龍安寺に参拝。2017 仲秋(京都)

今日の散歩。

龍安寺へでかけた。

嵐電「龍安寺駅」から

「龍安寺参道商店街」の坂道を

10分ほど上ると

「龍安寺」(りょうあんじ)がある。

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「外門」から

石畳を100m程進み

参道を横切る「きぬかけの路」を渡ると

「山門」がある。

こぢんまりとした「山門」だ。

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 【龍安寺】(りょうあんじ)

 創建 : 宝徳二年(1450年)

 開基 :(創建者)細川勝元、

 開山 :(初代住職)義天玄承

 山号 : 大雲山 (だいうんざん)

 本尊 : 釈迦如来

 宗派 : 臨済宗妙心寺派

 ※ 世界遺産(世界文化遺産)1994年登録

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「山門」から

鏡容池(きょうようち)畔の

楓並木を進むと

名勝「石庭」のある

「方丈」(重要文化財)と

「仏殿」(本堂)がある。

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先ずは

「仏殿」に参拝しようと

「方丈」からの入口に行ってみたが

立入禁止となっていた。

境内案内図を見ても

他に入口は無いので

「勅使門」に廻ってみたが

当然、立入禁止だ。

仕方なく「勅使門」の

石段下で参拝した。

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「勅使門」(重要文化財)は

寛政九年の火災で焼失したため

慶長十一年(1606)に建立された

「西源院」の「唐門」を移築したものだ。

昭和五十年(1975)

エリザベス女王夫妻が

参拝された際にはこの門から入り

「方丈」から「石庭」をご覧になったという。

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「龍安寺」は

私が小5の時

祖母のお供で訪れたことがある。

それ以来来ていないので

57年振りの参拝だ。

同時に訪れた

「金閣寺」での

写真を見ると

冬の服装だった。

春休みだったのだろう。

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さて。

参拝を終え

竹垣「龍安寺垣」の連なる

石段を上がると「方丈」がある。

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【方丈】(重要文化財)
慶長二年(1606)に塔頭の西源院の方丈として
織田信長の弟、信包(のぶかね)
によって建立されるが
寛政九年(1797)の火災で
龍安寺の方丈が焼失したため
移設されたもの。

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「方丈」には

名勝「石庭」がある。

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【石庭】
正しくは方丈庭園といい
国の史跡及び
特別名勝に指定されている。
幅二五メートル、
奥行一〇メートルの
約七五坪の広さを持ち
庭一面には白砂が
敷き詰められている。
一五個の石を東側から
五・二・三・二・三と配置した
代表的な枯山水の庭園であり、
禅の美を極めた空間である。

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「石庭」は

いつ、誰が、作ったのか

分かっておらず謎が多い庭園だそうだ。

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石庭の南と西側を取り囲む

柿葺の屋根のある油土塀は

寛政九年の火災の際も

類焼をまぬがれたもので

製作は室町時代にさかのぼるという。

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「石庭」を取り囲む

観光客の隙間を狙って

写真を撮った。

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修学旅行らしき

小中高生を除けば

殆どが外国人観光客だ。

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人の多い「方丈」を

早々に退散し

鏡容池(きょうようち)を一周し

帰ることにした。

「龍安寺」は

紅葉の名所には

なってはいないが

赤く染まる境内は

さぞ美しいことだろう。

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帰り際

外国人観光客から

『期待外れだった』との話が聞こえた。

ガイドブックの「石庭」は

美しい写真が掲載されているが

それに比べ現物は

かなり見劣りがするということだろう。

それに「石庭」以外に見る場所がない。

確かに

拝観料500円は高すぎると思う。

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【龍安寺】(りょうあんじ)
 臨済宗妙心寺派の寺院で、平成六年(1994)に世界文化遺産に登録された。
 もと徳大寺家の別荘であったが、宝徳二年(1450)に細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて禅院とし、玄承はその師日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を開山として、自らは創建開山となった。一時、応仁の乱により焼失したが、明応八年(1499)に細川政元が再興し、その後、名僧が相次いで住し、豊臣秀吉や徳川氏も寺領を寄付するなどして、最盛時には塔頭(たっちゅう)23を数えるほど寺運は栄えた。しかし、寛政九年(1797)に火災に遭い、その後次第に再建されたが、盛時の寺観は復興していない。
 方丈庭園(国の史跡及び特別名勝)は、室町時代末期の作と伝えられ、枯山水の名庭として有名である。長方形の敷地の中に白砂を敷き、15個の石を配し、一木一草も用いず、象徴的に自然を映し出しており、枯山水庭園の極致を示したものといえる。あたかも渓流を虎が子を連れて渡っているようにも見えるため、「虎の子渡し」とも呼ばれる。
 方丈の東には、水戸光圀の寄進と伝えられる「吾唯足知」と刻まれた石造りの手水鉢がある。そのほか、寺宝として、太平記12冊(重要文化財)などを所蔵している。
現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。方丈の前庭は枯山水の石庭として著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹である。

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さて今回は

「龍安寺」裏の

「衣笠山」にある

5天皇陵への参道の偵察に来たが

 ・一条天皇陵
 ・後朱雀天皇陵
 ・後冷泉天皇陵
 ・後三条天皇陵
 ・堀河天皇陵

少年の頃

祖母と来たことを思いだし

予定を変更し「龍安寺」に寄ってみた。

当時のことは

何一つ思い出すことはなかったが

祖母と歩いた境内を

再び歩けて良かったと思った。

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次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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三福へ出かけた。2017 仲秋(伊豆の国)

三福へでかけた。

彼岸に行けなかった墓参りに

三福(伊豆の国市)の「澄楽寺」へ出かけた。

三島駅から駿豆線に乗換え

25分で田京駅に到着する。

ホームに降り立つと

甘い香りが漂ってきた。

今年も

「金木犀」の季節がやってきた。

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田京駅から

旧下田街道の

緩やかな坂道を上ると

街道沿いの

彼方此方の民家の庭から

「金木犀」の匂いが漂ってくる。

「金木犀」の香りを辿りながら

「大仁小学校」交差点から

菩提寺「澄楽寺」へ向かった。

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「大仁小学校」校庭の

「プラタナス」の葉が

ほんのり色づき始めたように見えた。

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「東洋」(旭化成)の

工場を抜ける道を上り

「熊野神社」横から

「澄楽寺」へ到着した。

「澄楽寺」には

「伊豆八十八ヶ所霊場巡り」に訪れた

数人のグループが

本堂にお経を上げていた。

墓地内は

人の気配は無かった。

手桶に水を汲み

月遅れの墓参りをした。

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【引摂山 澄楽寺】(いんせつざん ちょうらくじ)
 真言宗(高野山金剛峰寺末)
 創建:延暦十年(791年)
 開創:弘法大師
 本尊:不動明王
 豆州志稿に「延暦十年僧空海創建す」とあるが、この年には弘法大師は、修禅寺・奥の院で修業中で、まだ出家していないが何かの縁で開創されたと考えられている。 伊豆でも最古刹級の伝統を持つ寺。

墓地から

更地になった

東洋(旭化成)の

工場跡地越しに見える「城山」も

そろそろ色づき始めるだろう。

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墓参りのあとは

隣の「熊野神社」で一休みし

「城山」を眺めながら

坂道を下り

母の実家へ寄った。

老叔母の様子を見る為だが

相変わらずの口達者で安心した。

昼食をご馳走になり

一時間ほど話をし

お暇することにした。

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帰路

駿豆線「田京駅」から

乗り込んだ電車が

「ハロウィーン電車」だった。

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修善寺在住の

切り絵作家水口千令さんの作品や

小学生が制作した切り絵などで

車内が装飾されている。

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駿豆線には

半世紀乗っているが

「ハロウィーン電車」とは初めてだ。

少々驚いた。

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紅葉には

一ヶ月以上早いが

今年も「益山寺」には

出かけようと思った。

 

 Photo : Lumix TX1

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仁和寺に参拝。2017 仲秋(京都)

今日の散歩。

仁和寺へでかけた。

嵐電「御室仁和寺駅」から

5分ほど歩いた「きぬかけの路」交差点前に

「仁和寺」(にんなじ)がある。

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「二王門」(重要文化財)は

重層、入母屋造、本瓦葺で

高さは18.7mある。

左右に阿吽の「二王像」

後面には唐獅子像が安置されている。

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「二王門」をくぐると

長い参道の先に

赤い「中門」が見える。

広大な境内だ。

 【仁和寺】(にんなじ)

 創建 : 第59代宇多天皇が先帝の遺志を継ぎ
      仁和四年(888年)に完成。
      寺号も元号から仁和寺となった。

 山号 : 大内山(おおうちさん)

 本尊 : 阿弥陀如来

 宗派 : 真言宗御室派総本山

 ※ 世界遺産(世界文化遺産)1994年登録

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「中門」(重要文化財)は

切妻造・本瓦葺の八脚門で

「二王門」と「金堂」の中間に位置し

五重塔や観音堂などの伽藍に向かう

入口となっている。

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「中門」をくぐると

やっと「金堂」が見えてくる。

ひとまず「中門」脇の休息所で一休みした。

休息所で

コーヒーを飲みながら休んでいると

修学旅行らしき中学生が

何やら捜し物をしている様子だった。

四方から戻ってきた男女中学生が

リーダーらしき女子中学生に報告していた。

男子生徒「向こうには無かった。」

リーダー 「ちゃんと見た?。」

男子生徒「見たよ。」

リーダー「もう一回探して。」

そのやりとりが面白かった。

しばらく様子を見ていると

どうやら「菅公腰掛石」を探しているようだ。

「水掛不動」にあると教えると

嬉しそうに飛んでいった。

私の中学生と言えば55年前

あの時代が懐かしく思った。

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さて。

休息所を出て

参道を進むと石段の先が

やっと「金堂」(本堂)だ。

「二王門」から350mもある。

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国宝の「金堂」は

まだ修復作業中だが

慶長年間造営の「宮殿建築」が美しい。

先ずは

「金堂」に御参りした。

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国宝「金堂」には

本尊「阿弥陀三尊」が安置されている。

慶長年間造営の御所「内裏紫宸殿」を

寛永年間(1624〜1643)に移築したものだそうだ。

現存する最古の「紫宸殿」であり

堂内には「四天王像」や「梵天像」も安置され

壁面には「浄土図」や「観音図」などが

極彩色で描かれている。

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「金堂」の横には

「鐘楼」(重要文化財)がある。

入母屋造、本瓦葺の二階建てだ。

「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指す。

階上は朱塗で高欄が周囲を廻らせている。

下部は袴腰式と呼ばれる袴のような

板張りの黒い覆いが特徴的だ。

鐘は周囲を板で覆われており

外からは見ることは出来ない。

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「鐘楼」の横には

「水掛不動」がある。

石造の「不動明王」が安置されている。

「不動明王」に水を掛けて祈願する事から

通称「水掛不動」と呼ばれている。

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「不動明王」は

御堂の後ろの岩石の上に

安置されている。

この「岩石」が「菅公腰掛石」で

先ほどの中学生が探していた石だ。

私も水を掛け

御参りした。

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【仁和寺 菅公腰掛石】
(にんなじ かんこうこしかけいし)
水掛不動尊の堂内にある岩石は、菅公(菅原道真)腰掛石と呼ばれる。
その由来は、菅公自身の大宰府左遷が決まった時、この事態を宇多法皇に訴えるため仁和寺を訪ねるが、
あいにく法皇はながい勤行中であり、焦る心を抱きながらこの岩に腰を掛けて待っていた伝えられているからである。
後にここから清水が湧き出し、いまも涸れることがない。
現在、岩の上には石造りの不動明王像が安置され、この不動尊は「水掛不動尊」と呼ばれている。

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さらに西へ進むと

西門の前に

「御影堂」(重要文化財)がある。

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「御影堂」には

「弘法大師像」、「宇多法皇像」

仁和寺第2世「性信親王像」が安置されている。

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慶長年間造営の内裏「清涼殿」の

一部を使用し寛永年間に再建されたものだ。

約10m四方ほどの御堂だが

檜皮葺を用いた外観は

「弘法大師」らしい落ち着いた仏堂だ。

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「御影堂」から

「金堂」に戻ると

「金堂」の東には

「九所明神」(重要文化財)がある。

建暦二年(1212年)に境内南に

あったものを東に遷宮したもので

現在の建物は寛永年間に建立されたものだ。

社殿は本殿・左殿・右殿の三棟ある。

八幡三神を本殿に、

左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷

右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の

合計九座の明神が祀られている。

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「九所明神」の南には

「五重塔」(重要文化財)がある。

寛永二十一年(1644年)建立。

塔身32.7m、総高36.18m。

美しい塔だ。

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塔内部には「大日如来」

その周りに「無量寿如来」など

「四方仏」が安置されているという。

西側には

大日如来を示す梵字の額が懸けられている。

境内が広大なので

ここまで廻るのに少々疲れた。

再び「中門」脇の休息所で一休みした。

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さて。

「二王門」に戻り

横の「本坊表門」を入ると

「御殿」がある。

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「御殿」には

名勝とされる「仁和寺庭園」がある。

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「南庭」

宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれている。

庭内には左近の桜、右近の橘が植えられ

その前方に白砂利と松や杉を配した庭だ。

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「北庭」

宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれている。

南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園だ。

斜面を利用した滝組に池泉を配し

築山に「飛濤亭」その奥には「中門」と

「五重塔」を望む事が出来る。

巧みに配置されている。

おそらく。

「五重塔」の建立時は

塔に見立てた櫓を組んで

「もう少し右だ!」

「ちょい手前だ!」

右へ左へ

手前へ後ろへ

移動させながら

位置を決めたのだろう。

そんなことを想像すると楽しくなる。

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「白砂利」も

「南庭」と統一されている。

美しい見事な庭だ。 

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「宸殿」の北東の「霊明殿」は

「薬師如来坐像」が安置されている。

建立は明治四十四年(1911年)と比較的新しいが

他の建物ともよく調和している。

正面上に掲げられた扁額は近衛文麿の筆だそうだ。

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「宸殿」
儀式や式典に使用される御殿の中心建物で、寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていたが、明治二十年(1887年)に焼失。現在は大正三年(1914年)竣工されたもの。御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849〜1916)の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれている。

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「宸殿」の

廊下から眺める景色も美しい。

内と外が

一体化した空間だ。

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帰り際

「南庭」の中門越しに

眺めた景色が美しかった。

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紅葉の季節は

さぞ美しいことだろう。

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【仁和寺】(にんなじ)
 真言宗御室派(おむろ)の総本山で、平成六年(1994)に世界文化遺産に登録された。
 平安時代前期に光孝天皇(こうこう)が創建に着手した後、仁和四年(888)に宇多天皇が完成させ、仁和寺と名付けた。宇多天皇(うだ)は退位の後、出家して仁和寺内に僧坊(そうぼう)を営み、三十余年間修行に専念したため、法王が御座する室(僧坊)というところから、「御室」が後に仁和寺周辺の地名となった。
 以後、明治維新まで約千年間、皇子皇孫が門跡として法燈(ほうとう)を伝えたが、その間、応仁の乱の戦火で全伽藍を消失し、双岡(ならびがおか)西麓に仮御所を設けた時期もあった。
 現在の伽藍は、江戸時代初期に徳川家光の協力を得て再建されたもので、御所の紫宸殿(ししんでん)を移した金堂(国宝)をはじめ、御影堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。仁和寺境内は仁和寺御所跡として史跡に指定されている。
 西門から成就山の麓にかけて、四国の88か所霊場を縮小した「御室88か所巡りの霊場」があり、中門の左手には、遅咲きの桜として有名な「御室桜」(名勝)が見られる。

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今日は

ハッキリしない天気で

雲が切れると気温が上がり

暑い日だった。

800p1060732

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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圓融天皇陵に参拝。2017 仲秋(京都)

今日の散歩。

圓融天皇陵へでかけた。

嵐電「宇多野駅」から

10分ほど歩いた住宅街に

御陵参道の入り口がある。

「仁和寺」から15分ほどの距離だ。

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入り口から

住宅に挟まれた参道を進むと

御陵がある。

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御陵は

住宅地の裏手の

開けた場所に建っている。

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【圓融天皇後村上陵】

(えんゆうてんのう のちのむらかみのみささぎ)

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先ずは

ゆるりと参拝した。

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「圓融天皇」は

「村上天皇」の第五皇子で

11歳で第64代天皇に即位した。

政権争いがあった時代だ。

争いに翻弄された

少年時代を送ったことだろう。

その「村上天皇」は

この近くの山上に葬られている。

父(村上天皇)の近くに葬られ

少しは心が和らいだだろう。

 代  数 : 第64代
 天皇名 : 圓融天皇(えんゆうてんのう)
 御  父 : 村上天皇
 御  母 : 皇后安子
 御陵名 : 後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)
 陵  形 : 円丘

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参拝の後は

嵐電「宇多野駅」から帰宅した。

嵐電は

いわゆるチンチン電車だ。

街中の道路敷を走れば

専用線も走る。

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むかし。

沼津(静岡県)にも

チンチン電車があった。

少年の頃よく乗った電車だ。

嵐電は立派なホームがあるが

ホームが無い電停(停留所)だった。

電車の音は同じに聞こえた。

短い分岐器を

力尽くで渡る音も懐かしく聞こえた。

30分程ホームベンチに座り

行き交う電車を眺めた。

少年の頃が懐かしい。

ホームに併設された

カフェでもあれば

2~3時間

電車を眺めていたいと思った。

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次回も

この辺りを

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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光孝天皇陵に参拝。2017 仲秋(京都)

今日の散歩。

光孝天皇陵へでかけた。

嵐電「宇多野駅」から

5分ほど歩いた住宅街に

御陵参道の入り口がある。

「仁和寺」から10分ほどの距離だ。

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入り口から

民家の塀沿いに

参道を進むと御陵がある。

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御陵は

住宅街の中にあるとは

思えないほど広い。

御陵の杜も広く奥深い。

昔は

隣の「仁和寺」と

地続きだったようだ。

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【光孝天皇後田邑陵】

(こうこうてんのう のちのたむらのみささぎ)

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先ずは

ゆるりと参拝した。

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百人一首(15番)に

「光孝天皇」の歌がある。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む
  我が衣手に 雪は降りつつ

               光孝天皇

《現代語訳》
あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて
 若菜を摘んでいる私の着物の袖に
  雪がしきりに降りかかってくる。

ほっとする

ほのぼのとした歌だ。

優しい気持ちと

穏やかな性格の天皇だったのだろう。

 代  数 : 第58代
 天皇名 : 光孝天皇(こうこうてんのう)
 御  父 : 仁明天皇
 御  母 : 贈皇太后澤子
 御陵名 : 後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)
 陵  形 : 円丘

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今日は

午後は気温が低く

肌寒い天気だった。

この後は

「圓融天皇陵」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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花山天皇陵に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

花山天皇陵へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

20分ほど歩いた住宅街に

御陵参道の入り口がある。

「金閣寺」から10分ほどの距離だ。

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入り口から

参道の砂利を踏みながら

40mほど進むと陵墓がある。

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御陵は

住宅街の中に

埋もれるように建っている。

こぢんまりとした

御陵地だ。

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【花山天皇紙屋川上陵】

(かざんてんのう かみやがわのほとりのみささぎ)

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先ずは

ゆるりと参拝した。

何処からか

足踏み式の機織機の

音が聞こえてきた。

此所は西陣の地

「西陣織」の機織りだろう。

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 代  数 : 第65代
 天皇名 : 花山天皇(かざんてんのう)
 御  父 : 冷泉天皇
 御  母 : 贈皇太后懷子
 御陵名 : 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)
 陵  形 : 方丘

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御陵の周りを

眺めていると

杜の間から

「金閣寺」背後の

「大文字山」にある

「左大文字」が見えた。

この辺りに住んでいる人は

自宅から「送り火」が見えるのだろう。

良い場所だ。

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今日は

気温が低く

肌寒い天気だった。

周りで鳴く「コオロギ」も

慌ただしく聞こえた。

明日も

この辺りの御陵を

回ってみようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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大報恩寺(千本釈迦堂)に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

大報恩寺(千本釈迦堂)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

15分ほど歩いた「五辻通」に

「大報恩寺」(だいほうおんじ)がある。

「北野天満宮」から

5分ほどの距離だ。

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「今出川通」から

門前通りを進み

交差する「五辻通」の

石畳の先に山門がある。

「山門」は

他の寺院でも見かける

ごく普通の山門だ。

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「大報恩寺」(だいほうおんじ)

 別称:千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)

 創建:承久三年(1221年)求法上人義空によって創建。

 本尊:釈迦如来(重要文化財)

 山号:瑞応山(ずいおうざん)。

 宗派:真言宗智山派

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山門をくぐると

その先には「本堂」(釈迦堂)があるが

「おかめ桜」と呼ばれる「枝垂れ桜」の大木が

「本堂」を覆い隠している。

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「おかめ桜」の枝垂れをくぐると

「本堂」(釈迦堂)前に到着する。

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国宝の「本堂」(釈迦堂)は

京都市に残る最も古い

仏教建築といわれている。

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鎌倉時代初期建立の

入母屋造、檜皮葺の「本堂」は

傷みもなく美しい景観を保っている。

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先ずは

「本堂」に上がり

ご本尊(釈迦如来坐像)に御参りした。

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「大報恩寺」は

「応仁の乱」で

ほとんどの堂宇が焼失したが

唯一「本堂」はその難を逃れたという。

「本堂」には行快作の

本尊「釈迦如来坐像」が安置されており

これが「千本釈迦堂」の名の由来となっている。

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「本堂」には

多くの刀や槍の傷跡がある。

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応仁の乱では

西軍がこの辺りに陣を張り

この「千本釈迦堂」を本営とした。

 ※以後この辺りを「西陣」と呼ぶ。

柱や壁に刻まれた無数の傷跡は

応仁の乱で戦った兵士が残したものだそうだ。

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「本堂」内から眺めると

「おかめ桜」の枝垂れが美しい。

桜の季節には

ぜひ訪れたい「枝垂れ桜」だ。

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本堂の廊下には

数々の「おかめ人形」が飾られている。

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これらの「おかめ人形」は

全国から奉納されたものだそうだ。

「千本釈迦堂」には

「おかめ」についての悲話が伝えられている。

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境内には「おかめ塚」がある。

由緒書き等によると

鎌倉時代「本堂」を造営しているとき

大工の棟梁・長井飛騨守高次は

信徒から寄進された大事な心柱の1本を

うっかり短く切ってしまった。

途方に暮れていた夫を見かね

妻のおかめ(阿亀)がある助言をした。

4本すべての柱を短く切り頂上部に柱を継ぎ足して

長さを補えばいいのではないかと。

この画期的な着想によって本堂は無事完成し

高次は大任を果たすことができた。

しかし、当時は男性中心の社会で

おかめは、女が夫の仕事に口を出したこと

そして女の口添えで完成したことが世間に知れては

夫の名声に傷が付くと考えすべてを秘密にするため

上棟式前日に自ら命を絶ったという。

高次は妻の心情にうたれ

上棟式当日、御幣の先に

おかめの名にちなんだ福面を飾り妻の冥福を祈った。

この言い伝えから、大工の信仰を集め

現代でも上棟式には

御幣におかめの面を付けて

建築工事成就を祈るようになったという話だ。

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大報恩寺(千本釈迦堂)
 瑞応山と号する真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂の名で知られている。
 承久三年(一二二一)藤原秀衡の孫、義空上人が、猫間中納言光隆の家卒、岸高より寄進を受けたこの地に小堂を立て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起こりといわれている。当初、倶舎、天台、真言の三宗の霊場として、堂塔迦藍も整い、壮麗を極めたが、応仁の乱をはじめ、度々の災火のため堂宇を消失してしまった。
 現在唯一残る本堂(釈迦堂)は、本市に現存する最古の仏堂遺構で、国宝に指定されている。
 堂内には、行快作の本尊釈迦如来坐像を安置、また霊宝殿内には快慶作の十大弟子像をはじめ、六観音菩薩像、千手観音立像、銅像釈迦誕生仏立像など数多くの文化財を所蔵している。
 また、毎年、二月にはおかめ福節分会、七月には陶器供養、八月には六道まいり、一二月には大根焚きなど多彩な行事が営まれ、多くの人々で賑わう。

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おかめ塚由来
鎌倉時代の初め西洞院一条上るの辺りで長井飛騨守髙次という洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻阿亀が住んでいた。
その頃、義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本尊を建立することになり、髙次が総棟梁に選ばれ造営工事は着々と進んでいったが、髙次ほどの名人も”千慮の一失”というべきか信徒寄進の四天柱の一本を誤って短く切り落としてしまった。
心憂の毎日を過ごしている夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録を思い出し、「いっそ斗供をほどこせば」という一言。
この着想が結果として成功をおさめ見事な大堂の骨組みが出来上がった。  
安貞元年12月26日、厳粛な上棟式が行われたが、この日を待たずしておかめは自ら自刃して果てた。
女の提言により棟梁としての大任を果たし得たという事が世間にもれ聞こえては……「この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。  
髙次は上棟の日、亡き妻の面を御幣につけて飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれ、また、この阿亀の話を伝え聞いた人々は貞淑で才智にたけた阿亀の最期に同情の涙を流して菩提を弔うため境内に宝筐院塔を建立し、誰言うともなくこれを「おかめ塚」と呼ぶようになった。  
現在、京都を中心として使用されているおかめの面の上棟御幣は阿亀の特により、”家宅の火災除け”家内安全と繁栄を祈って始められたものです。
また、おかめの徳は、”災いを転じて福となす”というところから、建築成就工事安全、女一代厄難消滅、商人の商売繁栄などの招福信仰として全国を風靡するところとなっています。  
なお、昭和五四年の春、有志により阿亀の大像が造立され福徳の像として祀られ”おかめ信仰”の輪が一層広がっております。

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今日は

ハッキリしない天気だったが

風が涼しく心地良かった。

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

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秋彼岸。沼津へ出かけた。2017

彼岸の墓参りに出かけた。

行楽シーズンには

まだ早いと思うが

新幹線ホームは混雑していた。

三島駅で

在来線に乗り換え

沼津駅を出ると

雲が空を覆っていた。

途中「浅間神社」に参拝し

菩提寺

「乗運寺」に到着した。

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山門をくぐると

数人の人達が

何やら楽しげに話していた。

墓参りに訪れた家族だろう。

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先ずは

本堂にお参りした。

境内の木々は

葉先が色づき

少しずつ

秋が進んでいた。

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「木槿」は

花数が多く

そろそろ終盤だろう。

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境内の「彼岸花」は今が見頃。

墓地内でも

真っ赤な花を咲かせていた。

当家の墓は

墓掃除は済んでいるので

水を取り替え

墓参りを終えた。

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墓参りの後は

「千本浜」へ向かった。

公園の

何時ものベンチで一休み。

最近は

アニメ(ラブライブ!サンシャイン!!)の影響で

訪れる人が増えたようだ。

それに伴い

園内のゴミが増えたように思う。

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公園の

「彼岸花」も見頃だった。

最近は

株数が少なくなり

少し寂しくなったと思う。

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一休みの後は

「千本浜」へ向かった。

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千本浜は。

先日の台風18号による

流木も少なかったようだ。

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霞が消え始め

「大瀬崎」もハッキリ見えた。

防潮堤の

何時もの場所に座り

暫く海を眺めた。

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「富士山」も姿を現し

静かな「千本浜」だった。

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帰りは

沼津駅で「干物」を購入。

少し早いが

昼前の新幹線で帰途に就く。

 

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石像寺(釘抜地蔵)に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

石像寺(釘抜地蔵)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

20分ほど歩いた「千本通」に

「石像寺」(しゃくぞうじ)がある。

「北野天満宮」から

15分ほどの距離だ。

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「石像寺」 (しゃくぞうじ)

弘法大師(空海)によって弘仁一〇年(819)創建。

 本尊:地蔵菩薩。

 山号:家隆山(かりゅうざん)。

 詳名:家隆山光明遍照院石像寺

 (かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)

 通称:釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)

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「千本通」から

うっかり通り過ぎてしまいそうな

路地の石畳の先に中門があり

その先に小さな境内がある。

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小さな境内には

小さな本堂がある。

すでに多くのお年寄りが

御参りに訪れていた。

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地蔵堂前には

大きな「釘抜きの像」がある。

「石像寺」の本尊は

空海が唐から持ち帰った

石を刻んだとされている地蔵菩薩である。

この地蔵は苦しみを抜き取るということから

苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ

いつしかそれが訛って

「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったと言うことだ。

粋な洒落だ。

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本堂の外壁は

奉納絵馬で埋めつくされている。

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願を掛け

体や心の痛みや苦しみがなくなった人は

「八寸釘」と「釘抜」を貼り付けた絵馬を

奉納する習わしとなっている。

御利益があるようで新しい物も多い。

私が参拝している間も

お百度参りをする青年がいた。

見るからに心を病んでいそうな

30代前半と思しき青年は

回数を数える竹の棒を握りしめ

何かを一心に祈りながら

本堂の周りを回っていた。

彼の願いが叶うことを祈る。

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本堂の裏手には

鎌倉時代につくられた

「石像弥陀三尊像」(重要文化財)がある。

一つの石から掘り出した石仏としては

日本最古のものといわれる石像だ。

さらに奥には

弘法大師が掘ったといわれる井戸や

平安時代に住んでいたとされる

歌人の藤原定家・家隆の墓もある。

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御参りを終え

休息所で一休みした。

休息所は工事中で

現在はテント張りの仮休息所だ。

休息所には

参拝者の為にお茶が置かれ

自由にお茶が飲める様になっている。

隣に座った老婦人が

私にお茶を入れてくれた。

一時間ほど老婦人の話の相手をした。

休息所での

参拝者同士の会話が

ストレス緩和に役立っているのだろう。

境内は

昔懐かしい雰囲気が漂い

穏やかな空気に包まれていた。

ほっとする懐かしい気持ちになった。

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【石像寺(釘抜地蔵)】
 正しくは光明遍照院石像寺(こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)という浄土宗の寺院で「釘抜地蔵」「くぎぬきさん」として親しまれている。
弘法大使(空海)の開基と伝えられ、もと真言宗であったが、重源上人(ちょうげんしょうにん)が中興してから浄土宗となった。
 地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩立像は弘法大師の作と伝えられ、諸々(もろもろ)の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜地蔵(くぬきじぞう)と呼ばれていたが、それがなまって釘抜地蔵となった。 一説には、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる。
 地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)(重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、 中尊の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)は高さ約一.二メートル、元仁元年(一二二四) 伊勢権守(いせごんのかみ)、佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、 翌年、開眼(かいげん)供養した銘がある。
観音堂には行基(ぎょうき)の作と伝えられる観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀っている。
 境内には、弘法大師三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。
また、この地は鎌倉時代初期の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)、家隆(いえたか)が住んだ所ともいわれており、定家らの墓と伝えるものがある。

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今日は

風も涼しく

心地良い天気だった。

次回も

この付近を

徘徊しようと思う。

 

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北野天満宮に参拝。2017 初秋(京都)

今日の散歩。

北野天満宮へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

10分ほど歩いた「今出川通」に

「北野天満宮」(きたのてんまんぐう)がある。

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御祭神
 菅原道真公

全国に約1万2000社ある

天満宮、天神社の総本社だ。

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「一の鳥居」から石畳を進むと

「三の鳥居」の先に「楼門」がある。

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「楼門」は桃山時代の様式で

門の両側には彩色された

随神(ずいしん)の像が置かれている。

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「楼門」上部には

菅原道真公を褒め称える言葉

 『文道大祖 風月本主』
 (ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)

の扁額が掲げられている。

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「楼門」から左に折れ

「絵馬所」前の石畳を進むと

「三光門」(重要文化財)がある。

中門とも呼ばれる「三光門」は

慶長十二年(1607)に豊臣秀頼が

建立したと伝えられている。

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「三光門」の扁額「天満宮」は

「後西天皇」が書かれたものだそうだ。

 ※後西天皇(ごさいてんのう)
  第111代天皇
  在位:承応三年(1655年)~寛文三年(1663年)

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「三光門」をくぐると「本殿」(国宝)がある。

「本殿」前は

現在工事中で

全貌は見えないが

左に「紅梅」

右には「松」が植えられている。

「本殿」とのバランスが美しい。

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先ずは

奥に進み

「本殿」に参拝した。

桃山様式の「本殿」は

慶長十二年(1607)に

秀吉の遺志を受け継ぎ

豊臣秀頼が造営したといわれている。

美しい「本殿」だ。

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参拝を終え

休息所を兼ねている

「絵馬所」で一休みした。

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  【北野天満宮絵馬所】
 北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、慶長十二年(1607)に再建されたもので。その後。元禄十三年(1700)から翌年にかけて大修理が行われている。現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられたものである。
建築当所は、現在の位置より北に、棟を南北に通して建ち、また、屋根も現在は桟瓦葺であるが、当初は木の板で葺いた木賊葺(とくさぶき)であった。
 この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構としてとして貴重である。

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「絵馬所」外壁には

「三十六歌仙」の額絵が掲げられている。

何となく見れば

他の奉納額と同じように

木板に描かれているように見えるが

これは

西陣織で織り込んだものだ。

ここから東は「西陣」の地。

職人の高度な技術の集大成だ。

素晴らしい作品だと思う。

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「絵馬所」内には

多くの奉納額が掲げられているが

西の端の目立たないところに

謎の奉納額がある。

新選組の隊旗「誠」の文字の

モデルになったとも言われる奉納額だ。

現代ではよく見るような書体だが

当時は斬新な書体で

近藤勇が気に入ったのだろう。

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奉納額を眺めた後

「絵馬所」の縁台に座り

参拝者を眺めながら一休みした。

「北野天満宮」と言えば学問の神様。

やはり学生の参拝者が目立って多い。

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「本殿」の北に

牛舎「一願成就のお牛さん」がある。

ここには大勢の中学生が参拝していた。

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「お牛さん」を撫でると

一つだけ願いがかなうと言われる神様だ。

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後ろには

大量の「絵馬」が奉納されている。

殆どが

中学・高校・大学入試だ。

中には

感心なことに

合格後の「お礼絵馬」もある。

若い人達の

エネルギーを感じた。

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【北野天満宮】(きたのてんまんぐう)
 菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。  
 天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大茶会を催した。  
 本殿(国宝)は、豊臣秀頼が、慶長12年(1607)に造営したもので、権現造(ごんげんづくり)の代表的遺構である。また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇筆の勅額「天満宮」を掲げている。
 宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻(国宝)などの貴重な文化財を蔵している。  
 毎年2月25日には梅花祭、10月14日には瑞饋祭(ずいきまつり)が催されるほか、毎月25日の道真公の命日には多くの参拝者で賑う。

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参拝後は

北門近くにある

「文子天満宮」に寄った。

(あやこ てんまんぐう)

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御祭神
 菅原道真公

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境内は

参拝者は少ない。

先ずは

カチャカチャと鈴を鳴らし

ゆるりと参拝した。

この神社の本宮は

京都駅前の「渉成園」近くにあるが

「北野天満宮」の発祥神社だ。

私も本宮には度々参拝するが

ここの神社にはあまり参拝したことがない。

「北野天満宮」参拝時には

必ず参拝したいと思った。

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今日は

「金閣寺」まで

「西大路通」を往復し

6,000歩ほど歩いた。

「釘抜地蔵」に御参りして帰ろうと思ったが

「北野天満宮」を覗いてみると

空いていたので寄ってみた。

意外にのんびりでき

楽しかった。

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今日は

日射しは強いが

風も涼しく

心地良い天気だった。

明日は

「釘抜地蔵」に

御参りしようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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