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「旧三津坂隧道」は「長瀬隧道」だった。

三津(沼津市)から長岡(伊豆の国市)に至る県道130号に

昭和36年完成の「三津坂隧道」がある。

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その直上の山中に

今は廃道となった旧トンネルが長い眠りについている。

「天城山隧道」(通称:旧天城隧道)より8年古く

明治29年(1896)に完成した「重要文化財級」のトンネルだ。

現在この旧トンネルは「旧三津坂隧道」と呼ばれている。

「旧三津坂隧道」と呼ばれ始めたのは平成15年4月発行の

静岡新聞に掲載されたのが始まりのようだ。

  ※数年前の静岡県観光PR誌でも

         「三津の旧トンネル」と記載している。

ここでいう、「旧三津坂隧道」を直読すると

旧トンネルの正式名は現在のトンネルと「同名」の

「三津坂隧道」ということになるのだが。

私はこの名称には疑問をもっている。

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現在のトンネル名は「三津坂隧道」だが

旧トンネルに併設して新トンネルを追加したり

旧トンネルを新トンネルに取替えたりする場合

新トンネルには旧トンネルの名称を襲名し

頭に(新)を付けるのが通例だ。

旧トンネル名が「三津坂隧道」だったとすれば

現在のトンネル名は「新三津坂隧道」となるはずだ。

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旧トンネルも隈なく観察してみたが

トンネル名が記された「扁額」も

「銘板」も設置されてはいなかった。

「無名」のトンネルだったのだろうか。

だとすれば、現在の「三津坂隧道」に対して

旧トンネルを「旧三津坂隧道」と仮称しているのもうなずける話だが。

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少年の頃。(昭和20年代~30年代)

この旧トンネルはよく通ったが

当時はトンネルの名称など興味もなく

小さなバスがギリギリ通り抜ける

「小さなトンネル」という認識しかなかった。

微かな記憶では(危うい記憶だが)

当時、私の周りの大人達の会話の中で

「三津のトンネル」とか「長岡のトンネル」とか

「長瀬のトンネル」とか呼んでいたような気がするが

「三津坂トンネル」或いは「三津坂隧道」と呼ばれていた記憶は無かった。

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記憶を頼りに古い資料を探してみたが

見つけることはできず真相は不明だったが

最近、58年前の古い地図(昭和31年発行)に

「長瀬トンネル」と記されているのを発見した。

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この辺りに他にトンネルは無いので

旧トンネルのことを指すことは明らかだ。

地図の編集者が、「無名」のトンネルに便宜上(地名から)

「長瀬トンネル」と記載したとも考えられなくもないが、海岸

沿いの国道414号に連なる幾つもの「無名」のトンネルには

トンネル名称は記されていないので、その可能性は低いと言えよう。

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それに地図の性質上、観光地名等を追加することはあっても

ベースとなる地形・地名・施設名等は建設省地理調査所

(現国土地理院)の地図と資料を複製し監修を受けてい

るので信頼性は高いといえる。

やっぱり「旧三津坂隧道」には「別名」があったのだ。

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ただ、これを裏付ける資料はまだないので

結論付けることはできないが

これを覆す資料もまだないことから

通称「旧三津坂隧道」には

「長瀬隧道」という別名(正式名)があった。ということになる。

  ※「長瀬トンネル」を当時の公式表記に書き直すと

    旧トンネルの正式名は「長瀬隧道」となる。

  

「長瀬隧道」が正式名であったか否かは

もう少し掘り下げて調べた方が良いのだが

公文書の調査は私の範疇ではない。

昔 東海自動車が発行していた「伊豆だより」という

小冊子にも掲載されていたような気がするので

そのうち母の実家で探してみたいと思う。

 2013.07.21の日記→昔「旧三津坂隧道」にバスが通っていた。

 2010.09.12の日記→東海自動車の乗車券(昭和32年頃)

 2010.08.21の日記→再び旧三津坂隧道を訪ねた(一瞬海が見える場所)

 2010.06.12の日記→旧三津坂隧道を訪ねてみた(少年の頃の記憶)

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【メモ】

当時のトンネルは公式には「隧道」と表記されたが

一般の書籍・地図では「トンネル」と表記することが多い。

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【2010年のメモ】

〇現在のトンネル名「三津坂隧道」から考察すると。

  旧トンネル名は

    ①「同名」 (三津坂隧道)

    ②「無名」 (無名でも管理できた
            或いは無名にせざるを得なかった)

    ③「別名」 (何らかの理由で抹消
            或いは忘れられた)

                            となる。

  ①「同名」。

    同名だという資料はない。

    他の例として新旧トンネルが同名のトンネルは稀にあるが

    何れも旧トンネル名が明らかなケースだ。

  ②「無名」。

    トンネルに名前を付ける目的は、利用者向けの愛称・利便性という

    意味合いもあるが、主目的は管理上の便宜のためだ、村に1箇所

    なら「無名」でも構わない。

    また、このトンネルは内浦村(現沼津市)と川西村(現伊豆の国市)が

    共同起業者として建設したもので、お互いトンネル名で揉めること

    のないよう「無名」としたとも考えられなくもない。

  ③「別名」。

    資料がない。

〇可能性のある資料

  ・県道130号(伊豆長岡三津線)関係資料

    県道編入 1960年(昭和35年)4月1日

  ・村史

    内浦村、川西村

  ・伊豆だより(昭和13年4月20日創刊)

    昭和10年代~30年代

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コメント

伊豆地方の国道・県道の歴史を調べており、参考にさせていただきました。
旧トンネルの名称についてですが、大正元年十二月編纂『田方郡内浦村誌』が静岡県立中央図書館のデジタルライブラリーで見ることができますが、第一目 概説 の第五節 交通の中に
『明治二十五年内浦街道三津坂墜道長九十六間幅二間の工を起し 仝三十年四月七日に至り墜道以西の道路竣工し…』 とあり、『内浦村誌』の記載では当時から『三津坂墜道』だったようです。
その一方で下記情報もあります。
現在の三津坂トンネルが開通した際の新聞記事(昭和36年4月8日静岡新聞)によると、
『沼津市内浦三津から伊豆長岡町に抜ける道は、これまで明治年間に手掘りで作られた(中略)三津トンネルを通つていたが、』とあり、『三津トンネル』という名称も出てきて、ますますわからなくなってしまいました。
拙ブログでまとめてみましたので、よろしければご覧ください。

https://blogs.yahoo.co.jp/appledoor196/18877203.html

管理人様の『長瀬トンネル説』も書かせていただきました。よろしければ拙ブログ本文中にリンクさせていただきたいのですが、いかがでしょうか。

投稿: appledoor196 | 2018年4月15日 (日) 11時17分

コメントありがとうございます。

貴殿のブログ拝見しました。
よくお調べになっていますね、感心しました。

さて。
隧道名の件ですが
貴殿の記事を参考に私なりの整理ですが。

新聞記事はあてにならないので
公的機関(建設発注者、保守管理者等)が命名したものを正式名と考えると

明治29年(開通当初):不明(発注者:内浦村・川西村)
大正元年(村誌編纂):三津坂隧道(内浦村誌編纂時)
昭和31年(地図編纂):長瀬隧道(地理院の調査時)
昭和35年(県道編入):不明(静岡県道)
昭和36年(現三津坂隧道開通)
となります。

川西村での名称と
昭和35年(県道編入時)の名称が気になります。

いずれにしても「謎の隧道」ですね。

リンクの件は了解です(宜しくお願いします)。

投稿: 小生 | 2018年4月15日 (日) 18時18分

ブログ本文中にリンクさせていただきました。ありがとうございました。

なお、私は旧大仁町田京地区在住です。今は大仁北小学区ですが、入学時は北小がなく、大仁小に通っていました。また、三福には親戚がいて、年が近いいとこがいましたので、よく遊びに行っていました。
放課後に三福公民館の書道教室に行ったときは、そのまま親戚の家で夕方まで過ごし、東京電気(テック)で働いていた父に帰りに寄ってもらってうちに帰っていました。
三福の親戚は商店を営んでいましたが、今は引っ越しており、三福にはおりません。しかし私にとっても三福は思い出の地です。

投稿: appledoor196 | 2018年4月15日 (日) 23時08分

appledoor196様

私は当時沼津でしたが、生まれは母の実家の三福です。中学の頃まで夏休みは三福で過ごしていました。

大仁小は母の母校(田中尋常小学校)で現在校庭にある大木(プラタナス?)は母が在校中登ったのではないかと校庭横の道を通るたび眺めています。

当時何軒か商店があった三福の三叉路は今でも懐かしく思い出します。
懐かしいですね。
ありがとうございました。

投稿: 小生 | 2018年4月22日 (日) 16時18分

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