定面積11,131㎡
   京都市

800p1050581
【木島座天照御魂神社】
 延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神穂々見出命・鵜茅葺不合命・瓊々杵尊)を祀っている。創建年月日は不詳であるが「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたと思われる古社である。天之御中主神を主として奉り、上は天神に至り下は地神に渉り、御魂の総徳を感じて天照御魂神と称し奉り、廣隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる。
 学問の神であり払いの神でもある。
【蚕養神社(蚕ノ社)】 本殿右側の社殿
 雄略天皇の御代(1500年前)秦酒公呉国(今の中国南部)より漢織・呉織を召し秦氏の諸族と供に数多くの絹、綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜るこの地を太秦と称し、推古天皇の御代に至り、その報恩と繁栄を祈るための養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。
 養蚕、織物、染色の守護神である。
【元糺の池】(もとただすのいけ)
境内に「元糺の池」と称する神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う。糺には「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で此の神池は身滌(身に罪や穢のある時に心身を浄める)の行場である。
夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬと云う俗信仰がある。
【三柱鳥居】
 全国唯一の鳥居である。鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することが出来るよう建立されている。創立年月は不詳であるが現在の鳥居は享保年間(約300年前)に修復されたものである。
 一説には景教(キリスト教の一派ネストル教・約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと伝われている。

800p1050578

参拝を終え

入り口鳥居へ戻ると

鳥居の隅に

「椿丘大明神」と彫られた石柱がある。

「由緒書」もない謎の神社だ。

800p1050643

入り口の駒狐は

左は巻物、右は珠をくわえている。

稲荷神社だ。

800p1050641

太鼓橋を渡り

鳥居をくぐると

祠がいくつかある広場がある。

油揚の匂いがプンプン漂い

ただならぬ雰囲気だ。

800p1050656

中央の一番大きな祠には

「白清社」の文字が書かれていた。

半地下構造で

中は薄暗く

何か出てきそうな雰囲気だ。

800p1050649

入ってみると

中は石室構造になっていた。

油揚の匂いが強すぎる。

カチャカチャと鈴を鳴らし

急ぎ参拝した。

800p1050655

(後で調べてみると)

1.祀られているのは白清稲荷。

2.この近くの「天塚古墳」から移築されたもの。

3.半地下石室構造になっているのは古墳の石室を再現。

※「天塚古墳」では石室にお稲荷さんを祀っていた。

  秦氏が天照国照彦天火明櫛玉饒速日ノ命

  (天火明命の別名)を祀り、その後、伏見稲荷を祀った。

  それらの総称が伯清稲荷大明神。養蚕稲荷ともいわれている。

  「天塚古墳」は古墳全体が伯清稲荷大明神の神域になっている。

  明治20年「天塚古墳」を調査したとき

  祀られていたお稲荷さんを

  「木嶋坐天照御魂神社」境内に移築した。

800p1050678

さてさて。

今回は

少年の好奇心を

擽るような神社だった。

楽しかったが

帰宅後の

由緒調べに

時間を費やし

少々疲れた。

 

 Photo : Lumix TX1

|

« 後龜山天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都) | トップページ | 沼津へ出かけた。2017 晩夏 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/566318/65682234

この記事へのトラックバック一覧です: 木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)に参拝。2017 晩夏(京都):

« 後龜山天皇陵に参拝。2017 晩夏(京都) | トップページ | 沼津へ出かけた。2017 晩夏 »