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大酒神社に参拝。2017 晩夏(京都)

今日の散歩。

大酒神社へでかけた。

JR「太秦駅」から

15分ほど歩いた「府道131号」沿いに

「大酒神社」(おおさけじんじゃ)がある。

広隆寺から3分ほどの距離だ。

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祭神は

「秦始皇帝」「弓月王」「秦酒公」。

秦始皇帝を祀っているのはこの神社だけだろう。

弓月王(ゆんずきのきみ)は

百済から18,670余人を率いて渡来した秦氏の先祖。

秦酒公(はたのさけきみ)は弓月王の孫。

古くは,「大辟(おおさけ)神社」と称されていたが

秦酒公を祭神とされたことから「大酒神社」に改められた。

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鳥居は

柱が八角形の「八角鳥居」だ。

近くの「蚕ノ社」(秦氏創建)の

三角鳥居の柱も八角形だった。

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鳥居をくぐると「手水舎」があるが

水は出ていなかった。

参拝者は少ないようだ。

横の珍しい形の石碑は

皇紀2600年祈念碑だ。

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「手水舎」の林の奥に「本殿」がある。

三角形の敷地に

巧みに配置されている。

昔は「広隆寺」境内にあったが

明治期の「神仏分離令」でここに遷された。

昭和40年代の道路拡張工事で

現在の形になったようだ。

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秦氏の氏神にしては

小さな本殿だと思う。

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先ずはカチャカチャと鈴を鳴らし

「本殿」に参拝した。

秦氏が渡来したのは

西暦372年。古墳時代だ。

こぢんまりとした神社だが

他の神社とは違う歴史を感じた。

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 【大酒神社】
  祭神 秦始皇帝、弓月王、秦酒公
  相殿 兄媛命、弟媛命(呉服女、漢織女)
  神階 正一位、治歴四年四月(一〇六八年)
当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社 (元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六 年)皇帝十四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、日本朝 の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。 これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生れた。
 后の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇十四年(三 七二年)百済より百二十七県の民衆一万八千六百七十余人 統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す。又、弓月王 の孫酒公は、秦氏諸族を率て蚕を養い、呉服漢織に依って 絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積し て山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさ)と言う言葉で 酒公に禹豆麻佐の姓を賜う。数多の絹綾を織出したる呉服 漢織の神霊を祀りし社を大酒神社の側にありしが明暦年中 破壊に及びしを以て、当社に合祭す。
 機織のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入 するに力め、農耕、造酒、土木、管絋、工匠等産業発達に 大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
  今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
 広隆寺建立后、寺内、桂宮院(国宝)境内に鎮守の社と して祀られていたが、明治初年制令に依り神社仏閣が分離 され、現在地に移し祀られる。現在広隆寺で十月十日に行 われる、京都三大奇祭の一つである牛祭りは、以前広隆寺 の伽藍神であった当社の祭礼である。
 尚、六〇三年広隆寺建立者 秦河勝は酒公の六代目の孫。
 又、大宝元年(七〇一年)子孫秦忌寸都理が松尾大社を 創立、和銅四年(七一三年)秦伊呂具が伏見稲荷大社を建 立した。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国 に文明文化の発展に貢献した。秦氏族の祖神である。

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来週は「お盆」だが

当家の「お盆」は済んでいる。

家でゴロゴロしたいが

叱られるので

暑くない日を選び

御陵巡りをしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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