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天城の「寒天」

少年の頃

豆腐屋さん、金山寺味噌屋さんや魚の行商のおばさん達が

自転車やリヤカーで朝夕各家庭を売り歩いていた。

大きくふっくらした豆腐や、大きな藁で包まれた大粒納豆

それに、これでもかと沢山おまけに付けてくれた黄色い辛子。

店によって微妙に具が違う金山寺味噌(佃煮もあった)。

魚の行商のおばさんは

鰯の身だけを器用に竹ベラでドンブリ一杯に削いでくれた。

私は祖父母の家に夕方やって来る

豆腐屋さんが持ってくる「ところてん」が楽しみだった。

豆腐屋さんが大きな筒で突いてくれた「ところてん」に

祖母は黒砂糖を塗してくれた。

口の中でプチプチ砕け甘くて好きだった。

「ところてん」を凍らせ乾燥したものが「寒天」だが

祖母はよく寒天でゼリーを作ってくれた。

ゼリーは寒天を溶かし四角い型に入れ冷やし固めたものだが

梅干しの付け汁を甘くしたものや

蜜柑や桃など季節の果物など色とりどりで綺麗だった。

中でも白いゼリー(たぶん牛乳)が甘くて好きだった。

祖母はゼリーの彩りを楽しんでいたのかもしれない。

田舎生まれの祖母だったが結構「ハイカラ」な一面もあった。

祖母はこの寒天を「天城の寒天」と呼んでいた。

寒天の産地といえば長野や岐阜の標高の高い地方だが

温暖な伊豆でも、冬には氷点下になる標高の高い

天城地区でも作られていたようだ。

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昭和30年頃

下田街道の天城山隧道下の河津本谷川付近(現「寒天橋」付近)に

「寒天」という名のバス停があった。

少年の頃幾度と通ったバス停だが気付かなかった。

上流の寒天工場へ行き交う人達の為のバス停だったのだろう。

良質なテングサ産地の稲取等の東海岸から

長野方面等へ運ばれる途中にある此処は

良質な水や乾燥したテングサを洗浄する水や

「ところてん」を作るのに必要な燃料など

寒天工場としての条件が揃った場所だったのだろう。

それにしても「寒天」とは安易なネーミングだが

当時の東海自動車のバス経路を見ると「ネギの畑」とか「萱積場」

川奈には「ゴルフ」という名のバス停があった。

それだけ東海バスは生活に密着していたのだろう。

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現在この地域では

「寒天橋」や「寒天橋バス停」(観光用の標識でバスは来ない)

「寒天車道」や「寒天林道」と名付けられているが

当時は八丁林道とか御幸林道と呼ばれていた様な気がする。

これらは川端康成の『伊豆の踊子』や松本清張の『天城越え』にも登場しない。

私の推測だが

天城越え(石川さゆり)のヒット以降(昭和61年)

名付けられたものではないだろうか。

 【続く】

  ↓

 2012年10月27日の日記→昭和11年の「寒天橋」(河津町)

 

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