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2017年5月

安倍晴明公墓所に参拝。2017 晩春(京都)

今日の散歩。

「安倍晴明公墓所」に参拝した。

JR「嵯峨嵐山駅」から

10分ほど歩いた住宅街の中に

「安倍晴明公墓所」(あべのせいめいこう ぼしょ)がある。

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小ぢんまりとした墓所で

隣の「長慶天皇嵯峨東陵」の

東南の一角に割り込むように建っている。

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先ずは

新緑に覆われた

墓碑に参拝した。

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墓碑には

清明紋(五芒星)が刻まれ

没後一千年を経た現在も

妖光を放っていた。

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「晴明神社」(上京区)は有名だが

この「墓所」を知る人は

意外に少ない。

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「墓所」にも参拝すれば

より「清明公」に

守られるように思った。

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☆ 墓所は近年荒廃していたが昭和四十七年改修されている。

【安倍晴明墓所】
陰陽博士安倍晴明公は本邦易占天文暦学の開創にして平安朝の中期朱雀帝より一條帝に至るまで六代の帝に仕へ移り行く星雲を見て宮中の変事を○知し遠國の動静掌中にあるが如く神道自在の妙術を得られ朝野の信望極めて篤し斯くて寛弘二年九月二十六日尊齢八十五にて○幽さるを以て翠嵐の嵯峨の地を永遠の奥城として神鎮り奉ふ
後世に至るも奇しき尊き御遺徳を崇敬する者数多くあり茲に崇敬者相寄り荒廃せる墓域の改修を行ひ永年の宿願を達成す。

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「清明公墓所」参拝のあと

隣の「長慶天皇嵯峨東陵」に参拝した。

(ちょうけいてんのう さがの ひがしの みささぎ)

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他に参拝者は

居なかったので

ゆっくりと参拝できた。

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最後に付近を一廻りし

「渡月橋」を眺めながら

嵐山の新緑を楽しんだ。

吹く風が涼しかった。

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今日は一日暑い日だった。

30度を超えたという。

まだ五月だが

来週も暑くなるのだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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大河内山荘の新緑。2017 晩春(京都)

今日の散歩は

「大河内山荘」へ出かけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

竹の数より人の数が多い

「竹林の道」を通り抜けると

20分ほどで「大河内山荘」に到着する。

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大河内山荘(おおこうちさんそう)は

昔々時代劇などで知られた俳優大河内傳次郎が

別荘として造営した回遊式日本庭園だ。

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映画出演料の大半を注ぎ込み

64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけ

てこつこつと作り上げたそうだ。

大金の掛かるライフワークだ。

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小倉山の南端に位置し

静かで見晴らしが良く

庭園を覆った新緑が美しかった。

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園内の木陰は

嵯峨野にある

他の寺院とよく似た

緑の苔に覆われていた。

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新緑の中の

春紅葉のコントラストが美しかった。

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近くで鳴く

小鳥のさえずりが心地よかった。

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東には

遠くに霞かかった比叡山や

その手前に「仁和寺」の五重塔が見えた。

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西には

「桂川」対岸の

嵐山の岸壁に建つ

「大悲閣千光寺」が見える。

そのうちそのうちと思ってはいるが

なかなか行けないお寺だ。

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園内には

近年傅次郎の五十回忌に

有縁の人々によって建てられた

「妙香庵」がある。

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大河内傳次郎没後35年間

この山荘に住んだ傅次郎の妻

妙香の菩提所になっているということだ。

中では数人の

フランス語圏の観光客が

写経をしていた。

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私も写経の真似事をし

庭を眺めながら

ゆったりとした時間を楽しんだ。

畳の上は気持ちが良かった。

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【大河内 傳(伝)次郎】(おおこうち でんじろう、
1898年2月5日~1962年7月18日)

日本の映画俳優戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。

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サイレント映画時代は、『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。悲愴感ただよう演技とスピード感溢れる殺陣で、従来の時代劇スターの定型を破り、人気を不動のものとした。当たり役は丹下左膳で、トーキー時代の作品では地元の豊前訛りで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」と言う決めゼリフで人気を得た。戦後は大物の助演者として活躍した。
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今日は暑くなる予報だったので

少し早く出かけたが

10時前には焼けるような

夏の日射しだった。

帰りに食べた

ソフトクリークが美味しかった。

明日も暑くなりそうなので

近場で済まそうと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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野宮神社に参拝。 2017 晩春(京都)

今日の散歩。

「野宮神社」に参拝した。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた竹林の中に

「野宮神社」(ののみやじんじゃ)がある。

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到着したときは

まだ参拝者もまばらで

まだ早いからと安心して

神社前でひと休みしていたら

10分も経たないうちに

大勢の外国人に占拠された。

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「黒木鳥居」をくぐると

新緑に覆われた本殿がある。

先ずは本殿(野宮大神)に参拝した。

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境内には

祈りを込めて石を撫でると

1年以内に願いが達成できるという「神石」がある。

亀の形をしているところから

亀石と呼ばれている。

この「神石」の凄いのは

『1年以内に願いが達成できる』と

具体的に数値目標を宣言しているところだ。

他の神社ではあまり例がないだろう。

私も願いを込めて

何度も撫で回した。

きっと御利益があるだろう。

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「学問の神」を祀る神社だが

最近は縁結びのパワースポットとしても

注目を集め若い人達の参拝者が多い。

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見渡せば

内外の若い女性達の

参拝者が多いと思った。

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竹林に囲まれた

神秘的な雰囲気のある神社だ。

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境内彼方此方に

多くの絵馬が奉納されている。

人気のある神社だ。

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この神社は

「竹林の道」への

途中にあることから

観光ルートに入れていることもあるが

「学問の神」-(野宮大神)

「縁結びの神」-(野宮大黒天)

「子授・安産の神」-(白福稲荷)

「財運・芸能の神」-(白峰弁財天)

人生に必要な四神が

揃っているせいかも知れない。

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【野宮神社】(ののみやじんじゃ)
 伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、弁財天神を祀っている。
 歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といった。斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で一年余り潔斎されてからこの野宮に移り、三年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭【やまと】姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後北朝時代(一四世紀後半)に廃絶した。
 野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われているが、黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝えるものである。

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今日は朝から

暑くなりそうな天気で

駅から近いところにしたが

暑さと湿度で少々ばて気味だった。

体力の低下を

思い知らされた一日だった。

 

 Photo : Lumix TX1

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二尊院の新緑。2017 晩春(京都)

今日の散歩は

二尊院へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた小倉山の山腹に

「二尊院」(にそんいん)がある。

昨日御参りした

「常寂光寺」から5分ほどの距離だ。

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「総門」から向こうは

緑に覆われ先は見えなかった。

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「総門」をくぐると

「紅葉の馬場」といわれる長い参道の

「楓」のトンネルが120mほど続いている。

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「紅葉の馬場」の突きあたりに

この寺では唯一の塀が

「勅使門」まで続いている。

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塀を覆い隠す新緑が美しかった。

新緑を眺めながら

塀づたいに「本堂」へ向かった。

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塀の外れに「勅使門」(唐門)がある。

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「勅使門」の正面が「本堂」だ。

先ず「本堂」へ御参りをした。

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「本堂」の扁額「二尊院」は

「後奈良天皇」筆の勅額だ。

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応仁の乱(1467~1477)で

一度焼失した「本堂」は

「京都御所」の「紫宸殿」を模して

1507年頃に再建されたものだ。

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本堂の横には

小さな庭があった。

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庭には

紅白の「牡丹」が控えめに咲いていた。

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「本堂」前の庭に

八重桜が咲いていた。

「二尊院普賢像桜」と名付けられた桜で

五月の初めまで咲いているそうだ。

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五月の桜。

なんだか得した気分だった。

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振り返ると

塀を覆った新緑が美しかった。

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「勅使門」から少し戻り

「黒門」から眺める景色も美しかった。

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3月に来れば

「九頭竜弁財天堂」前の

姿の良い紅白の梅も美しい。

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「九頭竜弁財天堂」横の

緑のトンネルの石段を登ると

「法然上人廟」がある。

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【法然上人廟】
『法然上人行状絵図』によると、貞永2年1月25日、正信房湛空が幸阿弥陀仏が預っていた遺骨を引取りに行くと、すでに彼は九州に向かっておりいなかった。遺骨は彼の庵室の鍵のかかった塗籠に奉安されていたが鍵がかかっていた。何度開けようとしても開かなかったが、嘆きに応じてついには開いた。そして二尊院に雁塔を建てて、遺骨を納めたという。

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「法然上人」の遺骨が納められたお墓で

京都(市)には7廟あるそうだ。

 ※初葬地は「知恩院」

 ※全国に16廟

最後に「法然上人廟」へ御参りし

お暇することにした。

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帰りにくぐった「黒門」の

頭上にかかった新緑が美しかった。

いい一日だった。

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【二尊院】(にそんいん)
 天台宗の寺院。山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)という。二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来する。
 二尊院と呼ばれるのは、釈迦如来と阿弥陀如来の二体の仏像を本尊とするため。境内には伏見城の薬医門を移した総門をはじめ、堂々とした建物がいくつも建ち並び、角倉了以・伊藤仁斎など名家・文人・学者のお墓も数多くある。広い参道や石段、築地塀などは春には新緑、秋には紅葉で染まり、風情あるたたずまいをみせる。

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さて余談だが。

私の大好きな

「あんぱん」や「おはぎ」などに使われる

甘い餡子の「おぐらあん」という呼び名は

この「二尊院」や「常寂光寺」がある

「小倉山」が由来だと言われている。

 Photo : Lumix TX1

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常寂光寺の新緑。2017 晩春(京都)

今日の散歩は

常寂光寺へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた小倉山の中腹に

「常寂光寺」(じょうじゃっこうじ)がある。

Sanmon

寺の規模にしては

こぢんまりとした山門だ。

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山門を入ると

頭上にかかるモミジの新緑が美しかった。

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丁度見頃だった

山門脇の「牡丹」も美しかった。

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「仁王門」前には

左右に「仁王門」を迂回する坂道がある。

寺院内の庭園を一巡できる配置になっている。

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右は「末吉坂」という。

紅葉の季節には

坂の上から見下した

赤く染まった景色が美しい。

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正面には茅葺きの「仁王門」がある。

この「仁王門」は

山科の本圀寺(ほんこくじ)から移設されたもので

両袖の「仁王像」は若狭小浜の「長源寺」に

あったものを移したものだそうだ。

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「仁王門」をくぐり

本堂に向かって急な石段を登った。

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石段の上が本堂だ。

先ずは本堂に御参りした。

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本堂前にあるの鐘楼の

「モチツツジ」のピンクの花が可愛かった。

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本堂の裏にある池は

まるで小さな絵画のようだった。

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上の「多宝塔」に向かい

更に坂道を上った。

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途中境内を眺めると

新緑の中の春紅葉が美しかった。

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坂を上りきった所に「多宝塔」がある。

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多宝塔は

和様と禅宗様の両方の様式が取り入れられている。

直線と曲線が巧みに組み合わされ

建築デザイン的にも美しいと思った。

【多宝塔】
 桃山時代建築の重要文化財建造物。本堂背後の山腹にあり、江戸時代初期の元和6年(1620年)、京都町衆によって寄進されたと伝えられる。総高約12m、内部に釈迦、多宝二仏を安置するため、並尊閣とも呼ばれる。諸堂内部は非公開

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常寂光寺には200本以上の

イロハモミジやオオモミジが植えられ

京都でも有数の紅葉の名所だが

新緑の境内も負けず劣らず美しいと思った。

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【常寂光寺】
 慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。 什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴がある。これは小早川秀秋公より当山に納付されたものである。(非公開)

【小倉山】
 平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名であった。特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。 後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してより、嵐山は桜の名所、小倉山は紅葉と鹿の名所として親しまれてきました。
 小倉山山腹に位置する常寂光寺境内には、藤原定家の小倉山荘跡と伝えられる場所が仁王門北側に有ります。又、後世に復元された山荘の基礎石跡が多宝塔の西南上方に有り、現在は時雨亭跡の石碑が建てられています。
 明治時代頃までは、多宝塔の北側の墓地に前中書兼明親王の墓碑が存在しました。 多宝塔の西側には、木下長嘯子の歌塚が有り、歌人としても有名であった日禛上人との交流が偲ばれます。

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さて。

このあと隣の「二尊院」へ行こうと思ったが

お天気が思わしくないので

「二尊院」へは明日行くことにする。

 

 Photo : Lumix TX1

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愛宕念仏寺の新緑。2017 晩春(京都)

今日の散歩は

「愛宕念仏寺」へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

「愛宕山道」を登った山中に

「愛宕念仏寺」(おたぎねんぶつじ)がある。

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「愛宕山道」は石畳が張られ歩きやすく

沿道の新緑が美しかった。

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記憶では50分程で到着するはずだったが

途中「二尊院」と「化野念仏寺」前で

休息したので75分を要した。

老人の歩く速度はこんなものだ。

ここは既に嵯峨野の北端

ちょっと散策のつもりが

随分遠くまで来てしまった。

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「愛宕念仏寺」の山門は

江戸中期の建物で

納められている仁王像は

鎌倉時代作という。

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山門からは石段が見える。

本堂はさらにこの上だ。

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石段を見上げると

「地蔵堂」がある。

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周囲には沢山の

「羅漢像」が建ち並んでいる。

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さらに石段を登り

「地蔵堂」を経由し本堂へ辿り着く。

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境内には既に

何組かの先客(外国人参拝者)が居た。

どうやら日本人は私一人のようだ。

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「羅漢像」に取り囲まれるように

国重要文化財の本堂がある。

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先ずは本堂の

「千手観音」に御参りした。

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「本堂」の横からは

「羅漢像」が集合する広場が見える。

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「愛染橋」を渡り

階段を上がった正面が

「虚空蔵菩薩」だ。

背後の新緑が美しかった。

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「虚空蔵菩薩」の前には

沢山の「羅漢像」が

整列するように

立ち並んでいる。

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現在「羅漢像」は1,200体あるという。

一般には

釈迦の涅槃時に立ち会ったとされる

羅漢の数が五百人であったことから

「五百羅漢」というのが一般だが

ここは「千二百羅漢」だ。

初めは「五百羅漢」だったようだが

平成3年には「千二百羅漢」に増えたようだ。

ここの「羅漢像」は全て

一般参拝者自ら彫られたものだという

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1,200人の参拝者の

願いが込められているということだ。

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1,200体の全て同じものはなく

全て違う表情だ。

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中には表情が読めない像もあるが

殆どは願いが見て取れる「羅漢像」だ。

どれも優しい表情だ。

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この像は

母子の健康を願ったものだろうか。

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「羅漢像」を見てまわり

最後は新緑に囲まれた

「地蔵堂」に御参りした。

 ※平安時代から、「愛宕本地仏火除地蔵尊」として

  京の都を火災から守ってきたお地蔵様です。

  古来より伝わる、火難除けとして霊験あらたかな

  「火之要慎」の御札で知られています。

  また古くから延命地蔵さんとしても親しまれいる。

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【愛宕念仏寺】(おたぎねんぶつじ)
等覚山(とうかくざん)と号し、天台宗延暦寺派に属する。 寺伝によれば、当寺は、稱徳天皇の創建といわれ、その後、延喜11年(911)、比叡山の僧、千観阿闍梨(せんかんあじゃり)によって中興されたと伝えられている。 当初は、東山区松原通大和大路東入弓矢町の地にあったが、大正11年(1922)にこの地に移築された。 本堂(重要文化財)は、方五間、単層、入母屋造で、度々移建され、補修を加えられているが、鎌倉時代中期の和様建築の代表的遺構である。 堂内には、本尊十一面千手観音像や二十八部衆群像などを安置している。 特に、千観内供像は、口を開いて念仏唱名(しょうみょう)する千観の姿をあらわした鎌倉時代の肖像彫刻の逸品である。 また、地蔵堂には愛宕山本地仏火除地蔵菩薩像を安置している。 境内には、永正9年(1512)の造刻銘のある石塔姿をはじめ、1200体に及ぶ羅漢像が建ち並んでいる。

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昨日の無縁仏を祀った

「化野念仏寺」と違い

なんとなく

温かさを感じた

「愛宕念仏寺」だった。

 

 Photo : Lumix TX1

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化野念仏寺の新緑。2017 晩春(京都)

今日の散歩は

「化野念仏寺」へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

愛宕山道を40分ほど歩いた山中に

「化野念仏寺」(あだしのねんぶつじ)がある。

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「あだし野念仏寺」入り口参道の

緩やかな石段を登ると

山門に到着する。

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他の寺院に比べれば

素朴で簡素な山門だ。

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仏舎利塔前を通り抜けると

本堂前に墓地が広がる。

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先ずは本堂へ御参りした。

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本堂前の鐘楼をくぐると

「西院の河原」(賽の河原)と

呼ばれる無縁の石仏・石塔群がある。

境内のものを全て数えると8千体あるという。

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この石仏・石塔は

往古「あだし野」一体に

葬られた人々のお墓だ。

何百年という歳月を経て

無縁仏化し「あだし野」山野に

散乱埋没していたものをここに集め

説法を聞く人々になぞらえ配列安祀されたそうだ。

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一体々拝み見ると

いろんな表情が見てとれる。

とても中では写真を撮れる雰囲気ではなかった。

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「化野」は「あだしの」と読む。

「あだし」とは

「はかない」「むなしい」との意味だ。

「無言空白」・・・・・・・・。

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さて。

気持ちを整え境内を拝観した。

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「地蔵堂」を巡ると。

境内の新緑が美しく

提灯の赤が新緑に映え

コントラストも美しかった。

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「水子地蔵堂」横を通り竹林へ向かった。

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上の墓地への通路が

「竹林の小径」になっている。

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まっすぐ伸びた竹林の

柔らかい新緑も美しかった。

「賽の河原」での

切ない気持ちが

すーっと取れたと思った。

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【化野念仏寺】(あだしのねんぶつじ)

 華西山東漸院(かざいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内には付近から出土した多数の石塔や石仏が立ち並んでいる。
 化野は古くから鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、
   誰とても とまるべきかは あだし野の
         草の葉ごとに すがる白露
という西行の歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。
 寺伝によれば、弘仁(こうにん)年間(810~824)に、空海上人がこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山(おぐらやま)寄りを金剛界(こんごうかい)、曼荼羅山(まんだらやま)寄りを胎蔵界(たいぞうかい)に見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智山如来(ごちにょらい)と称したのが始まりといわれている。
当初は真言宗であったが、鎌倉時代の初期に法然(ほうねん)上人の常念仏道場となり浄土宗に改められ、念仏寺と呼ばれるようになった。
 正徳(しょうとく)二年(1712)に寂道(じゃくどう)上人が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像が安置されている。
 毎年8月23、24日に行われる「千灯供養」では、八千体にも及ぶ無縁の石仏等に灯が供えられ多くの参詣者でにぎわう。

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何となく重い気持ちになった

「化野念仏寺」だったが

明日は

もう一つの念仏寺

「愛宕念仏寺」へ行くことにした。

 

 Photo : Lumix TX1

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滝口寺の新緑。2017晩春(京都)

今日の散歩は

滝口寺へでかけた。

「祇王寺」御参りのあと

地続きの「滝口寺」(たきぐちでら)を御参りした。

  緑の空間「祇王寺」2017 晩春(京都)

「祇王寺」の参道を進むと

途中で「滝口寺」へ枝分かれする。

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入り口を入った所に(山門はない)

「新田義貞」の首塚がある。

鎌倉幕府を滅ぼした武将として名高い「義貞」は

越前国で流れ矢が眉間を貫通して討死にした。

首は京の三条河原で晒し首になっていたものを、

妻の「勾当内侍」(こうとうのないし)が盗み出し

この場所に葬ったと伝えられている。

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本堂への山道を登ると

彼方此方に筍が首を出していた。

周りは全て竹林だ。

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山道を登り切った広場に

新緑に覆われた本堂がある。

茅葺き屋根の小さな本堂だ。

屋根は朽ち始めている。

そろそろ葺き替えの時期だろう。

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本堂に入り御参りをし

外の景色を眺めるのが

ここの楽しみだ。

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大きく開け放たれた

戸の向こうに広がる風景が美しい。

額縁に納められた絵画のようだ。

季節ごとに変わる絵画が楽しめる。

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本堂前の林の中に「滝口入道」(斉藤時頼)と

平家一門の古びた石の供養塔が立っている。

長い歳月を伝えている。

「斉藤時頼」は平家の武士

新田義貞は源氏の武将(正式名は源 義貞)

人の縁(えにし)は不思議なものだと思った。

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【滝口寺】

当所は、もと良鎮上人の開祖にかかる往生院の子院で、三宝寺と称し浄土宗に属したが、明治維新の際、廃絶してしまった。
 かつて三宝寺には、滝口入道と横笛の悲恋物語が伝えられていたところから、滝口寺と呼ばれていた。近年、有志によって庵室が建てられ、清凉寺内の史跡となって甦った。本堂には、三宝寺遺物である滝口入道と横笛の木像を安置している。
 滝口入道は、名を斎藤時頼といい宮中の警衛に当たる滝口の武士であったが、建礼門院の雑仕女横笛を見そめて恋に陥った。しかし、彼の父はその恋を許さず、そのため時頼はわずか19歳にして往生院に入り出家したのである。横笛は、これを聞き往生院を訪ねるが、滝口入道は修業の妨げと合わず、そのため、横笛は悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良・法華寺に出家したともいう。
 滝口入道は、のち、高野山清浄院に入って高野聖となり、元禄元年(1184)紀伊勝浦での平維盛入水に立ち合っている。

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さて。

休日の散策も

楽しくなってきた。

連休で観光客は多いが

少し早く出かければ

混雑は避けられそうだ。

明日はもう少し奥へ行こうと思う。

 Photo : Lumix TX1

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緑の空間「祇王寺」2017 晩春(京都)

今日の散歩は

「祇王寺」へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

30分ほど歩いた山中に

「祇王寺」(ぎおうじ)がある。

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「祇王寺」は

竹林に囲まれた

つつましやかな「草庵」で

「平家物語」では

「平清盛」の寵愛を受けた

「祇王」が「清盛」の心変わりにより

都を追われるように去り、母(刀自)と妹(祇女)と

ともに出家入寺した「悲恋の尼寺」として知られている。

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「祇王寺」は明治初年に廃寺となったが

墓と仏像は旧地頭の「大覚寺」によって保管された。

   大覚寺の残桜。2017(京都)

「大覚寺門跡」の楠玉諦師はこれを惜しみ

再建を計画していた時に、元京都府知事

(北垣国道)が祇王の話を聞き明治28年に

嵯峨にあった別荘一棟を寄付し再建した。

これが現在の「祇王寺」の建物ということだ。

これらの関係から「祇王寺」は

「大覚寺」の塔頭寺院となっている。

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境内に入ると

緑の絨毯が全てを覆っていた。

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上も下も

新緑と苔の

「緑の空間」だった。

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柔らかい緑だ。

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心癒やされる緑だと思った。

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「草庵」は

緑の中に埋もれていた。

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「草庵」にある大きな丸窓を「吉野窓」といい

影が虹の色に見えることから

「虹の窓」とも称されている。

「吉野窓」越しに見る庭は

柔らかく優しい景色に見えた。

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ここでは「おみくじ」も

「竹みくじ」という。

風情がある。

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墓地の入口には

「祇王」と妹(祇女)と母(刀自)の墓が並んでいる。

何となく

悲しげでもあり

微笑んでいるようにも思えた。

その右には

鎌倉中期建立の

「平清盛供養塔」があった。

ミステリーかも知れない。

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【祇王寺(往生院)】

 往生院祇王寺と号する真言宗の寺である。寺伝によれば、この地は、平安時代に、法然上人の弟子、念仏房良鎮(りょうちん)が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられている。

 平家物語によれば、祇王は、平清盛に仕えた白拍子であったが、仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母刀自(とじ)、妹祇女と共に出家し、当地に移り住んだ。後には、仏御前も加わり、念仏三昧の余生を送ったと伝えられている。

 現在の本堂は、明治28年(1895)に再建されたもので、堂内には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛と祇王ら四人の尼僧像を安置している。

 境内には、祇王姉妹等の墓と伝える宝筐印塔及び平清盛の供養塔などがある。

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「祇王寺」はいつ来ても

優しい気持ちになれると思った。

夏になれば

もう少し緑色が増す(濃く)だろう。

このあと

この上の

「滝口寺」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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