蹴上インクラインを散策。2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

蹴上インクラインへでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

「三条通」を100mほど下ると

「南禅寺」や「永観堂」界隈へ至る

「蹴上トンネル」(通称:ねじりマンポ)がある。

このトンネルの上が

「蹴上インクライン」だ。

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「蹴上トンネル」の上に登ると

「琵琶湖疏水」の施設の一部

インクラインの複線軌道がある。

「琵琶湖疏水」は京都と大津間の

船の輸送を用途の一つとしていたが、

高低差の大きい場所は船が航行できないので

貨車(台車)に船を載せて上下させる

インクライン方式で運行していた。

明治二十四年(1891)から

昭和二十三年(1948)まで運用された。

現在は国の近代化産業遺産として整備されている。

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インクラインとは

「傾斜鉄道」の意味だが

平たく言えば

上の「蹴上船溜り」と

下の「南禅寺船溜り」の間の

延長640m、高低差36mを

貨車(台車)に船を乗せ

上下させるケーブルカーだ。

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建設から126年

運用停止から69年。

レールの錆と

朽ちた枕木が

その歴史を刻んでいる。

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下の「南禅寺船溜り」から

上の「蹴上船溜り」まで歩いてみたが

足場が悪く勾配15分の1(約7%)あるので

私の足で15分だった。

当時のインクラインは

巻き上げ機の速度から

10~15分だったようだから

私の歩行速度と同じだったようだ。

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上の「蹴上船溜り」に

当時の巻上機の滑車と

貨車(台車)がある。

貨車には復元された

「三十石船」が搭載されている。

「三十石船」とは和船の称で

米三〇石相当の積載能力で

約4..5トン積みに相当する船だ。

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貨車(台車)の鉄輪が

「まだまだ行けるぞ!」と

叫んでいるようだった。

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この「蹴上船溜まり」は

琵琶湖から到着した「三十石船」や

下から引き揚げられた「三十石船」が

順番を待つ場所だ。

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「船溜まり」横には

「水路トンネル」がある。

琵琶湖から来た「三十石船」や

下から引き揚げられた「三十石船」が

行き交ったトンネルだ。

トンネル面壁の

丸みのある石積みが

美しく思った。

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【インクライン】(傾斜鉄道)
大津から京都を結ぶ東海道の難所であった逢坂山や日ノ岡の峠道は、旅人や貨物運搬にとって悩みの種で琵琶湖から水を引き、その水路を利用して舟運を興すとともに、田畑を潤すことが古くは平清盛、豊臣秀吉の時代からの願望として伝承されてきました。明治2年(1869)の東京遷都以降、衰退する京都経済の復興策として京都府三代目知事北垣国道、青年技師田邊朔郎、測量技師嶋田道生ら技術陣・行政関係者、上・下京連合区会、市民の力で明治18年(1885)8月、水力動力、舟運、かんがい、精米水車などの多目的な効用をはかるため、疎水開削工事に着手しました。
インクラインは、蹴上船溜(ダム)や南禅寺船溜に到着した舟から乗り降りすることなく、この坂を船ごと台車に乗せて昇降させる目的で建設されました。当初、蹴上から分水した水力動力(20馬力、15KW)によって水車場内のウインチ(巻上機)と水中の滑車を回転、ワイヤロープでつないだ軌道上の台車を上下する構造を考えていました。その後、明治21年(1888)、田邊技師、高木文平調査委員が訪米し、アスペン銀鉱山の水力発電を視察した結果、インクライン動力源を水車動力から電力使用に設計変更され、事業用としては我が国発の蹴上発電所を建設することになりました。この電力が世界最長のインクラインに35馬力(25KW)、時計会社に1馬力(0.75KW)など産業用、電灯用として活用されました。
明治27年(1894)には伏見区掘詰町までの延長約20kmの運河が完成し、この舟運により琵琶湖と淀川が疎水を通じて結ばれ、北陸や近江、あるいは大阪からの人々や物資往来で大層にぎわい、明治44年(1911)には渡航客約13万人を記録しました。しかしながら、時代の流れで大正4年(1915)には、京津電車、京阪電車が開通旅客数が3万人大に激減したのに加え、国鉄(JR)の方でも東山トンネルが開通して大正10年に現在の山科駅が開設されたため、京津間の足としての疎水の機能は実質的に失われることとなりました。一方、貨物の輸送量は、大正14年(1925)には、史上最高の22万3千トン、1日約150隻を記録しました。やがて、陸送化がどんどん進み昭和26年(1951)9月、砂を積んだ30石船が最後に下り疎水舟運60年の任務を終えました。
こうして、琵琶湖疎水、インクラインは文明開化以降における画期的な京都再生の役割を果たしました。
平成8年(1996)6月には、国の史跡指定を受け、今日の京都を築いた遺産として後世に長く伝えるため形態保存しています。

                概  要
 着  工  :明治20年(1887)5月  
 竣  工  :明治23年(1890)1月  
 運転開始  :明治24年(1891)11月(蹴上発電所営業運転開始)
 幅   約 :22m
 勾  配  :15分ノ1  
 所要時間  :10~15分
 電 動 機  :直流440V、70A
 ドラム工場:南禅寺船溜北側

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「蹴上インクライン」横にある

「蹴上疏水公園」には

「琵琶湖疏水」建設に携わった

「田邊朔郎」技師の

記念碑と銅像がある。

「田邊朔郎」は

「沼津兵学校付属小学校」に

明治2年から明治4年まで

在籍した経歴のある技術者だ。

沼津出身の私には

身近な存在だと思った。

【田辺 朔郎】(たなべ さくろう、
1861年12月2日(文久元年11月1日) - 1944年(昭和19年)9月5日)
日本の土木技術者・工学者。琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行なうなど、日本の近代土木工学の礎を築いた。北海道官設鉄道敷設部長として北海道の幹線鉄道開発に着手し、狩勝峠の名づけを行った。

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今日は

風が冷たく寒い日だった。

寒がりの私は身に堪えた。

次回から服装を

考えなければいけないと思った。

次回は

「琵琶湖疎水」が流れる

「水路閣」へ行こうと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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厭離庵に参拝(紅葉)2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

厭離庵へでかけた。

JR「嵯峨嵐山駅」から

15分ほど進むと「厭離庵」の入口がある。

「清涼寺」から

嵯峨野路の坂道を

5分ほど上がった場所だ。

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細い参道を進むと

簡素な山門に到着する。

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嵯峨野路に

隠れ家のようにある

静かな尼寺だ。

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厭離庵(えんりあん)
 
 山号:如意山

 宗派:臨済宗天龍寺派

 本尊:如意輪観音(にょいりんかんのん)

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簡素な伽藍は

楓の林に覆われていた。

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「厭離庵」は

藤原定家が小倉百人一首を編纂した

小倉山荘跡にある寺として知られている。

境内には書院の他、時雨亭・柳の水(硯の水)

定家塚や定家の嗣子である為家の墓が残されている。

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先ずは

本堂に御参りした。

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まだ

紅葉の見頃には早いので

拝観者は少なかった。

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私の好きな寺院だが

春の桜と秋の紅葉シーズンのみ

一般公開されているので

拝観出来る機会は少ない。

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そよぐ風と

小鳥のさえずりが

心地良かった。

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【厭離庵】(えんりあん)
所在地は、鎌倉時代初期の公家・藤原定家の山荘跡と伝えられる。しばらくして荒廃し、江戸時代初期には定家・為家塚が残るのみとなっていたが、元文元年(1736)の頃、定家の子孫である公家の冷泉家がわずかに残っていた土台石をもとに修復し、霊元天皇が『厭離庵』という号を授けて、白隠禅師の弟子の霊源が開山したのに始まるという。
 その後、安永元年(1772)に鹿王院の末庵となったり、次いで明治二十年(1887)1月に大覚寺に属するなどしたが再び荒廃する。明治四十三年(1910)に白木屋社長の大村彦太郎(10代)が佛堂と庫裡を建立し、山岡鉄舟の娘である素心尼が住職となって以後は尼寺になる。

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先に訪れた

東山の「禅林寺」や

「南禅寺」界隈では

既に見頃だったが

嵯峨野界隈では

これからが見頃だ。

自然の営みは

不思議なものだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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禅林寺に参拝(紅葉)2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

禅林寺へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

「南禅寺」境内を通り抜け

15分ほど歩くと「禅林寺」の「総門」がある。

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「総門」をぐぐり

「中門」へ向かうと

参道の紅葉のグラデーションが美しかった。

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「中門」前は

多くの拝観者で賑わっていた。

「禅林寺」は紅葉の名所として知られ

古くより『秋はもみじの永観堂』といわれている。

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「禅林寺」(ぜんりんじ)
 
 別称:永観堂(えいかんどう)

 山号:聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)

 宗派:浄土宗西山禅林寺派総本山

 開基:真紹僧都(しんじょうそうず)

 創建:仁寿三年(853)

 本尊:阿弥陀如来(重要文化財)

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「鶴寿台」から上がり

「古方丈」へ廻ると

中庭の紅葉が美しい。

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「紅葉」一色の境内だ。

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「唐門」前の「石庭」が

唯一「緑」の空間に思えた。

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「唐門」の

「すかし窓」を通してみえる

紅葉のグラデーションが美しかった。

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「御影堂」の「五色幕」が

紅葉に彩りを加えている。

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「釈迦堂」上の「多宝塔」から

中国語の歓声が聞こえた。

彼らにとっては

遊園地と同じ気分なのだろう。

雰囲気が壊れる。

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境内の南端に

「阿弥陀仏堂」(本堂)がある。

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御本尊「阿弥陀如来像」(重文)は

この「阿弥陀仏堂」(本堂)に安置されている。

「阿弥陀如来立像」は

『みかえり阿弥陀』の名で知られ

頭部を向かって右に向けた

特異な姿の像だ。

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先ずは

「御本尊」に御参りした。

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緑と赤の

バランスも良い。

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庭へ下り

しばらく散策を楽しんだ。

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「放生池」に写る

紅葉の姿も美しかった。

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いつまでも見ていられる

優美で美しい庭だ。

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散策の後は

茶屋で一休みした。

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紅葉を眺めながらの

「わらび餅」が美味しかった。

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あと一週間もすれば

境内は赤い絨毯で染まるだろう。

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茶屋でのびりしていると

拝観者が益々増えてきた。

残念だが

少し早めに帰ることにした。

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【永観堂(禅林寺)】(えいかんどう ぜんりんじ)
聖衆来迎山と号する浄土宗西山禅林寺派の総本山で、正しくは無量寿院禅林寺という。
中興の祖・永観律師(1033~1111)にちなみ、広く「永観堂」と呼ばれている。平安後期の1082年2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行をしていた永観の前に、本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に、阿弥陀如来は後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられる。その姿を仏像にした「阿弥陀如来像」(重要文化財)は、首を左に向けて微笑みを湛える珍しい逸品で、「みかえり阿弥陀」として親しまれる。
鎌倉時代中期には浄土宗西山派開祖・證空(しょうくう)の弟子。淨音(じょうおん)が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。その後、応仁の乱により堂宇が焼失したものの、明応6年(1497)に後土御門天皇の命により再興され、以後逐次諸堂が再建され、現在の伽藍が整えられた。
国宝の「山越阿弥陀図」をはじめ、「当麻曼荼羅図」など重要文化財の寺宝を多数所蔵する。
もみじの永観堂として知られ、空には色鮮やかな紅葉が見られる。

    京都市

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拝観者が少なければ

もう少しのんびりしたかった。

雪の降る頃

また訪れたいと思った。

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紅葉の季節に入り

観光客が沸いて出てきた。

混雑は好まないが

何処へ行っても

同じだろう。

 

 Photo : Lumix TX1

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二条天皇陵に参拝。2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

二条天皇陵へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

「西大路通」経由で

住宅街を5分ほど進むと

御陵参道の入り口がある。

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石段を上がると

白砂利の参道には

よく手入れされた

松並木が続く。

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白砂利の参道を

80mほど進むと

御陵に到着する。

一本突き出た

松の大木が

印象的だった。

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【二條天皇香隆寺陵】

(にじょうてんのう こうりゅうじのみささぎ)

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円丘の御陵墓は

森に埋もれて見えなかったが

森の形から

円丘であるのが良く判る。

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先ずは

ゆるりと参拝した。

 代  数:第78代
 天皇名:二條天皇(にじょうてんのう)
 御  父:後白河天皇
 御  母:贈皇太后懿子
 御陵名:香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)
 陵  形:円丘

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御陵地は

周りの住宅街よりは

若干高くなってはいるが

ほぼ平地に位置している。

近くの「花山天皇陵」と

同じ構造だ。

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御陵墓には

「千利休」の逸話が伝わる。

 ・二条天皇陵の石を勝手に持ち出し

 手水鉢や庭石などに使ったことが

 秀吉の怒りを買った。

 ・二条天皇陵の墓石を大徳寺の

 聚光院に持ち帰って自分の墓石と

 手水鉢にした。

はてさて

事実か噂か。

全ては歴史の闇の中だ。

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次回も

静かな場所を探し

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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桂春院に参拝(紅葉)2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

桂春院へでかけた。

JR「花園駅」から5分ほど歩くと

大本山「妙心寺」の「南総門」がある。

「桂春院」は

大本山「妙心寺」の

広大な境内に46カ寺ある

塔頭(たっちゅう)寺院の一つだ。

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大本山「妙心寺」の「南総門」をくぐり

境内に張り巡らされている

「桂春院」への

石畳の道を辿った。

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石畳の道を進むと

塔頭寺院や塀が立ち並び

古の昔へタイムスリップしたかのように思える。

侍や町娘が歩いていても

何の違和感も感じないだろう。

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映画やドラマの

ロケ地になっているようだ。

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石畳に

導かれるように進むと

5分ほどで「桂春院」に到着する。

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「桂春院」(けいしゅんいん)

 山号:(妙心寺塔頭)

 宗派:臨済宗妙心寺派

 開基:織田 秀則(おだ ひでのり)

 開祖:水庵宗掬(すいあん そうきく)妙心寺七三世

 創建:慶長三年(1598)

 本尊:薬師如来

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山門をくぐると

「庫裏」前の楓は

まだ色づき始めたばかりだった。

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「書院」から

苔むした「侘(わび)の庭」を見ると

「梅軒門」(ばいけんもん)が苔に埋もれていた。

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「方丈」(本堂)は

寛永八年(1631)に建立された

単層入母屋造・桟瓦葺の建物で

内部は狩野山楽の弟子である

狩野山雪による襖絵で飾られている。

奥の「金碧松三日月図」は

狩野山雪の筆によるものだ。

先ずは

襖絵の奥の

御本尊に御参りした。

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「方丈」の南には

「真如(しんにょ)の庭」がある。

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「真如(しんにょ)の庭」には

サツキ・ツツジ・馬酔木などが

バランスよく植えられている。

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植えられた楓の

バランスも良い。

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見頃には

まだ一週間ほど早いが。

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紅葉と緑の

グラデーションが美しかった。

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庭へ下り

しばらく散策を楽しんだ。

吹き抜ける風と小鳥のさえずりが

心地良かった。

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いつまでも見ていられる

簡素で美しい庭だ。

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「閑寂を楽しむ」とは

この事だろうか。

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「清浄の庭」の

「花頭窓」(かとうまど)から見える

緑の景色も美しかった、

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【桂春院】(けいしゅんいん)
 慶長三年(一五五八)に美濃の豪族石河壱岐守貞政(いしこいきのかみさだまさ)が桂南和尚(けいなんおしょう)を講じて創建した妙心寺の塔頭の一つで、東海派に属している。
 庭園は方丈の南、東及び前庭の三つに分かれる。方丈南庭は、北側の崖を躑躅(つつじ)の大刈り込みで蔽(おおい)その下に東より椿、紅葉等を植え、庭石を七五三風に低地を利用した飛石本位のもので茶庭の観をそなえている。
 茶室は草庵風の三畳の席で、藤村庸軒(ふじむらようけん)の好みと伝えている。 

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前回訪れた

華やいだ「退蔵院」とは趣きが違い

「侘び」が漂う静かな寺院だった。

 退蔵院に参拝(紅葉)2017 晩秋(京都)

小さな寺院だが

暖かい気持ちになれるので

私は好きだ。

また訪れたいと思った。

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さてさて。

紅葉の季節に入り

観光客が沸いて出てきた如くだ。

混雑は好まないので

明日は

「二条天皇陵」を

参拝しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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退蔵院に参拝(紅葉)2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

退蔵院へでかけた。

JR「花園駅」から

5分ほど歩いた「妙心寺」境内に

妙心寺塔頭「退蔵院」がある。

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「妙心寺」の

朱塗りの「三門」のすぐ隣が

「退蔵院」の「山門」だ。

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「山門」をくぐると

正面に「方丈」(本堂)がある。

先ずは

「方丈」に御参りした。

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「退蔵院」(たいぞういん)

 山号:(妙心寺塔頭)

 宗派:臨済宗妙心寺派

 開基:波多野重通(はたのしげみち)

 開山:無因宗因(むいんそういん)

 創建:応永十一年(1404)

 本尊:無因宗因禅師(妙心寺第三世)

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境内には、国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)や

史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」(もとのぶのにわ)

そして四季折々の景色が美しい

池泉回遊式庭園「余香苑」(よこうえん)などがある。

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まず、

枯山水庭園「元信の庭」のある

「方丈」の「大玄関」へ廻った。

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「大玄関」から

「方丈」へ上がると

国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)が

 ※掛けられているのはレプリカ

掛けられた「鞘の間」がある。

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「鞘の間」の鶴の絵が

描かれている納戸の裏へ廻ると

「元信の庭」がある。

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「元信の庭」(もとのぶのにわ)

室町時代の画聖・狩野元信の作品。

枯山水の優美な庭園で

枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など

多数の庭石が豪快に組まれている。

昭和六年(1931)国の名勝史跡庭園に指定された。

こぢんまりとして

爽やかな庭だ。

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「方丈」を出て

南へ廻ると

「余香苑」がある。

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「ひょうたん池」の上に広がる

立体的な回遊式庭園だ。

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「余香苑」(よこうえん)
この広大な庭園は造園家・中根金作氏の設計によるもので、昭和三十八(1963)に着工し三年の月日を費やして完成した。
余香苑(よこうえん)は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国でも有数の昭和の名園と言えます。構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられます。一年を通して、紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などが彩ります。

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紅葉の見頃には

まだ少し早いが

色づいた楓が

美しかった。

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「紅しだれ桜」も

品のある黄色に

色づいていた。

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「余香苑」の

美しい景色を堪能し

最後は「陰陽の庭」を眺め

拝観を終えることにした。

「元信の庭」は→『静』

「余香苑」は  →『動』

「陰陽の庭」は→『静』

巧く配置されていると思った。

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【退蔵院】(たいぞういん)
 越前(現在の福井県)の豪族・波多野重通(はたのしげみち)が妙心寺三世の無因禅師(むいんぜんじ)を開祖として、応永二年(1395)に創建した妙心寺の塔頭(たっちゅう)である。
 建物はその後再建され、現在の方丈(重文)は慶長年間(1596~1615)の建築である。
 方丈西の庭園(国の史跡および名勝)は、室町時代の有名な画家・狩野元信(かのうもとのぶ)の作庭と伝えられている。二百平方メートルほどの広さであるが、石組本位の枯山水庭園で、一見無造作に石や橋が配置されているように見えるが、全体として見事に絵画的な調和を保っている名園である。
 寺宝のうち瓢鮎図(ひょうねんず)一幅(国宝)は、瓢箪(ひょうたん)でなまずを押えるという禅の公案(こうあん)(試験問題)を絵に表わしたもので、足利義持の命により如拙(じょせつ)が心血を注いで描いた最高傑作としてよく知られている。如拙は相国寺(しょうこくじ)の禅僧であったが、宋元画を学び日本の水墨画を開拓した先駆者で、雪舟もわが師と呼んで手本としたといわれている。
 ほかに、花園天皇、後奈良天皇の宸翰(しんかん)(重文)などを蔵する。  京都市

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小さな寺院だが

落ちついた爽やかな

気持ちになれるので

私は好きだ。

「紅しだれ桜」の咲く頃

また訪れたいと思った。

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さて。

紅葉の季節に入り

観光客も増えてきた。

混雑は好まないので

次回は

空いた場所を探して

徘徊しようと思う。

 

 Photo : Lumix TX1

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妙心寺に参拝。2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

妙心寺へでかけた。

JR「花園駅」から

5分ほど歩いた「妙心寺通」に

日本最大の禅寺「妙心寺」の

「南総門」がある。

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「南総門」をくぐると

広大な境内が広がる。

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「妙心寺」は

東西:約500m

南北:約600mの境内中央に

大本山「妙心寺」の「三門」

「仏殿」、「法堂」などの中心伽藍がある。

その周囲には46カ寺の

塔頭(たっちゅう)寺院が建ち並び

一大寺院群を形成している。

まるで城郭都市のようだ。

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【妙心寺】(みょうしんじ)

 山号:正法山(しょうほうざん)

 宗派:臨済宗妙心寺派大本山

 開基:花園法皇(花園天皇)

 開山:関山慧玄(無相大師)

 創建:建武4年//延元2年(1337)

 本尊:釈迦如来

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「南総門」をくぐると

「放生池」の奥に三門(さんもん)がある。

モノトーンの境内で

唯一朱塗りの建物だ。

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「三門」(さんもん)

重要文化財

建立:慶長四年(1599)

楼上には、観世音菩薩と十六羅漢が祀られ、

極彩色鮮やかに飛天や鳳凰、龍の図が

柱や梁に描かれている。

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「三門」の奥には

「仏殿」、「法堂」、「大方丈」が立ち並ぶ。

青空の下の伽藍は

何となく埃っぽく見えた。

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先ずは

「仏殿」(本堂)に御参りした。

「仏殿」には

「南総門」から一緒になった

オーストラリアから来たという

親子連れが先に参拝していた。

国の大学で覚えたという

娘の日本語が楽しかった。

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「仏殿」(ぶつでん)

重要文化財

建立:文政十年(1827)

妙心寺の本堂で本尊「釈迦如来」が祀られている。 

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「仏殿」の奥には

渡り廊下で繋がった「法堂」がある。

「法堂」には仏像は安置されず

法座や坐禅が行われる場所だ。

学校でいえば講堂のような場所だ。

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「法堂」(はっとう)

重要文化財

建立:明暦3年(1657)

内部のケヤキの柱は

木の弱い部分である芯を避けるため

原木を四つ割にして丸く削られたもので、

高さは8メートル、周囲は2メートル弱で

富士山麓より海路によって運ばれてきたものだそうだ。

鏡天井には「狩野探幽」の筆による「雲龍図」がある。

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「雲龍図」は

「狩野探幽」が8年の歳月を費やして描いた図で

何処から見ても「龍の目」が此方を見ているという

所謂「騙し絵」の技法だ。

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中心伽藍の

一番奥が「大方丈」になる。

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「大方丈」(おおほうじょう)

重要文化財

建立:承応三年(1654)

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「大方丈」は

行事を勤める際、出頭される和尚さんの

控えの間や食事の場となる広間として使われる。

その他に

写経や社員研修会などの

行事が行われている。

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「大方丈」の広間では

大勢の参拝者が並び

何かの行事が行われていた。

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「大方丈」前の

渡り廊下をくぐる石畳の道には

日常のように自転車が通り過ぎていた。

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46カ寺の塔頭寺院を結ぶ

石畳の道が張り巡らされている。

お坊さんが乗った

自転車や車が

普通に行き交っていた。

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路地へ入ると

まるで江戸の昔へ

タイムスリップしたかのように思えた。

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【妙心寺】(みょうしんじ)
 正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。
深く禅に帰依された花園法皇が関山慧玄を開山とし離宮萩原殿を改めて寺とされたのが当寺の起こりで、室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深が再建、弟子にも名僧が出て寺運はさかんとなり、塔頭が相ついいで建てられ、地方へも当寺の勢力は発展した。現在末寺三,五〇〇余、臨済宗各派中最大である。勅使門より北へ三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈が一直線に並び、その東側に浴室・浴室鐘楼・経蔵が並ぶ。室町後期から江戸初期の建築で、近世禅宗が藍の最も完備した形を示している。
大方丈の二面の庭園は清楚な名園である。法堂内に収蔵されている鐘は黄鐘調の鐘といわれ、698年の作。黄鐘調鐘 我国最古の在銘鐘で、形・音色にすぐれている。寺宝には当寺の歴史に関する多くの文化財を蔵する。また、塔頭は40余に達し、禅宗本山として堂々たる寺容をほこっている。   京都市

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境内が広いので

塔頭46カ寺巡りをすれば

良い運動にもなると思った。

帰りは

境内を通り抜け

「北総門」から退出し

嵐電「妙心寺駅」から帰宅した。

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境内には

塔頭寺院の

紅葉特別拝観の案内が

立つようになった。

紅葉には少し早いが

何処か行ってみようと思う。

 

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文徳天皇陵に参拝。2017 晩秋(京都)

今日の散歩。

文徳天皇陵へでかけた。

嵐電「鳴滝駅」から

住宅街を5分ほど進むと

小高い山の麓に

御陵参道の入り口がある。

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石段を上がり

凸凹した石畳を

70mほど進むと

参道は右直角に曲がる。

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右に曲がると

参道は石畳から

白砂利に変わり

正面に御陵の

石段と鳥居が見えてくる。

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白砂利の参道は

御陵前に広がる

「門徳池」に桟けられた

築堤上を一直線に伸びている。

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白砂利の参道を

50m進むと

御陵に到着する。

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【文徳天皇田邑陵】

(もんとくてんのう たむらのみささぎ)

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鳥居前の拝所は

約4m(石段20段)上にある。

下の一般拝所からは

御陵墓がよく見えなかった。

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先ずは

ゆるりと参拝した。

 代  数:第55代
 天皇名:文徳天皇(もんとくてんのう)
 御  父:仁明天皇
 御  母:尊称太皇太后順子
 御陵名:田邑陵(たむらのみささぎ)
 陵  形:円丘

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御陵の

柵で囲まれた区域が

古墳となっているので

このような形状になったと推測する。

御陵前の「門徳池」から

500m北西には「弁慶池」

さらに500m先には「広沢池」

さらに「大沢池」と点在する。

古の昔の

農耕水源だったのだろう。

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参拝後

参道から振り返ると

周りの木々が

赤く染まり始めていた。

季節は晩秋。

そろそろ

紅葉の季節だ。

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この後

近くの

「妙心寺」へ向かった。

 

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地蔵院(椿寺)に参拝。2017 仲秋(京都)

今日の散歩。

地蔵院(椿寺)へでかけた。

嵐電「北野白梅町駅」から

5分ほど歩いた「一条通」に

「地蔵院」(じぞういん)がある。

「大将軍八神社」へ至る道の

200mほど手前だ。

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京都には

「地蔵院」は二つある。

一つは京都市西京区にある

一休さんの故郷「地蔵院(竹の寺)」と

 地蔵院(竹の寺)の新緑。2017 初夏(京都)

もう一つが今回訪れた

京都市北区の「地蔵院(椿寺)」だ。

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「山門」をくぐると

右手に「本堂」がある。

先ずは

本堂に御参りした。

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「地蔵院」(じぞういん)

 通称:椿寺(つばきでら)

 山号:昆陽山(こんようざん)

 宗派:浄土宗

 開基:行基

 創建:神亀三年(726)

 本尊:阿弥陀如来

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本堂の前には

「椿寺」と呼ばれる所以となった

「散椿」と呼ばれる「椿」の古木がある。

この「椿」は

秀吉が地蔵院に寄進したもといわれている。

「五色八重」の「散椿」は

薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿で

花ごと落ちず花弁が一枚ずつ散るのが特徴だという。

秀吉が寄進した樹齢400年の「散椿」は

昭和58年(1983)枯れてしまい

現在は枝分けされた樹齢120年の

二世の「散椿」だという。

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本堂前の

桜をくぐると

「地蔵堂」がある。

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「地蔵堂」には

「鍬形(くわがた)地蔵」

「昆陽野(こやの)地蔵といわれる

地蔵尊が安置されている。

行基作といわれるかつての本尊で

山号の由来になっている。

洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の

第12番札所本尊で安産守護の信仰がある。

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「地蔵堂」横には「観音堂」がある。

「観音堂」には

慈覚大師作の

「十一面観音菩薩」が安置されている。

高さ5尺3寸木製立像で

正月三が日と春・秋彼岸

地蔵盆にはご開帳だという。

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御参りを終え

境内の墓地に回ると

赤穂浪士を陰で支えた

「天野屋利兵衛」の墓がある。

「利兵衛」は

晩年「地蔵院」に隠棲し

名を改め義士の冥福を祈ったと伝えられる。

さらに俳人「与謝蕪村」の師匠に当たる

「夜半亭巴人」(やはんていはじん)の墓や

切支丹の墓もある。

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【地蔵院】(椿寺)
 正しくは昆陽山(こんようざん)地蔵院という浄土宗の寺で、「椿寺」の愛称で親しまれている。
 神亀(しんき)三年(七二六)に、行基(ぎょうき)が聖武天皇の勅願(ちょくがん)によって摂津国の昆陽野池(こやのいけ)のほとりに建立した地蔵院が始まりといわれる。その後、平安時代に衣笠山麓に移され、室町時代初期に戦災で焼失したが、足利義満が金閣寺建立の余財で再建し、天正(てんしょう)一七年(一五八九)に豊臣秀吉の命によって現在地に移された。
 地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、行基(ぎょうき)作のものと伝えられる。地蔵堂背後の板扉(いたとびら)はもと北野天満宮にあった多宝塔の遺構とされる。
 書院の前庭には、北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)の縁により秀吉から当寺に寄進されたといわれる「五色八重散椿(ちりつばき)」があったが、惜しくも枯死し、現在は樹齢約百二十年の二世が本堂前に花を咲かせている。薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿で、花ごと落ちず、花びらが1枚ずつ散るのを特徴とする。境内には、忠臣蔵で有名な天野屋利兵衛(あまのやりへえ)のものといわれる墓や、与謝蕪村(よさぶそん)の師にあたる夜半亭巴人(やはんていはじん)の墓などもある。洛陽三十三所観音霊場の第三十番札所である。 京都市

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近くの「金閣寺」や

「北野天満宮」には

大勢の参拝者が訪れるが

「地蔵院」には参拝者は少なかった。

小さな寺院だが

ほっとする

懐かしい気持ちになれるので

私は好きだ。

「椿」の季節には

また訪れたいと思った。

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さて。

10月末になり

寒い日が多くなった。

先週の風邪がまだ治らない。

例年なら

コートは11月中旬だが

今年は

早めに着ようと思った。

 

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雨。散歩。2017 仲秋(京都)

朝の散歩にでかけた。

雨の合間に

嵯峨野を徘徊しようと

新しい傘を持って出かけた。

が。

歩き始めたとたん

雨脚が強くなったので

近くのカフェに避難した。

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「カフェオレ」を飲みながら

店のお姉さんに

「カフェオレ」と

「カフェラテ」の

違いを教わった。

直ぐに雨は止み

再び徘徊を始めた。

周りの木々は

雨に打たれ

鮮やかに見えた。

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「落柿舎」前の「楓」も

良い感じに色づいてきた。

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「落柿舎」の

藁葺き屋根と柿の木が

落ち着いた風情をかもし出している。

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「落柿舎」の中から

楽しそうな観光客の

笑い声が聞こえてきた。

雨の日の

観光客は

可哀想だと思ったが

少し羨ましくも思った。

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本日の歩数は

辛うじて一万歩。

雨の日は

家でゴロゴロするのが日常だが

たまには雨の日の

徘徊も良いものだと思った。

日曜は

衆院選挙だが

台風接近の予報だ。

早めに投票に出かけようと思う。

 

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