御髪神社に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

御髪神社へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど歩いた小倉池の畔に

「御髪神社」(みかみじんじゃ)がある。

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祭神は

藤原鎌足の末孫、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)。

日本唯一の頭髪(理容)に関わる神社だ。

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小さな境内の

数段の石段の上に

小さな本殿がある。

小さな鈴をカチャカチャと鳴らし

「本殿」に参拝した。

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本殿の横に「髪塚」がある。

一般的な神社では

特別なお願いをする場合

玉串奉納を行い参拝するが

「御髪神社」では

「献髪奉納」という参拝作法がある。

まず神職に頭髪を少し切っていただき

それを袋に納めて神前にお供えし参拝するのだ。

私は遠慮したが

「献髪」する人は

結構多いそうだ。

【髪塚】
髪は人身の最上位にあって、造化の神より賜った美しい自然の冠りであると共に生前にも残し得る唯一の分身(カタミ)として、大きな恩恵に感謝する為、副神として納祭し、祈拝されます。

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絵馬を見ると

「ハゲが治りますように」の祈願もあるが

「今の髪が維持できますように」の祈願も多い。

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最近では

カツラ・育毛剤などの

理容業以外の参拝者も多いそうだ。

通称「ハゲ神社」と呼ばれるが

私の頭髪は今のところ

御厄介になることはないだろう。

危なくなったら

駆け込むことにする。

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【御髪神社由緒】
亀山天皇の御代(一二五九年~一二七四年)に藤原基晴卿が宮中に宝物係として仕えていたが、所管の宝物を紛失した責任を取り、探索の為諸国を行脚し、文久五年下関に居を構え三男政之公が生計を髪結職に求めたのが髪結業の始祖であった。

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雲の合間から

時々射す日射しは

暑かったが

爽やかな風が吹き

気持ちの良い一日だった。

 

 Photo : Lumix TX1

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嵯峨天皇陵に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩

「嵯峨天皇陵」に参拝した。

JR「嵯峨嵐山駅」から

30分ほど歩いた山裾に

御陵への参拝道入り口がある。

「嵯峨天皇陵」までは

さらに20分程だ。

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【嵯峨天皇嵯峨山上陵】

(さがてんのう さがの やまのえの みささぎ)

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参拝道入り口から

530段の石段を上った山頂が御陵だ。

参拝道入り口から

山頂までの標高差は約80mある。

 530段×0.15m≒80m

石段は九十九折りでかなり急峻だ。

この参拝道は

平成24年の土砂崩れで閉鎖され

一般の参拝が停止されていたが

平成27年6月に復旧工事が完成し

同時に参拝が再開された。

話では登り易くなったと聞いたが

私にはかなりきつい。

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参拝道石段の途中からは

嵯峨野が一望できる。

かって「嵯峨天皇」の時代は

現在の「大覚寺」に「嵯峨御所」があった。

その時代の嵯峨野は

「広沢池」を取り囲むように

田園が広がっていたことだろう。

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「大覚寺」方面には

大覚寺の「大沢池」と

赤い「大覚寺心経宝塔」が見える。

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遠くには

「京都タワー」が霞んで見えた。

まるで蝋燭を立てたようだ。

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石段を20分程上ると

やっと御陵が見えてきた。

息が切れる。

とりあえず

管理小屋の日陰でひと休みだ。

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ひと休みを終え

やっと陵墓に到着した。

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陵形は円丘で

周りを三段の空石積みで取り囲んでいる。

他に参拝者は居ないので

ゆっくりと参拝した。

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参拝後は

10分程付近を散策し

下山することにした。

帰りは

これがまた大変だ。

最近は上りより

下りが辛い。

膝が痛くて

思うように降りられない。

私もとうとう

爺(ジジイ)の仲間入りしたなと思った。

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下山途中で見つけた山躑躅の

ピンクの小花が可愛かった。

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この近くには「後宇多天皇陵」もある。

涼しい日に参拝したいと思った。

 

今日は

かなり疲れたので

明日は

近場で済まそうと思う。


 Photo :Lumix TX1

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地蔵院の新緑。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

地蔵院へでかけた。

阪急「上桂駅」から

15分ほど歩いた衣笠山麓に

「地蔵院」(じぞういん)がある。

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竹林の中にあるので

別名「竹の寺」と呼ばれている。

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山門を入ると

涼しげな竹林の中に

落ちついた空間が広がっていた。

遠くに本堂が見える。

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幻想的な木漏れ日の中を歩くと。

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幼い頃

母に読み聞かされた

お伽話の世界のようだと思った。

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地蔵堂(本堂)は

伝教大師の作といわれる

延命安産の地蔵菩薩が御本尊だ。

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先ずは地蔵堂に御参りをした。

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地蔵堂を覆う青モミジが

木漏れ日に照らされ美しかった。

薄暗い竹林との

コントラストも良い。

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境内の庭は

緑の苔で覆われている。

竹と苔が美しい閑静な寺だ。

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地蔵堂の横には

「一休禅師母子像」がある。

「地蔵院」は

「一休さん」(一休禅師)の

生まれ育った寺と伝えられている。

「一休さん」は近くの民家で生まれ

「地蔵院」で6歳まで養育されたという。

 ※(寺院内での出産は遠慮された)

この竹林の中で

母子で楽しく過ごしたことだろう。

親子の姿は美しく

懐かしくも思った。

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地蔵堂横の

緑の小径の先には中門がある。

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中門を入ると「方丈」がある。

「方丈」は現在修理中で(平成29年10月末まで)

中には入れないが

「方丈」の書院から見る

「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園が美しい。

   ※写真は「地蔵院」ポストカード

紅葉の頃

また来たいと思う。

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帰り道

ふと振り返ると

山門を覆うモミジに陽があたり

輝いた新緑が美しかった。

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【地蔵院】(じぞういん)
衣笠山(きぬがさやま)と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵又は、竹の寺とも呼ばれている。
 この地には、もと歌人の衣笠内大臣藤原家良(ふじわらのいえよし)の山荘があったが、家良の没後、貞治六年(1367)に、官領の細川頼之(ほそかわよりゆき)が、宗鏡禅師(そうきょう)に深く帰依して当寺を建設した。宗鏡は、恩師夢窓国師(むそう)を開山に請じて、自らは第二世となった。
 以後、当寺は細川家の庇護を受け、次々と伽藍を建立し、境内塔頭三院、末寺二十三寺数える一大禅利となったが、応仁の乱により堂舎悉く消失してしまった。その後、江戸時代の貞享三年(1686)に、第一四世古霊和尚によって寺観が整えられた。
 現在の本堂(地蔵堂)は、昭和一〇年(1935)に再建したもので、堂内には、本尊の延命安産地蔵菩薩、夢窓国師、宗鏡禅師、細川頼之の木像を安置している。
 また、方丈前には、「十六羅漢の庭」(じょうろくらかん)と呼ばれる枯山水庭園があり、本堂南には、宗鏡禅師、細川頼之の墓がある。なお、一休禅師が幼少の頃修業された寺でもある。

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今日も

JR「嵯峨嵐山駅」から

歩く予定だったが

昨日の疲れが残っていたので

阪急嵐山線「上桂駅」からの経路にした。

歩く歩数(一万歩)が少し足りなかったが

たまには

こんな日があっても良いだろう。

 

 Photo : Lumix TX1

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月読神社に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

月読神社へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

50分ほど歩いた松尾山麓に

「月読神社」(つきよみじんじゃ)がある。

先週訪れた「松尾大社」の南400mに位置し

「松尾大社」の境外摂社となっている。

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祭神は「月読尊」(つきよみのみこと)。

「月読尊(大神)」は

夜を統べる神だということだ。

「月読」とは「月齢を数える」

すなわち「暦」を司る神ではないだろうか。

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石段を上ると楼門がある。

楼門からは新緑に覆われた

本殿と拝殿が見える。

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こぢんまりとした境内だ。

古い神社にしては

本殿(江戸時代)と拝殿と

小さな社務所だけだ。

室町時代初期の

「松尾神社境内絵図」によれば、

かつては本殿・拝殿のほか

假殿・庁屋・講坊・贄殿等があったそうだ。

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境内に「神功皇后」ゆかりの

安産信仰発祥の石「月延石」(つきのべいし)が

奉祀されていることから

「安産守護のお社」として崇められている。

安産祈願の参拝者が多いが

神秘的な雰囲気が漂う境内なので

最近では若い女性の参拝者も多いという。

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瞑想する英語圏の

美少女の邪魔にならないように

小さくカチャカチャと鈴を鳴らし

「本殿」に参拝をした。

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本殿脇に「月延石」があり

誰でも撫でて祈願することができる。

白い石は参拝者が奉納した「祈願石」だ。

【月延石】(つきのべいし)
境内にある「月延石」は「安産石」とも呼ばれ、安産の神として信仰されている。『雍州府志』所載の伝説では、この石は元は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産し、のち舒明天皇の時に月読神社に奉納されたという。

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この神社には「絵馬」の奉納はない。

ここでは「祈願石」といわれる白石に

願い事を書いて奉納するしきたりととなっている。

「安産祈願」や「安産お礼」が書かれた

「祈願石」を読んでいると

ほのぼのとした気持ちになった。

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【月読神社境内】
 月読(つきよみ)神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。
 文献によれば、顕宗(けんそう)三年(四八七)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて宣託をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)の地に社を創建したとされ、斎衡(さいこう)三年(八五六)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。
 境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子社などから構成されています。
 月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。

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日射しが強く

暑い日だったが

木陰では爽やかな風が吹き

気持ちの良い一日だった。

 

さて、明日は

地蔵院(竹の寺)まで

足を延ばすことにする。

 

 Photo : Lumix TX1

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電電宮に参拝。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

電電宮へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた嵐山の山腹に

「電電宮」(でんでんぐう)がある。

「電電宮」は「法輪寺」の境内にあり

「法輪寺」の鎮守社となっている。

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「法輪寺」山門から

新緑に覆われた石段を上ると。

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石段の途中に

「電電宮」の入り口がある。

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少し奥まった場所に

「電電宮」がある。

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崖の上に

貼り付けたような狭い神社だ。

先ずはガチャガチャと鈴を鳴らし

「社殿」に参拝をした。

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「電電宮」は

電力、電気電子、電波のトラブル等を

防ぐ等といったご利益があると言われている。

その為

全国の電力・電気・電子関係の企業や

放送・ソフトウェアやIT関連の企業の方が

多く参拝に訪れるそうだ。

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斯く言う私も14年前。

社内システム導入を任され

各部から引き抜いた

若い社員を引き連れ

参拝したことがある。

私はこういうことは

気にしない性格だが

大金を設備投資するので

当時は気になっていたのだろう。

14年振りの参拝(御礼参り)だった。

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【電電宮について】
電電宮は当法輪寺の鎮守社五社明神の一つである電電明神が奉祀(ほうし)されており、古来電電陰陽融合光源の徳を祖とした鎮守としてあがめられてきた。 今日で云う電気電波の祖神が祭祀(さいし)されている。同宮は幕末の兵火で消失したが、昭和四十四年電気電話関連業界の発展と繁栄を新たに祈願する趣旨から、新社殿の再興がなされて今日に至っている。 電力、電気電子、電波の発展は人類の生活文化向上に大きく貢献し、世界の平和と繁栄に不可欠なものであり、その祖神を奉祀する電電宮は広く電気、電波関係者より崇敬されている。

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最近はこの神社を

「IT神社」と呼ぶそうだ。

御守りも「マイクロSD型」に

なっているのも面白い。

 

さて、今日(日曜)は

「松尾大社」に参拝したが

またの機会に記載する。

 

 Photo : Lumix TX1

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法輪寺の新緑。2017 初夏(京都)

今日の散歩。

法輪寺へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

20分ほど歩いた嵐山の山腹に

「法輪寺」(ほうりんじ)がある。

「渡月橋」を渡れば

5分ほどの距離だ。

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「山門」からは

新緑に覆われた石段が見える。

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長い石段を上がると

嵐山の新緑に覆われた本堂がある。

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京都では

「十三まいり」の寺として有名なお寺だ。

【十三まいり】
古来より、数え年十三歳に成長した男女が、成人の儀礼として法輪寺に参拝した。十三歳の厄難を払い、智恵を授けられるように虚空蔵菩薩に祈願します。

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先ずはガラガラと鰐口を鳴らし

「本堂」に御参りをした。

御本尊は「虚空蔵菩薩」(こくうぞうぼさつ)だ。

虚空蔵(こくうぞう)とは宇宙を意味するという。

お経もそうだが仏教の言葉には

広大な世界を意味するものが多い。

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本堂前の山内には

高さ17mの「多宝塔」がある。

まだ新しい(昭和17年建立)「多宝塔」だ。

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「多宝塔」を覆う

「楓」の緑が美しかった。

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本堂東の茅葺きの門を出ると「舞台」がある。

「舞台」からは真下に渡月橋、嵯峨野が一望でき

遠くには大文字送り火も見える。

嵐山で京都を一望できる

展望スポットになっている。

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境内には

狛犬ならぬ「駒牛」や「駒虎」があったり

『帰り道に振り返ってはいけない』という伝説もある。

ちょっと不思議なお寺だ。

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【法輪寺】(ほうりんじ)
真言宗五智教団の京都本山で、和銅6年(713)、元明天皇の勅願により行基が創建した。天長6年(829)に、弘法大師(空海)の弟子・道昌が中興して、虚空蔵菩薩を安置し、貞観16年(874)には伽藍が整えられ、寺号を「葛井寺」から「法輪寺」に改めた。
本尊虚空蔵菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれ、智恵と福徳を授かるため、数えの十三歳の男女が全国から「十三まいり」に訪れる。
平安時代に清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したことから、針供養が行われるほか、惟喬親王の故事により、漆寺としても知られる。
また、境内には電気・電波守護の電電宮社が祀られている。

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なお、境内には

ちょっと変わった神社もあるが

後日の記載とする。

 

今日は

連日の暑さもやわらぎ涼しかったが

風が強く少し肌寒い一日だった。

 

 Photo : Lumix TX1

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三福へ出かけた。2017晩春(伊豆の国市)

三福へ出かけた。

沼津の帰り

母の実家のある「三福」へ寄った。

三島で「駿豆線」に乗り換え

「田京駅」を下車。

三福に向かい歩き始めると

途中の「広瀬神社」に

大勢のご老人が集まっていた。

「ゲートボール」用具を

片付けていたので

大会でもあったのだろうか。

私もそろそろ

そんな年齢になる。

少し複雑な気持ちになった。

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「大仁小学校」横を通ると

児童達が校庭に集まっていた。

おそらく運動会の準備だろう。

「大仁小学校」は母の母校だ。

木造の校舎は建て替えられたが

校庭の「プラタナス」の大木が

唯一 昔の面影を残している。

小学生時代の母も

毎日触れていたと思うと

胸が熱くなった。

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小学校横の坂道を登り

「熊野神社」に参拝した。

少年の頃遊んだ楠の巨木にも

挨拶代わりに触れた。

楠木は暖かかった。

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「澄楽寺」に到着。

お墓に降り積もった

落ち葉を掃除し

墓参りを済ませた。

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【引摂山 澄楽寺】(いんせつざん ちょうらくじ)
 真言宗(高野山金剛峰寺末)
 創建:延暦十年(791年)
 開創:弘法大師
 本尊:不動明王
 豆州志稿に「延暦十年僧空海創建す」とあるが
 この年には弘法大師は、修禅寺・奥の院で修業中で
 まだ出家していないが何かの縁で開創されたと考えられている。
 伊豆でも最古刹級の伝統を持つ寺。

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隣の「東洋」(旭化成)の

工場施設が取り壊され

「城山」が見えるようになったが

墓地から見る「城山」は

今までは見たことのない

新しい景色に思えた。

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平地になった「東洋」(旭化成)の工場跡地が

黄色いお花畑になっていた。

花の種でも蒔いたのだろうか。

「芝桜」でも植え

名所にすれば良いのにと思った。

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墓参りのあとは

「城山」を眺めながら

伯母の家に(母の実家)へ向かった。

老叔母は何時もの笑顔で出迎えてくれた。

思ったより元気で一安心だった。

伯母は「何か食べたいものはないか」と聞く

私は昔食べた「おにぎりが食べたい」と答えると

伯母は不自由な身体で「おにぎり」を作ってくれた。

硬めに握った「おにぎり」に

醤油を塗り 香ばしく焼いた「おにぎり」と

硬めに握った「おにぎり」に

醤油に浸けた海苔を巻いた「おにぎり」を作ってくれた。

少年の頃

「いいっこ取り」や「海水浴」のとき

よく作ってくれた「おにぎり」だ。

昔の記憶が蘇る味で美味しかった。

伯母と昔話で時間を過ごし

「また晦日盆には来るよ」と約束し

夕刻の新幹線で帰途に就くことにした。

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三島へ向かう「駿豆線」で

伯母が作ってくれた

「おにぎり」を思い出し

涙が溢れた。

花粉症のふりをして

ハンカチで涙を拭いた。

涙もろくなったなと思った。

さて。

来週はもう六月

今年も前半が終わる。

時の流れの速さが

気になるようになった。

 

 Photo : Lumix TX1

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沼津へ出かけた。2017 晩春

沼津へ出かけた。

暑い日が続いたが

今朝は気温が低く

早朝の新幹線ホームは寒かった。

三島で降車。

在来線に乗換え

沼津駅を出ると

風がやや強く肌寒かった。

途中の「浅間神社」に参拝し

「乗運寺」の山門をくぐった。

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「乗運寺」境内は

鮮やかな新緑で覆われていた。

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本堂前の梅は

大きな実を付けていた。

もうじき

「ルンビニ」の園児たちが

取りに来るだろう。

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本堂前の「木槿」も

新芽が伸び始め

夏の準備が進んでいた。

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新緑に覆われた境内には

録の匂いが漂っていた。

初夏の匂いだ。

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境内の「紫陽花」が咲き始めていた。

まだ「ガクアジサイ」だけだが

もうじき他の「紫陽花」も

咲き始めるだろう。

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墓地へ廻ると

大株の「紫陽花」も咲き始め

「緑」から「白」に変わり始めていた。

そのうち「紫」や「ピンク」に変わるだろう。

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少し墓掃除をし

墓参りを済ませた。

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墓参りの後は

千本浜へ向かった。

千本浜公園の

「私のベンチ」でひと休み。

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園内も

木々の葉に覆われ

見通しが悪くなっていた。

夏の景色だ。

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千本浜は。

まだ雲はあるが

大瀬崎がくっきりと見えた。

防潮堤の

何時もの場所で

しばらく海を眺めた。

日射しが出始め

吹く風に

夏の気配を感じた。

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このあと

老伯母の様子を見るため

三福(伊豆の国市)へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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安倍晴明公墓所に参拝。2017 晩春(京都)

今日の散歩。

「安倍晴明公墓所」に参拝した。

JR「嵯峨嵐山駅」から

10分ほど歩いた住宅街の中に

「安倍晴明公嵯峨御墓所」がある。

(あべのせいめいこう さがのおんぼしょ)

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小ぢんまりとした墓所で

隣の「長慶天皇嵯峨東陵」の

東南の一角に割り込むように建っている。

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先ずは

新緑に覆われた

墓碑に参拝した。

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墓碑には

清明紋(五芒星)が刻まれ

没後一千年を経た現在も

妖光を放っていた。

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「晴明神社」(上京区)は有名だが

この「墓所」を知る人は

意外に少ない。

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「墓所」にも参拝すれば

より「清明公」に

守られるように思った。

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☆ 墓所は近年荒廃していたが昭和四十七年改修されている。

【安倍晴明墓所】
陰陽博士安倍晴明公は本邦易占天文暦学の開創にして平安朝の中期朱雀帝より一條帝に至るまで六代の帝に仕へ移り行く星雲を見て宮中の変事を○知し遠國の動静掌中にあるが如く神道自在の妙術を得られ朝野の信望極めて篤し斯くて寛弘二年九月二十六日尊齢八十五にて○幽さるを以て翠嵐の嵯峨の地を永遠の奥城として神鎮り奉ふ
後世に至るも奇しき尊き御遺徳を崇敬する者数多くあり茲に崇敬者相寄り荒廃せる墓域の改修を行ひ永年の宿願を達成す。

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「清明公墓所」参拝のあと

隣の「長慶天皇嵯峨東陵」に参拝した。

(ちょうけいてんのう さがの ひがしの みささぎ)

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他に参拝者は

居なかったので

ゆっくりと参拝した。

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最後に付近を一廻りし

「渡月橋」を眺めながら

嵐山の新緑を楽しんだ。

吹く風が涼しかった。

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今日は一日暑い日だった。

30度を超えたという。

まだ五月だが

来週も暑くなるのだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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大河内山荘の新緑。2017 晩春(京都)

今日の散歩。

「大河内山荘」へ出かけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

竹の数より人の数が多い

「竹林の道」を通り抜けると

20分ほどで「大河内山荘」に到着する。

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大河内山荘(おおこうちさんそう)は

昔々時代劇などで知られた俳優大河内傳次郎が

別荘として造営した回遊式日本庭園だ。

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映画出演料の大半を注ぎ込み

64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけ

てこつこつと作り上げたそうだ。

大金の掛かるライフワークだ。

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小倉山の南端に位置し

静かで見晴らしが良く

庭園を覆った新緑が美しかった。

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園内の木陰は

嵯峨野にある

他の寺院とよく似た

緑の苔に覆われていた。

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新緑の中の

春紅葉のコントラストが美しかった。

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近くで鳴く

小鳥のさえずりが心地よかった。

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東には

遠くに霞かかった比叡山や

その手前に「仁和寺」の五重塔が見えた。

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西には

「桂川」対岸の

嵐山の岸壁に建つ

「大悲閣千光寺」が見える。

そのうちそのうちと思ってはいるが

なかなか行けないお寺だ。

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園内には

近年傅次郎の五十回忌に

有縁の人々によって建てられた

「妙香庵」がある。

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大河内傳次郎没後35年間

この山荘に住んだ傅次郎の妻

妙香の菩提所になっているということだ。

中では数人の

フランス語圏の観光客が

写経をしていた。

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私も写経の真似事をし

庭を眺めながら

ゆったりとした時間を楽しんだ。

畳の上は気持ちが良かった。

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【大河内 傳(伝)次郎】(おおこうち でんじろう、
1898年2月5日~1962年7月18日)

日本の映画俳優戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。

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サイレント映画時代は、『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。悲愴感ただよう演技とスピード感溢れる殺陣で、従来の時代劇スターの定型を破り、人気を不動のものとした。当たり役は丹下左膳で、トーキー時代の作品では地元の豊前訛りで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」と言う決めゼリフで人気を得た。戦後は大物の助演者として活躍した。
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今日は暑くなる予報だったので

少し早く出かけたが

10時前には焼けるような

夏の日射しだった。

帰りに食べた

ソフトクリークが美味しかった。

明日も暑くなりそうなので

近場で済まそうと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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