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晦日盆の墓参り。2015(伊豆の国市)

晦日盆の墓参りにでかけた。

四年ぶりの晦日盆の墓参りだ。

私は

幼い頃より夏休みは

祖父母の家で過ごすのが恒例だった。

毎年

盆の入りの7月31日までには

母に連れられて祖父母の元へでかけていた。

何時もは

沼津港から船(竜宮丸)とバスを

乗り継いでくることが多かったが

海が荒れた日などは

駿豆線で出かけることもあった。

田京駅でバスに乗り換えるのだが。

タイミングが悪いと

次のバスまで時間があることがある。

そんなときは決まって歩くことになった。

田京駅前の

下田街道の道路幅は

今とさほど変わりはなかった。

良く踏み締められた砂利道で

両脇には石積みの蓋のない側溝があった。

800p7310001

田京駅から

緩やかな上り坂を

三福に向かい歩き始めると

狭い下田街道が更に狭くなる場所があった。

そこには広瀬神社の杉の巨木が2~3本

道路にはみ出すように立っていた。

大きく盛り上がった杉の根っ子を

母の手にぶら下がるようにつかまって越えた。

道路沿いには

幾つかの石仏があり

母は歩きながら手を合わせていた。

途中

「ここは○○」

「ここは○○ちゃんの家」とか

母は楽しそうに話してくれた。

何時も同じ話で

私は何の興味もなかったが

ここは母の生まれ育った故郷だ

実家へ帰るのが嬉しかったのだろう。

小学校を過ぎると

「東洋醸造」の工場沿いに

道は更に急坂になる。

ここで

私は何時も泣き言を言うが

母は益々元気に歩きだす。

坂道を登り切ったところが三福の三叉路だ。

三叉路の三福バス停前には

何時も祖母が待っていた。

バス停からは

祖母に「おんぶ」され母の実家に向かった。

祖母に「おんぶ」されるのが

私の使命だったのかもしれない。

遠い々夏の日の思い出だ。

さて。

三福の三叉路から「城山」を背に

300m登ったところに「澄楽寺」がある。

800p7310012

引摂山「澄楽寺」は

延暦十年(791年)弘法大師が

創建したと伝えられる寺院で

母の実家の菩提寺だ。

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現在は鐘楼を二階に揚げた

鉄筋コンクリート構造だが

少年の頃は

火災で焼失していて本堂は無かった。

昔は、藁葺き屋根のお寺だったようだ。

典型的な

小さな山寺だ。

800p7310008

【引摂山 澄楽寺】(いんせつざん ちょうらくじ)

真言宗(高野山金剛峰寺末)

創建:延暦十年(791年)

開創:弘法大師

本尊:不動明王

豆州志稿に「延暦十年僧空海創建す」とあるが

この年には弘法大師は、修禅寺・奥の院で修業中で

まだ出家していないが何かの縁で開創されたと考えられている。

伊豆でも最古刹級の伝統を持つ寺。

800p7310009

墓参りを終えたが

あまりの暑さにたまらず

隣の「熊野神社」に逃げ込んだ。

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ここは少年の頃

よく遊んだ巨木が立ち並ぶ神社だ。

楠木の根っ子に座り

しばらく暑さをしのぐ。

伊豆は

いくら猛暑でも木陰に入れば

吹く風も涼しい。

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墓参りの後は

あちこち寄り道をし

夕刻の新幹線で帰路につく。

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【沼津・伊豆地方のお盆】

沼津・伊豆地方のお盆は7月(7月13~15日)と

月遅れのお盆(8月13日~15日)と

晦日盆(7月31日~8月2日)が混在している。

沼津、三島の一部は7月盆で、

韮山~伊豆長岡~大仁~修善寺までが晦日盆。

中伊豆~天城湯ヶ島以南と東海岸(熱海~伊東~下田)と

西海岸(戸田~西伊豆~南伊豆)地域は月遅れのお盆。

 Photo : STYLUS1

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コメント

初めてコメントを書かせていただきます。

半年前より、団塊世代の、少年の絵日記を拝見させて頂てます。

私は、現在東京に住んでおりますが、三福で生まれ育ちました。

年齢も四捨五入すると60歳と大分くたびれて来ましたが、貧乏暇なしでローンを払いながら頑張っています。

横道にそれましたが、何時も拝見するたびに懐かしくまた、せつない気持ちにい抱かれます。


何時もアップされるのを楽しみにしております。

投稿: やっちっち | 2015年8月 4日 (火) 18時44分

やっちっち様
ありがとうございます。
 
私は四捨五入すれば70ですが
まだ会社勤めをしています。
やっちっち様は10歳ほど
お若い方のようですから
まだまだこれからですね。
 
私も三福で生まれましたから
三福も故郷です。

また三福へ参りましたら
報告したいと思います。

投稿: 小生 | 2015年8月 4日 (火) 21時46分

やっちっち様と小生様のやりとりを拝見して、辛抱たまらずコメントいたします。
私は大仁で生まれ育ち、現在横浜在住、四捨五入すると50です。
毎日三福を通り、大仁小学校に通学しておりました。
今も月に1度は両親を訪ねて帰省します。
遠い日の記憶が輝いているのはなぜなのでしょうか。
守られていたから?いやなことを忘れてしまったから?

ここ、小生様のブログで、同じ風景の記憶を胸に日々働く方々の声を聞くことができることを感謝しております。

投稿: よぴ | 2015年9月 1日 (火) 11時57分

よび様
ありがとうございます。

少年の頃(昭和30年代)大仁の下田街道の直角カーブを
橙色のボンネットバスが、お土産店の軒先をかすめる
ように曲がって行くのをドキドキしながら眺めていたことを
思い出しました。
たしか、お土産屋さんの東隣はスマートボール店でした。

大仁と言えば大仁橋ですね。
よび様の年齢ではご存知ないと思いますが
昔、旧大仁橋は一連桁の橋で川幅も今の半分で
橋を渡った所に「益山寺」の参道入り口を示す
石碑がありました。
狩野川台風で川幅が広がり、大仁橋も桁が継ぎ
足され2連桁の橋になりました。
狩野川台風前の旧大仁橋の姿をご存じの方も
少なくなったでしょうね。(私も微かな記憶しかありませんが)
 
懐かしいです。
 
また大仁方面へ参りましたら
ご報告したいと思います。

投稿: 小生 | 2015年9月 1日 (火) 22時24分

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