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2016年8月

晩夏。沼津へ出かけた。2016

沼津へでかけた。

8月もお盆が過ぎれば

毎年コオロギが鳴き始め

多少は暑さが和らぐはずだが

今年はまだまだ暑い日が続く。

暑さには強いはずだが

最近はそうもいかなくなった。

さて。

夏休みも終盤になり

街で見かける子供達も少なくなった。

そろそろ宿題の追い込みだろう。

私も一日だけの夏休みで

夏の終わりに沼津へでかけた。

沼津駅を出ると

夏の太陽が眩しかった。

日射しを避けるように

日陰を辿り「乗運寺」へ向かった。

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「乗運寺」境内は

蝉の鳴き声は少なくなったが

むせるような草いきれが顔を包んだ。

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本堂前の「木槿」の花は

暑さのせいか

例年より少なく感じた。

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「木槿」は旧約聖書では

「シャロンのバラ」と称され

理想郷に咲く花とされている。

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そんな理由で

植えられた訳ではないと思うが

仏教寺院でもそぐわしいと思った。

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墓地内には

「芙蓉」が大輪をつけていた。

当家の墓には

誰かが供えてくれた花が

暑さで既に枯れかけていた。

花を取り替え

墓参りを済ませた。

15分程だったが

墓地の輻射熱で

汗びっしょりになった。

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あまりの暑さに

千本浜公園に逃げ込んだ。

公園の「私のベンチ」で一休み。

松林の中は涼しいので気持ちが良い。

暑さで上がった体温が

徐々に下がるのを実感する。

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夏草が刈り取られた園内に

久しぶりに一匹の猫を発見。

何年か前まで

数百匹いた猫の大群が

数年前の餌遣り禁止効果(?)で居なくなり

糞尿被害が一掃されたが

また餌遣りをする人が出てきたのだろうか。

近所の猫の縄張り巡回なら良いのだが。

あの白猫と黒猫の大群の末裔のようが気がする。

私は猫は嫌いではないが

あの糞尿の臭いには気が滅入る。

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「私のベンチ」で一休みのあとは

お決まりの千本浜へ行った。

千本浜は

青い海と青い空

まだまだ真夏の装いだった。

視界が良いので

大瀬崎がくっきり見えた。

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数日前の台風により

打ち上げられた流木は

少し片付けられていたが

また台風10号が接近中だ。

再び流木が浜を覆うだろう。

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防潮堤の何時もの場所に座り

暫く海を眺めていたが

強い日射しに耐えられず

早々に退散。

昼過ぎの新幹線で帰路に就く。

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                 桃中軒の「幕の内弁当」 と 「ぬまっちゃ」

 Photo : STYLUS1

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「東洋醸造」のサイレン(遠い日の記憶)

伊豆半島北部の田方平野の

中心部に「伊豆の国市」がある。

その南端部の修善寺に接する地域に

かって大仁町があった。

大仁町は、田京、三福、吉田、大仁など

10地区からなる町で工場が多く

昔は工場の町と言われていた。

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                        (昭和30年頃の大仁町)

三福地区には

酒造会社「東洋醸造」があった。

「東洋醸造」は

町内外から多くの人達が勤める

町の経済の重要な存在だった。

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60年前(昭和30年代)

私は

夏休みを

三福の祖父母の家で

過ごすのが恒例だった。

当時「東洋醸造」では

夏の間はサマータイムで

朝(7時)昼(12時)夕(4時)に

掠れた音色のサイレンが鳴った。

 ※12時45分頃にも鳴ったような気がする。

まだ腕時計などは普及していない時代で

各家庭に柱時計が1台ある程度が普通だったので

三福の人達にとって東洋のサイレンが時計代わりだった。

 ※町の人達は皆、「東洋醸造」を「東洋」と略して呼んでいた。

祖母も東洋のサイレンを

時計代わりに利用していた。

朝寝坊だった私に

「東洋のサイレンが鳴るまでに朝ご飯を食べないと

遊びに出てはいけませんよ」と怒ったり。

遊びに出かける私に

「東洋のサイレンが鳴ったら帰っておいで」と言っていた。

いつしか私も

東洋のサイレンを

時間の目安にしていたのを覚えている。

遠い。遠い。

夏の日の思い出だ。

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                       昭和20年代の「東洋醸造」

今では

「東洋醸造は」「旭化成」と名前が変わり

石積みの工場も取り壊され

更地になってしまった。

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唯一路地脇にあった

お地蔵さんだけが

当時の面影を残している。

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【東洋醸造】
 大正9年、脇田酒店店主、脇田信吾が米を使わない酒造り
 を目指して東洋醸造を設立、合成酒「力正宗」を開発した。
 合成焼酎「紋章」は青年科学者をモデルにした横光利一の
 小説の題でもある。
 戦時中もアルコール事業は順調で、田京工場には
 伊豆箱根鉄道からの引込み線もあった。
 その後旭化成と合併、2008年に130年を越える酒造りの歴史
 を閉じた。
 
 

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