お盆の墓参り。2018(沼津)

お盆の墓参りに出かけた。

早朝の新幹線ホームは

上下線とも人が多かった。

3連休のせいだろう。

三島駅で

在来線に乗り換え

沼津駅を出ると

心地よい風が吹いていた。

夏の装いの

「仲見世商店街」を通り抜け

菩提寺へ向かった。

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途中

「浅間神社」に参拝し

五色旗で飾られた

「乗運寺」に到着した。

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山門から

覗き見る境内は

緑に染まっていた。

まるで

境内の深緑が

山門から溢れ出すようだ。

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三ヶ月ぶりの「乗運寺」は

心做しかよそよそしく感じた。

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それでも本堂前は

何時もの景色だった。

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2色の「木槿」(ムクゲ)は

可憐な花が咲き始め。

「本堂」軒下には

鉢植えの「蓮」が並べられていた。

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「木槿」は

花の時期が長いので

「彼岸花」が咲く頃まで

咲き続けることだろう。

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「蓮」は

見頃は過ぎている。

今年は少し早いようだ。

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今年は

「セミ」の鳴き声が少ないと思い

木を見上げると

沢山のセミがとまっていた。

参拝者の気配で

鳴き止んだのだろう。

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「本堂」の横に

「百日紅」が咲いていた。

今まで気付かなかったが

今年は早く咲いたからかも知れない。

墓地へ廻ると

お参りの人達で混雑していた。

水屋の順番を待ち

花立ての水を替え

お盆の墓参りを終えた。

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墓参りのあとは

千本浜へ向かった。

途中の千本浜公園では

「私のベンチ」で一休みだ。

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「ベンチ」の下を見ると

吸い殻や弁当殻が散らばっていた。

今まで

あまり見ない光景だ。

観光客が増えたせいなのか

客質が替わったのかも知れない。

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千本浜は。

まだ薄雲が空を覆っていた。

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雲が切れれば

強い陽射しが降り注ぐだろう。

生暖かい風の中に

涼しい風が混じっていた。

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海水浴場の準備も始まり

そろそろ夏本番だ。

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よく見ると

彼方此方に

流木の中に

ゴミや空き缶が転がっていた。

考えるに

観光客誘致を進める沼津市だが

受け入れ体制が貧弱だ。

あまり言いたくはないが

トイレとゴミは最低条件だろう。

旧態トイレも存在し

トイレ掃除もいい加減だ。

トイレもゴミ掃除も

一日二回は必要だと思う。

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さて。

来週から

学校が夏休みに入る

電車や観光地が混雑するだろう。

沼津にも

多くの観光客の来訪を期待したい。

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 Photo : Lumix TX1

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梅雨明け。2018 仲夏(京都)

今日の散歩。

7月9日

梅雨が明けた。

平年は21日頃だから12日も早い。

先週は

西日本各地に豪雨が襲い

京都・嵐山を流れる「桂川」も

「中之島公園」まで水位が上がり

「渡月橋」も通行止めになった。

月曜日には

まだ水位も高く

濁流が流れていた。

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桂川はまだ

茶色い水で覆われていたが

周りの山々は

夏の色だと思った。

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今日は

2週間ぶりの散歩の日だ。

嵯峨野を歩くと

某家のお花畑の

「ミニひまわり」が

すでに咲き始めていた。

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景色は

すっかり夏の装いだ。

このあと

嵯峨から北野へ向かう。

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「北野天満宮」は

地震と豪雨で

一時減っていた参拝者が

増え始めていると思った。

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「本殿」前では

巫女さん達による

「梅仕事」が行われていた。

塩漬けされた梅の「土用干し」だ。

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梅雨明けに

「土用干し」され

正月の縁起物「大福梅」

(おおふくうめ)に使われる。

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甘酸っぱい香りが漂っていた。

梅干しの「おにぎり」を

食べたいと思った。

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見渡すと

境内の「笹飾り」が増えている。

本殿前の笹飾りが

「短冊」で一杯になると

別の場所に移されるからだろう。

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園児達の

願い事が可愛かった。

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京都の

「七夕祭り」は

八月に行われる。

夏休みの子供達で賑わうことだろう。

 ※「京の七夕」 8/1~8/16 京都各地

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「北野天満宮」から

東山へ回り

「知恩院」に

「お盆」のお参りをした。

お参りの後は

「白川」沿いをぶらぶらし

帰ることにした。

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暑い日だったが

川面を吹く風が心地良く

ほっとするひとときだった。

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さて。

私の故郷「沼津」は

今がお盆だ。

明日には

出かけたいと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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茅の輪巡り。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

大祓「夏越の祓」の

茅の輪くぐりに出かけた。

 車折神社 → 大将軍八神社 → 平野神社

 八坂神社 → 粟田神社 → 平安神宮 →岡崎神社

【大祓】
6月を「夏越の祓」
12月を「年越の祓」と呼ぶ。

夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだの輪を建て、ここを正面から8 字を描いてくぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うというものである。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたとされる。

 1.茅の輪の前に立って一礼する。
 2.左足から茅の輪をまたいでくぐり
  左回りに回る。
 3.元の位置に戻って、また一礼。
 4.今度は右足から茅の輪をまたいでくぐり
  右回りに回る。
 5.元の位置に戻り、一礼。
 6.もう一度、左足から茅の輪をくぐり
  左回りに回る。
 7.元の位置に戻り一礼。
 8.左足から茅の輪をくぐ、拝殿へ進み
  二拝二拍手一拝の作法で拝礼する。

 

【車折神社】

  車折神社に参拝。2017 初冬(京都)

「車折神社」は

嵐電のホームから

北門が直結しているので便利だ。

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「茅の輪」は

本殿前の鳥居に

建てられている。

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直径は3mほどだろう。

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「輪くぐり」をしたが

鳥居横に植え込みがあるので

巧く通り抜けられなかった。

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【大将軍八神社】

  大将軍八神社に参拝。2017 初秋(京都)

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「大将軍八神社」は

「本殿」前の石畳に

建てられている。

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直径は2mほどだろう。

「茅」の良い香りが

漂っていた。

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まだ朝早いので

参拝者は少ない。

二度回ってしまった。

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【平野神社】

  平野神社に参拝。2017 初秋(京都)

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「平野神社」は

「楼門」に建てられている。

直径は3mほどだろう。

形が崩れ歪だった。

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「茅」が

刈って間もなく

腰がないためだろう。

形は歪だが

自然な感じが良いと思った。

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振り向くと

まるで

現代から過去への

タイムトンネルのようだ。

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【八坂神社】

混雑するので

参拝する予定ではなかったが

通り雨が降ったので

空いているだろうと寄ってみた。

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「茅の輪」は

「拝殿」の西に

建てられていた。

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直径は3m弱だ。

形の良い「茅の輪」だ。

おそらく鉄芯が入っているだろう。

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参拝者が増えてきたので

高い渡り板をバタバタさせながら

急ぎ「輪くぐり」をした。

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【粟田神社】

  粟田神社に参拝。2018 晩春(京都)

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「粟田神社」は

本殿」前の石畳に

建てられていた。

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直径は3m弱だ。

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玉石を踏む音を響かせ

「輪くぐり」をした。

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【平安神宮】

通り雨のせいか

空いていたので寄ってみた。

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「平安神宮」は

「楼門」に建てられている。

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直径は3mほどだ。

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修学旅行の

中学生に先を譲り

あとでゆっくりと「輪くぐり」した。

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【岡崎神社】

  岡崎神社に参拝。2018 初夏(京都)

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「岡崎神社」は

鳥居に建てられている。

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直径は4m以上はある。

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「茅」の良い香りが

漂っていた。

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「夏越の祓」で

今年もちょうど半年が

過ぎたことになる。

良くも悪くも

半年の区切りを付け

気分一新残りの半年を

過ごせと言うことだろう。

さて。

梅雨に入り

四週間が過ぎた。

関東甲信地方では

もう梅雨明けしたようだ。

季節は前倒しで

進んでいるのだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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冷泉天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

冷泉天皇陵へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

北へ40分ほど歩くと

「哲学の道」に「冷泉天皇陵」がある。

「冷泉通」から

「哲学の道」を15分ほど歩くと

「琵琶湖疏水分線水路」に架かる

「桜橋」が参道への入口だ。

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「桜橋」から

民家の間を

50mほど進むと

御陵の入口がある。

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入口の石段を上がり

10mほどの砂利の

参道の先が御陵だ。

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地図を見ると

南北約110m×東西約70mと

広い敷地だが拝所は狭い。

御陵墓が大部分を占めている。

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【冷泉天皇 櫻本陵】

 (れいぜいてんのう  さくらもとのみささぎ))

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御陵名の「櫻本」とは

かって此所には「櫻本寺」という

寺院があったからだそうだ。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代  数:第63代
 天皇名:冷泉天皇(れいぜいてんのう)
 御  父:村上天皇
 御  母:皇后安子
 御陵名:櫻本陵(さくらもとのみささぎ)
 陵  形:円丘

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「冷泉天皇」は

康保四年(967)「村上天皇」の

崩御を受けて18歳で即位したが

精神に病があり皇太子の時代から

問題になっていたことから僅か2年(969年)で

円融天皇(村上天皇第七皇子)に譲位。

譲位後は冷泉院と称され62歳で崩御。

記録では死因は赤痢とされている。

62歳と長寿だったが

弟「円融天皇」、甥「一条天皇」が先立ち

淋しい思いをしたのではないだろうか。

  村上天皇陵に参拝。2017 仲秋(京都)

  圓融天皇陵に参拝。2017 仲秋(京都)

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さて。

「大阪北部地震」で

京都でも電車が止まるなど

一時混乱した。

最近の修学旅行の中学生は

5~6人のグループで

早朝から観光地を巡る。

生徒達だけで

さぞ心細い思いをしたことだろう。

全員無事でなによりだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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大豊神社に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

大豊神社へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

北東へ35分ほど歩くと

「哲学の道」に「大豊神社」がある。

「冷泉通」から

「哲学の道」に入ると

沿道の新緑が美しかった。

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「哲学の道」を10分ほど歩くと

「琵琶湖疏水分線水路」に架かる

「大豊橋」が参道の入口だ。

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入口を入ると

石畳の参道が70mほど続く。

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紫陽花の咲く参道を進むと

「手水舎」がある。

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「御神水」は

神社背後の「椿ヶ峰」から

湧き出るという。

冷たく気持ちが良かった。

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「手水舎」の

すぐ上が「一の鳥居」だ。

鳥居の先の境内中央に「拝殿」がある。

十年ほど前までは

「拝殿」との間に

朱塗りの「二の鳥居」があったそうだ。

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「大豊神社」(おおとよじんじゃ)

 創  建 :仁和三年(887)
 創建者 :藤原淑子(宇多天皇の養母)
 御祭神 :少彦名命(すくなひこなのみこと)
       応神天皇(おうじんてんのう)
       菅原道真(すがわらみちざね)
 御神徳 :治病健康・福徳長寿・学業成就
       ・縁結び、子授け安産

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境内には

「拝殿」の

奥に「本殿」

右に「絵馬堂」

左に「社務所」

全体にこぢんまりとした「社殿」だ。

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「拝殿」奥の

緑の中に「本殿」が見える。

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「本殿」は

建武の乱・応仁の乱などで焼失し

その後再建されている。(再建年は不明)

この社は

「宇多天皇」の養母「藤原淑子」が

「宇多天皇」の病気平癒のため

創建した「勅願社」だ。

「文子天満宮」と

創建主旨が似た神社だと思った。

 文子天満宮に参拝。2018 晩冬(京都)

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先ずは

鈴を鳴らし

参拝した。

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「大豊神社」は

色んな「狛犬」があることから

末社の方が人気のある神社だ。

「本殿」の南隣に

「愛宕社」と「日吉社」の相殿がある。

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「愛宕社」には

愛宕山を空から守る天狗(鳶)に因み

「狛鳶」が建てられ。

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「日吉社」には

比叡山延暦寺の守護神である

比叡の山をお守りしている猿が

「狛猿」として建てられている。

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その隣の

「稲荷社」には

稲荷神の使いの

「狛狐」がある。

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境内の南端には

一番人気の「大国社」がある。

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「大国社」は

縁結びの神として

信仰を集める神だ。

椿に覆われた「社殿」には

「狛鼠」が並ぶ。

大国主命が野火に囲まれ困っているとき

鼠が洞穴に導いて命を救ったという

「古事記」の逸話に依るものだ。

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左の吽形「狛鼠」は玉を抱えている。

玉には安産や病気平癒の

御利益があるといわれている。

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右の阿形「狛鼠」は巻物を抱えている。

巻物には学業成就の

御利益があるといわれている。

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「とび」「さる」「きつね」ねずみ」が並び

それぞれの特色があって

ちょっと楽しい神社だ。

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【大豊神社】(おおとよじんじゃ)
 この社は少彦名命(すくなひこなのみこと)・応神天皇・菅原道真(みちざね)を祀っている。社伝によると、仁和三年(八八七)、宇多天皇の病気平癒のため尚侍藤原淑子が勅命を奉じた勅願社であり、朝野の信仰が篤かった。建武の内乱・応仁の兵火などに遭って焼失したが、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、鹿ケ谷、法然院、南禅寺一帯の土産神(うぶすなのかみ)として信仰を集めている。
 特に、末社の大国社の狛鼠、日吉社の狛猿、愛宕社の狛鳶は、それぞれの神のお使いとして有名である。また、神花として椿、枝垂れ紅梅、紫陽花や山野草が四季折々、参拝者の心を和ませている。更に、椿の名所としても知られている。

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参拝の後は

参道の紫陽花を眺めながら帰った。

最近の紫陽花は

色も豊富で大輪が多いと思った。

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さて。

今日は

梅雨の晴れ間で

爽やかな一日だった。

来週の天気は

どうなるだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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熊野若王子神社に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

熊野若王子神社へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

「南禅寺」境内を通り抜け

北東へ25分ほど歩くと

「禅林寺(永観堂)」北端の

「冷泉通」に「熊野若王子神社」がある。

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石段の右には

紀州熊野より

苗木を植樹された

樹齢400年以上とされる

御神木の梛(なぎ)と「石橋」がある。

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この「石橋」は

明暦二年(1656)吉良家より

寄進されたものだそうだ。

石のアーチ橋が

緑に染まっていた。

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石橋を渡り

鳥居をくぐると

新緑に囲まれた境内がある。

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鳥居の正面に

末社「恵比寿殿」

その隣に「本殿」がある。

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「熊野若王子神社」(くまのにゃくおうじじんじゃ)

 創  建 :永暦元年(1160)
 創建者 :後白河法皇
 御祭神 :国常立神(くにとこたちのかみ)
       伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
       伊邪那美神(いざなみのかみ)
       天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 御神徳 :厄除け・縁結び・開運

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当社は

永歴元年(1160)「後白河法皇」が

建立した若王子の鎮守社で

社名は「天照大神」の別称

「若一王子」に因んで名付けられた。

「社殿」は

「応仁の乱」により荒廃したが

「豊臣秀吉」により再興され

本宮・新宮・那智・若宮の

四棟からなっていたそうだ。

現在の社殿は

昭和五十四年(1979)

一社相殿に改築されたものだ。

「本殿」は

正面に拝所を付設した

「幣殿」が接続する複合社殿だ。

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先ずは

鈴を鳴らし

参拝した。

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参拝を終え

「本殿」の屋根を見上げると

瓦には「カラス」が刻まれている。

あの三本足の「八咫烏」(ヤタガラス)だ。

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「八咫烏」は

神武東征(じんむとうせい)の際

高皇産霊尊(タカミムスビ)によって

「神武天皇」のもとに遣わされ

熊野国から大和国への

道案内をしたとされるカラスで

そのおかげで勝ち戦となったと伝えられている。

そこから「八咫烏」は勝利を導く守り神として

信仰されるようになつた。

現在、サッカー日本代表の

シンボルマークにもなっている。

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【熊野若王子神社】
(くまのにゃくおうじじんじゃ)
当社は永歴元年(1160)後白河法皇が熊野権現を勧進して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称若一王子に因んでこのように名付けられた。
以後、室町幕府及び武家の信仰を集めると共に、花見の名所としても知られ、寛正六年(1465)三月には、足利義政により花見の宴が催された。その後、応仁の乱により社殿は荒廃したが、豊臣秀吉により再興され、社殿及び境内が整備された。
現在の社殿は昭和五十四年(1979)一社相殿に改築されたもので、以前は本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた。

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「熊野若王子神社」参拝のあと

裏山「若王子山」にある

「新島襄」の墓に向かった。

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参道の入口には

杖が置かれている。

杖は要らないとは思ったが

「猿」や「猪」が出ると脅されていたので

護身のため拝借することにした。

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参道は急峻で

途中までかなり荒れている。

案内では20分だというが

30分はかかりそうだと思った。

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頂上附近は

共同墓地(若王子山墓地)で

沢山の墓石が並んでいる。

クリスチャンの墓が多い。

30分強登ると

「同志社共葬墓地」に到着する。

柵で囲われた共葬墓地の

石畳の正面が「新島襄」の墓石だ。

左に「八重夫人」

右に「Jerome Dean Davis」が並ぶ。

 ※Jerome Dean Davis
  (ジェローム・ディーン・デイヴィス)
   アメリカン・ボードの宣教師・教育者。
   同志社英学校の設立時に参加している。

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「新島襄」は

元治元年(1864)アメリカに密出国し

キリスト新教に入信し神学を学ぶ。

明治五年(1872)アメリカ訪問中の「岩倉使節団」の

「木戸孝允」の通訳として使節団に参加している。

帰国後、京都寺町に

同志社英学校(同志社大学)を開校。

明治二十三年(1890)一月二十三日

神奈川県大磯町にて死去

ここに埋葬される。(享年46歳)

刻まれた碑銘は

「勝海舟」の筆によるものだ。

私はクリスチャンではないので

仏式でお参りさせて頂いた。

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【新島襄先生の墓碑】
同志社の創立者新島襄先生は、1890(明治23年)一月二十三日に神奈川県大磯で四十六才で天に召され、一月二十七日の葬儀のあと学生たちに担がれて此処に埋葬されました。
そして翌年一月、鞍馬産の自然石に、勝海舟翁の揮毫になる碑銘を刻んだ墓碑が建立されました。
それから九十余年をへて、次第に墓碑の風化が進んだため、再建が協議されましたが、たまたま1986(昭和六十一)年六月不慮の事故によって倒壊しました。
そこで新島先生がアメリカ留学から帰国される際に「日本にキリスト教主義学校を」と
声涙倶に下る募金演説をされたゆかりの地であるヴァーモント州ラットランド産の花崗岩をもって1987(昭和62)年一月十六日にこれを再建しました。
碑銘は元の墓碑から移し刻んだものです。

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若王子山墓地は

往復1時間の登山だった。

下山後「熊野若王子神社」の

休息所で一休みさせて頂いた。

居合わせた観光客の会話を

聞くのも楽しいとと思った。

さて。

梅雨の晴れ間は

陽射しが強い。

帰りに帽子を買って帰ることにした。

 

 Photo : Lumix TX1

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岡崎神社に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

岡崎神社へでかけた。

地下鉄「東山駅」から

北東へ25分ほど歩くと

「丸太町通」に「岡崎神社」がある。

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「岡崎神社」(おかざきじんじゃ)

 別  名 :東天王
       陽のいずる都の東(卯の方位)に
       鎮座する事から東天王と称した。
 創  建 :延暦十三年(794)
 創建者 :不明(桓武天皇)
 御祭神 :素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
       櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと)
       八柱御子神(やはしらのみこがみ)
 御神徳 :子授け・安産・縁結び・厄除け

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石畳の参道を

70mほど進むと

新緑に覆われた

「拝殿」と「本殿」がある。

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「本殿」は

「拝殿」と樹木に隠れ

屋根しか見えなかった。

「社殿」は比較的新しく

昭和十一年(1936)

再建されたものだ。

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先ずは

ガチャガチャと鈴を鳴らし

参拝した。

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「岡崎神社」は

他の神社とは

ちょっと変わっている。

「境内」には

うさぎ達が並ぶ「うさぎ神社」だ。

「拝殿」には

「招うさぎ」が置かれ。

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「狛犬」の前には

「狛うさぎ」が並ぶ。

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「御神燈」も

「うさぎ」さんだ。

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往時この地域一帯が

野うさぎの生息地で

多産なうさぎは古くから

氏神様の神使いと伝えられている。

「狛犬」の台座にも

「うさぎ」が彫られている。

月と臼と杵があるので

「月のうさぎ」だ。

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「手水舎」には

沢山の「絵馬」が並び

黒御影石でできた

「子授けうさぎ像」が有る。

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月を仰ぎ体に力を満たしたうさぎで

水を掛けてお腹を擦り祈願すると

子宝に恵まれ安産になると

信仰を集めている。

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「拝殿」前には

奉納された「うさぎおみくじ」が

可愛らしく並んでいた。

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「うさぎおみくじ」は

うさぎの焼き物の中に

おみくじが入っている。

奉納しても

持ち帰っても良いそうだ。

手作りのせいか

ひとつひとつ微妙に

表情が違うのが可愛らしかった。

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「社務所」を覗くと

「御守り」や「絵馬」の

種類が多いと思った。

その全てが「うさぎ」だ。

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境内には

「安産祈願」や

赤ちゃんを抱いた

「御礼参り」の女性が多いが

場違いの私でも

癒やされる神社だった。

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【岡崎神社】
祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)及びその御子(みこ)三女五男八柱神を祀る。
延暦十三年(七九四)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つといわれ、都の東方に鎮座ことから東天王と称した。
清和天皇が、貞観(しょうかん)十一年(八六九)に造営し、播磨(はりま)国(現在の兵庫県)広峯から祭神を迎え祀ったといわれる。
治承(じしょう)二年(一一七八)に、中宮(ちゅうぐう)の御産の奉幣(ほうへい)を賜ったことから安産の神として信仰され、また創始時の王城守護方除(ほうよ)けの勅願により、今も方除厄除神としての信仰が絶えない。
古くから、うさぎが氏神の使いと伝えられ、祭神が子宝に恵まれ、うさぎが多産であることから子授けの神として祈願信仰されている。
境内にはうさぎの彫刻が多く見られ、特に手水屋形(ちょうずやかた)にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集めている。

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さて。

梅雨に入り

躑躅の残花が咲く一方

早くも紫陽花が見頃を向かえた。

季節は前倒しで

進んでいるのだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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白河天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

白河天皇陵へでかけた。

地下鉄・近鉄「竹田駅」から

南西へ15分ほど歩くと

「油小路通」に

「白河天皇陵」がある。

交通量の多い「油小路通」の上には

「阪神高速」の高架橋が通り

騒がしい場所だ。

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「油小路通」の

歩道に面した場所に御陵がある。

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両側をマンションと

駐車場に挟まれ

窮屈な御陵だ。

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【白河天皇 成菩提院陵】

 (しらかわてんのう じょうぼだいいんのみささぎ))

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鳥居の奥の

木に覆われた陵墓は

一辺33mの正方形で堀に囲まれている。

発掘調査によると

もとは一辺56mの正方形で

周囲には幅約8mの堀が巡らされていたという。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代  数:第72代
 天皇名:白河天皇(しらかわてんのう)
 御  父:後三條天皇
 御  母:贈皇太后茂子
 御陵名:成菩提院陵
      (じょうぼだいいんのみささぎ)
 陵  形:方丘

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「白河天皇」は

この付近一帯に

院政の舞台となった

「鳥羽離宮」を造営し

自らの墓所として「三重塔」を建立した。

大治四年(1129)に亡くなると遺骨は

一旦香隆寺(こうりゅうじ)に埋葬されたが

「三重塔」に付属して「御堂成菩提院」が完成すると

遺言に従って同塔内に改葬されている。

現在は附近の「近衛天皇陵」や

「鳥羽天皇陵」に比べ

簡素な御陵だ。

歴史の中で

何があったのだろうか。

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陽射しが強い

日が続いたが

来週は

そろそろ梅雨入りのようだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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鳥羽天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

鳥羽天皇陵へでかけた。

地下鉄・近鉄「竹田駅」から

南西へ10分ほど歩くと

「安樂壽院」の西に

「鳥羽天皇陵」がある。

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「安樂壽院」の

境内を通り抜け

白い土塀沿いに進むと

御陵の入口だ。

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入口から直ぐに

「陵墓」がある。

「陵墓」は

白壁に囲まれた「方形堂」だ。

地図を見ると

「御陵」の敷地面積は

隣の「近衛天皇陵」より広いが

森が大半を占めているので

「陵墓」はかなり狭く感じた。

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【鳥羽天皇安樂壽院陵】

 (とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)

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「近衛天皇陵」の

「多宝塔」もそうだが

他の天皇陵とは

イメージが異なる

御陵だと思った。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代  数:第74代
 天皇名:鳥羽天皇(とばてんのう)
 御  父:堀河天皇
 御  母:贈皇太后苡子
 御陵名:安樂壽院陵
      (あんらくじゅいんのみささぎ)
 陵  形:方形堂

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「鳥羽天皇」は

「白河上皇」から「鳥羽離宮」を譲受け

退位後は上皇となって院政を行った。

「鳥羽天皇」は

「白河上皇」の例にならい

「鳥羽離宮」の東殿の中に

自らの墓所を作ることを目的に

「安楽壽院」を創建し寺院内に

本御塔という「三重塔」を建立した。

「鳥羽離宮」で亡くなった「鳥羽上皇」は

遺言に従って「三重塔」に埋葬されている。

「三重塔」は永仁四年(1296)に焼亡し

現在の陵墓は元治元(1864)年に

造営された「方形堂」だ。

明治となって

天皇陵を宮内庁が

管轄するようになって、

「安楽壽院」の境内から

現在地に移築されている。

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今日は

陽射しが強く暑い日だった。

それでも湿度が低く

木陰に入れば

吹く風も爽やかだった。

 

 Photo : Lumix TX1

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近衛天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

近衛天皇陵へでかけた。

地下鉄・近鉄「竹田駅」から

南西へ10分ほど歩くと

御陵の入り口がある。

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参道の石畳部分は

「安樂壽院」の参道で

その左の白砂利部分が

御陵の参道だ。

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入口から

20mほど進むと

陵墓に到着する。

思いのほか狭い御陵だと思った。

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陵墓は「多宝塔」で

唯一「多宝塔」が残る天皇陵だ。

本瓦葺で高さは約16mある。

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【近衞天皇 安樂壽院南陵】

(このえてんのう あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)

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「多宝塔」は

「鳥羽天皇」の皇后で

「近衛天皇」の母である

「美福門院 藤原徳子」により建立され

「近衛天皇」の遺骨が納められた。

現在の「多宝塔」は

慶長十一年(1606)に

「豊臣秀頼」により再建されたものだ。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代数:第76代
 天皇名:近衞天皇(このえてんのう)
 御  父:鳥羽天皇
 御  母:皇后得子
 御陵名:安樂壽院南陵
  (あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)
 陵  形:多宝塔

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この付近一帯は

平安時代末期(11~12世紀)

「白河天皇」「鳥羽天皇」「後白河天皇」の

院政の舞台となった「鳥羽離宮」の跡地であり

御陵に隣接した「安樂壽院」は「鳥羽離宮」内に

営まれた「仏堂」の後身である。

「鳥羽離宮」は

応徳三年(1086)「白河天皇」が

退位後の居所として造営を始めたもので

東西約1.2~1.5 km×南北約1kmの範囲に

「御所」、「庭園」、「仏堂」などが造営された。

「御所」や「仏堂」が滅びた中にあって、

「安樂壽院」のみが今日まで法灯を伝えている。

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安楽寿院(あんらくじゅいん)
 真言宗の寺、保延三年(一一三七)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことに始まる。開基は鳥羽上皇、覺法法親王を同志に落慶した。保延五年(一一三九)本御堂(ほんみどう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九躰阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂等が建てられた。
保元元年(一一五六)鳥羽法皇(上皇)が本御塔に葬られた。鳥羽天皇安楽嘉院陵はそのあとである。保元二年(一一五七)、皇后美福門院は新御塔を建立、ここは後に近衛天皇の遺骨が納められた。近衛天皇安楽嘉院南陵がそれであり、現在の多宝塔は慶長十一年(一六〇六)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
 現在の安楽嘉院は真言宗智山派に属し、本阿弥陀如来座像(重要文化財)は鳥羽上皇の御念寺仏と伝えられ、胸に卍が記されているため卍阿弥陀とも呼ばれる。境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重要文化財等)を所蔵する。
 なお、当院は鳥羽伏見の戦いのおりには官軍(薩摩軍)の本営となったところである。
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この近くには

「鳥羽天皇陵」

「白河天皇陵」がある。

このあと

「鳥羽天皇陵」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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