大豊神社に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

大豊神社へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

北東へ35分ほど歩くと

「哲学の道」に「大豊神社」がある。

「冷泉通」から

「哲学の道」に入ると

沿道の新緑が美しかった。

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「哲学の道」を10分ほど歩くと

「琵琶湖疏水分線水路」に架かる

「大豊橋」が参道の入口だ。

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入口を入ると

石畳の参道が70mほど続く。

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紫陽花の咲く参道を進むと

「手水舎」がある。

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「御神水」は

神社背後の「椿ヶ峰」から

湧き出るという。

冷たく気持ちが良かった。

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「手水舎」の

すぐ上が「一の鳥居」だ。

鳥居の先の境内中央に「拝殿」がある。

十年ほど前までは

「拝殿」との間に

朱塗りの「二の鳥居」があったそうだ。

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「大豊神社」(おおとよじんじゃ)

 創  建 :仁和三年(887)
 創建者 :藤原淑子(宇多天皇の養母)
 御祭神 :少彦名命(すくなひこなのみこと)
       応神天皇(おうじんてんのう)
       菅原道真(すがわらみちざね)
 御神徳 :治病健康・福徳長寿・学業成就
       ・縁結び、子授け安産

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境内には

「拝殿」の

奥に「本殿」

右に「絵馬堂」

左に「社務所」

全体にこぢんまりとした「社殿」だ。

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「拝殿」奥の

緑の中に「本殿」が見える。

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「本殿」は

建武の乱・応仁の乱などで焼失し

その後再建されている。(再建年は不明)

この社は

「宇多天皇」の養母「藤原淑子」が

「宇多天皇」の病気平癒のため

創建した「勅願社」だ。

「文子天満宮」と

創建主旨が似た神社だと思った。

 文子天満宮に参拝。2018 晩冬(京都)

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先ずは

鈴を鳴らし

参拝した。

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「大豊神社」は

色んな「狛犬」があることから

末社の方が人気のある神社だ。

「本殿」の南隣に

「愛宕社」と「日吉社」の相殿がある。

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「愛宕社」には

愛宕山を空から守る天狗(鳶)に因み

「狛鳶」が建てられ。

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「日吉社」には

比叡山延暦寺の守護神である

比叡の山をお守りしている猿が

「狛猿」として建てられている。

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その隣の

「稲荷社」には

稲荷神の使いの

「狛狐」がある。

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境内の南端には

一番人気の「大国社」がある。

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「大国社」は

縁結びの神として

信仰を集める神だ。

椿に覆われた「社殿」には

「狛鼠」が並ぶ。

大国主命が野火に囲まれ困っているとき

鼠が洞穴に導いて命を救ったという

「古事記」の逸話に依るものだ。

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左の吽形「狛鼠」は玉を抱えている。

玉には安産や病気平癒の

御利益があるといわれている。

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右の阿形「狛鼠」は巻物を抱えている。

巻物には学業成就の

御利益があるといわれている。

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「とび」「さる」「きつね」ねずみ」が並び

それぞれの特色があって

ちょっと楽しい神社だ。

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【大豊神社】(おおとよじんじゃ)
 この社は少彦名命(すくなひこなのみこと)・応神天皇・菅原道真(みちざね)を祀っている。社伝によると、仁和三年(八八七)、宇多天皇の病気平癒のため尚侍藤原淑子が勅命を奉じた勅願社であり、朝野の信仰が篤かった。建武の内乱・応仁の兵火などに遭って焼失したが、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、鹿ケ谷、法然院、南禅寺一帯の土産神(うぶすなのかみ)として信仰を集めている。
 特に、末社の大国社の狛鼠、日吉社の狛猿、愛宕社の狛鳶は、それぞれの神のお使いとして有名である。また、神花として椿、枝垂れ紅梅、紫陽花や山野草が四季折々、参拝者の心を和ませている。更に、椿の名所としても知られている。

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参拝の後は

参道の紫陽花を眺めながら帰った。

最近の紫陽花は

色も豊富で大輪が多いと思った。

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さて。

今日は

梅雨の晴れ間で

爽やかな一日だった。

来週の天気は

どうなるだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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熊野若王子神社に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

熊野若王子神社へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

「南禅寺」境内を通り抜け

北東へ25分ほど歩くと

「禅林寺(永観堂)」北端の

「冷泉通」に「熊野若王子神社」がある。

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石段の右には

紀州熊野より

苗木を植樹された

樹齢400年以上とされる

御神木の梛(なぎ)と「石橋」がある。

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この「石橋」は

明暦二年(1656)吉良家より

寄進されたものだそうだ。

石のアーチ橋が

緑に染まっていた。

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石橋を渡り

鳥居をくぐると

新緑に囲まれた境内がある。

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鳥居の正面に

末社「恵比寿殿」

その隣に「本殿」がある。

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「熊野若王子神社」(くまのにゃくおうじじんじゃ)

 創  建 :永暦元年(1160)
 創建者 :後白河法皇
 御祭神 :国常立神(くにとこたちのかみ)
       伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
       伊邪那美神(いざなみのかみ)
       天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 御神徳 :厄除け・縁結び・開運

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当社は

永歴元年(1160)「後白河法皇」が

建立した若王子の鎮守社で

社名は「天照大神」の別称

「若一王子」に因んで名付けられた。

「社殿」は

「応仁の乱」により荒廃したが

「豊臣秀吉」により再興され

本宮・新宮・那智・若宮の

四棟からなっていたそうだ。

現在の社殿は

昭和五十四年(1979)

一社相殿に改築されたものだ。

「本殿」は

正面に拝所を付設した

「幣殿」が接続する複合社殿だ。

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先ずは

鈴を鳴らし

参拝した。

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参拝を終え

「本殿」の屋根を見上げると

瓦には「カラス」が刻まれている。

あの三本足の「八咫烏」(ヤタガラス)だ。

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「八咫烏」は

神武東征(じんむとうせい)の際

高皇産霊尊(タカミムスビ)によって

「神武天皇」のもとに遣わされ

熊野国から大和国への

道案内をしたとされるカラスで

そのおかげで勝ち戦となったと伝えられている。

そこから「八咫烏」は勝利を導く守り神として

信仰されるようになつた。

現在、サッカー日本代表の

シンボルマークにもなっている。

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【熊野若王子神社】
(くまのにゃくおうじじんじゃ)
当社は永歴元年(1160)後白河法皇が熊野権現を勧進して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称若一王子に因んでこのように名付けられた。
以後、室町幕府及び武家の信仰を集めると共に、花見の名所としても知られ、寛正六年(1465)三月には、足利義政により花見の宴が催された。その後、応仁の乱により社殿は荒廃したが、豊臣秀吉により再興され、社殿及び境内が整備された。
現在の社殿は昭和五十四年(1979)一社相殿に改築されたもので、以前は本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた。

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「熊野若王子神社」参拝のあと

裏山「若王子山」にある

「新島襄」の墓に向かった。

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参道の入口には

杖が置かれている。

杖は要らないとは思ったが

「猿」や「猪」が出ると脅されていたので

護身のため拝借することにした。

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参道は急峻で

途中までかなり荒れている。

案内では20分だというが

30分はかかりそうだと思った。

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頂上附近は

共同墓地(若王子山墓地)で

沢山の墓石が並んでいる。

クリスチャンの墓が多い。

30分強登ると

「同志社共葬墓地」に到着する。

柵で囲われた共葬墓地の

石畳の正面が「新島襄」の墓石だ。

左に「八重夫人」

右に「Jerome Dean Davis」が並ぶ。

 ※Jerome Dean Davis
  (ジェローム・ディーン・デイヴィス)
   アメリカン・ボードの宣教師・教育者。
   同志社英学校の設立時に参加している。

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「新島襄」は

元治元年(1864)アメリカに密出国し

キリスト新教に入信し神学を学ぶ。

明治五年(1872)アメリカ訪問中の「岩倉使節団」の

「木戸孝允」の通訳として使節団に参加している。

帰国後、京都寺町に

同志社英学校(同志社大学)を開校。

明治二十三年(1890)一月二十三日

神奈川県大磯町にて死去

ここに埋葬される。(享年46歳)

刻まれた碑銘は

「勝海舟」の筆によるものだ。

私はクリスチャンではないので

仏式でお参りさせて頂いた。

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【新島襄先生の墓碑】
同志社の創立者新島襄先生は、1890(明治23年)一月二十三日に神奈川県大磯で四十六才で天に召され、一月二十七日の葬儀のあと学生たちに担がれて此処に埋葬されました。
そして翌年一月、鞍馬産の自然石に、勝海舟翁の揮毫になる碑銘を刻んだ墓碑が建立されました。
それから九十余年をへて、次第に墓碑の風化が進んだため、再建が協議されましたが、たまたま1986(昭和六十一)年六月不慮の事故によって倒壊しました。
そこで新島先生がアメリカ留学から帰国される際に「日本にキリスト教主義学校を」と
声涙倶に下る募金演説をされたゆかりの地であるヴァーモント州ラットランド産の花崗岩をもって1987(昭和62)年一月十六日にこれを再建しました。
碑銘は元の墓碑から移し刻んだものです。

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若王子山墓地は

往復1時間の登山だった。

下山後「熊野若王子神社」の

休息所で一休みさせて頂いた。

居合わせた観光客の会話を

聞くのも楽しいとと思った。

さて。

梅雨の晴れ間は

陽射しが強い。

帰りに帽子を買って帰ることにした。

 

 Photo : Lumix TX1

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岡崎神社に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

岡崎神社へでかけた。

地下鉄「東山駅」から

北東へ25分ほど歩くと

「丸太町通」に「岡崎神社」がある。

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「岡崎神社」(おかざきじんじゃ)

 別  名 :東天王
       陽のいずる都の東(卯の方位)に
       鎮座する事から東天王と称した。
 創  建 :延暦十三年(794)
 創建者 :不明(桓武天皇)
 御祭神 :素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
       櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと)
       八柱御子神(やはしらのみこがみ)
 御神徳 :子授け・安産・縁結び・厄除け

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石畳の参道を

70mほど進むと

新緑に覆われた

「拝殿」と「本殿」がある。

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「本殿」は

「拝殿」と樹木に隠れ

屋根しか見えなかった。

「社殿」は比較的新しく

昭和十一年(1936)

再建されたものだ。

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先ずは

ガチャガチャと鈴を鳴らし

参拝した。

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「岡崎神社」は

他の神社とは

ちょっと変わっている。

「境内」には

うさぎ達が並ぶ「うさぎ神社」だ。

「拝殿」には

「招うさぎ」が置かれ。

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「狛犬」の前には

「狛うさぎ」が並ぶ。

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「御神燈」も

「うさぎ」さんだ。

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往時この地域一帯が

野うさぎの生息地で

多産なうさぎは古くから

氏神様の神使いと伝えられている。

「狛犬」の台座にも

「うさぎ」が彫られている。

月と臼と杵があるので

「月のうさぎ」だ。

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「手水舎」には

沢山の「絵馬」が並び

黒御影石でできた

「子授けうさぎ像」が有る。

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月を仰ぎ体に力を満たしたうさぎで

水を掛けてお腹を擦り祈願すると

子宝に恵まれ安産になると

信仰を集めている。

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「拝殿」前には

奉納された「うさぎおみくじ」が

可愛らしく並んでいた。

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「うさぎおみくじ」は

うさぎの焼き物の中に

おみくじが入っている。

奉納しても

持ち帰っても良いそうだ。

手作りのせいか

ひとつひとつ微妙に

表情が違うのが可愛らしかった。

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「社務所」を覗くと

「御守り」や「絵馬」の

種類が多いと思った。

その全てが「うさぎ」だ。

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境内には

「安産祈願」や

赤ちゃんを抱いた

「御礼参り」の女性が多いが

場違いの私でも

癒やされる神社だった。

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【岡崎神社】
祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)及びその御子(みこ)三女五男八柱神を祀る。
延暦十三年(七九四)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つといわれ、都の東方に鎮座ことから東天王と称した。
清和天皇が、貞観(しょうかん)十一年(八六九)に造営し、播磨(はりま)国(現在の兵庫県)広峯から祭神を迎え祀ったといわれる。
治承(じしょう)二年(一一七八)に、中宮(ちゅうぐう)の御産の奉幣(ほうへい)を賜ったことから安産の神として信仰され、また創始時の王城守護方除(ほうよ)けの勅願により、今も方除厄除神としての信仰が絶えない。
古くから、うさぎが氏神の使いと伝えられ、祭神が子宝に恵まれ、うさぎが多産であることから子授けの神として祈願信仰されている。
境内にはうさぎの彫刻が多く見られ、特に手水屋形(ちょうずやかた)にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集めている。

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さて。

梅雨に入り

躑躅の残花が咲く一方

早くも紫陽花が見頃を向かえた。

季節は前倒しで

進んでいるのだろうか。

 

 Photo : Lumix TX1

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白河天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

白河天皇陵へでかけた。

地下鉄・近鉄「竹田駅」から

南西へ15分ほど歩くと

「油小路通」に

「白河天皇陵」がある。

交通量の多い「油小路通」の上には

「阪神高速」の高架橋が通り

騒がしい場所だ。

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「油小路通」の

歩道に面した場所に御陵がある。

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両側をマンションと

駐車場に挟まれ

窮屈な御陵だ。

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【白河天皇 成菩提院陵】

 (しらかわてんのう じょうぼだいいんのみささぎ))

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鳥居の奥の

木に覆われた陵墓は

一辺33mの正方形で堀に囲まれている。

発掘調査によると

もとは一辺56mの正方形で

周囲には幅約8mの堀が巡らされていたという。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代  数:第72代
 天皇名:白河天皇(しらかわてんのう)
 御  父:後三條天皇
 御  母:贈皇太后茂子
 御陵名:成菩提院陵
      (じょうぼだいいんのみささぎ)
 陵  形:方丘

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「白河天皇」は

この付近一帯に

院政の舞台となった

「鳥羽離宮」を造営し

自らの墓所として「三重塔」を建立した。

大治四年(1129)に亡くなると遺骨は

一旦香隆寺(こうりゅうじ)に埋葬されたが

「三重塔」に付属して「御堂成菩提院」が完成すると

遺言に従って同塔内に改葬されている。

現在は附近の「近衛天皇陵」や

「鳥羽天皇陵」に比べ

簡素な御陵だ。

歴史の中で

何があったのだろうか。

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陽射しが強い

日が続いたが

来週は

そろそろ梅雨入りのようだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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鳥羽天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

鳥羽天皇陵へでかけた。

地下鉄・近鉄「竹田駅」から

南西へ10分ほど歩くと

「安樂壽院」の西に

「鳥羽天皇陵」がある。

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「安樂壽院」の

境内を通り抜け

白い土塀沿いに進むと

御陵の入口だ。

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入口から直ぐに

「陵墓」がある。

「陵墓」は

白壁に囲まれた「方形堂」だ。

地図を見ると

「御陵」の敷地面積は

隣の「近衛天皇陵」より広いが

森が大半を占めているので

「陵墓」はかなり狭く感じた。

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【鳥羽天皇安樂壽院陵】

 (とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)

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「近衛天皇陵」の

「多宝塔」もそうだが

他の天皇陵とは

イメージが異なる

御陵だと思った。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代  数:第74代
 天皇名:鳥羽天皇(とばてんのう)
 御  父:堀河天皇
 御  母:贈皇太后苡子
 御陵名:安樂壽院陵
      (あんらくじゅいんのみささぎ)
 陵  形:方形堂

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「鳥羽天皇」は

「白河上皇」から「鳥羽離宮」を譲受け

退位後は上皇となって院政を行った。

「鳥羽天皇」は

「白河上皇」の例にならい

「鳥羽離宮」の東殿の中に

自らの墓所を作ることを目的に

「安楽壽院」を創建し寺院内に

本御塔という「三重塔」を建立した。

「鳥羽離宮」で亡くなった「鳥羽上皇」は

遺言に従って「三重塔」に埋葬されている。

「三重塔」は永仁四年(1296)に焼亡し

現在の陵墓は元治元(1864)年に

造営された「方形堂」だ。

明治となって

天皇陵を宮内庁が

管轄するようになって、

「安楽壽院」の境内から

現在地に移築されている。

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今日は

陽射しが強く暑い日だった。

それでも湿度が低く

木陰に入れば

吹く風も爽やかだった。

 

 Photo : Lumix TX1

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近衛天皇陵に参拝。2018 初夏(京都)

今日の散歩。

近衛天皇陵へでかけた。

地下鉄・近鉄「竹田駅」から

南西へ10分ほど歩くと

御陵の入り口がある。

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参道の石畳部分は

「安樂壽院」の参道で

その左の白砂利部分が

御陵の参道だ。

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入口から

20mほど進むと

陵墓に到着する。

思いのほか狭い御陵だと思った。

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陵墓は「多宝塔」で

唯一「多宝塔」が残る天皇陵だ。

本瓦葺で高さは約16mある。

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【近衞天皇 安樂壽院南陵】

(このえてんのう あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)

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「多宝塔」は

「鳥羽天皇」の皇后で

「近衛天皇」の母である

「美福門院 藤原徳子」により建立され

「近衛天皇」の遺骨が納められた。

現在の「多宝塔」は

慶長十一年(1606)に

「豊臣秀頼」により再建されたものだ。

先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代数:第76代
 天皇名:近衞天皇(このえてんのう)
 御  父:鳥羽天皇
 御  母:皇后得子
 御陵名:安樂壽院南陵
  (あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)
 陵  形:多宝塔

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この付近一帯は

平安時代末期(11~12世紀)

「白河天皇」「鳥羽天皇」「後白河天皇」の

院政の舞台となった「鳥羽離宮」の跡地であり

御陵に隣接した「安樂壽院」は「鳥羽離宮」内に

営まれた「仏堂」の後身である。

「鳥羽離宮」は

応徳三年(1086)「白河天皇」が

退位後の居所として造営を始めたもので

東西約1.2~1.5 km×南北約1kmの範囲に

「御所」、「庭園」、「仏堂」などが造営された。

「御所」や「仏堂」が滅びた中にあって、

「安樂壽院」のみが今日まで法灯を伝えている。

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安楽寿院(あんらくじゅいん)
 真言宗の寺、保延三年(一一三七)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことに始まる。開基は鳥羽上皇、覺法法親王を同志に落慶した。保延五年(一一三九)本御堂(ほんみどう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九躰阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂等が建てられた。
保元元年(一一五六)鳥羽法皇(上皇)が本御塔に葬られた。鳥羽天皇安楽嘉院陵はそのあとである。保元二年(一一五七)、皇后美福門院は新御塔を建立、ここは後に近衛天皇の遺骨が納められた。近衛天皇安楽嘉院南陵がそれであり、現在の多宝塔は慶長十一年(一六〇六)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
 現在の安楽嘉院は真言宗智山派に属し、本阿弥陀如来座像(重要文化財)は鳥羽上皇の御念寺仏と伝えられ、胸に卍が記されているため卍阿弥陀とも呼ばれる。境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重要文化財等)を所蔵する。
 なお、当院は鳥羽伏見の戦いのおりには官軍(薩摩軍)の本営となったところである。
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この近くには

「鳥羽天皇陵」

「白河天皇陵」がある。

このあと

「鳥羽天皇陵」へ向かった。

 

 Photo : Lumix TX1

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日向大神宮に参拝。2018 晩春(京都)

今日の散歩。

日向大神宮へでかけた。

地下鉄「蹴上駅」から

南へ5分ほど歩くと

「三条通」に「日向大神宮」の入口がある。

参道は途中まで「安養寺」と共用だが

「安養寺」部分の参道は

鳥居をくぐらない構造になっている。

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入口の「一の鳥居」をくぐり

「琵琶湖疎水」の船溜まりに架かる

「大神宮矯」を渡ると石段の参道が続く。

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石段を上ると

左の「安養寺」の石段と分岐する。

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分岐の「石灯籠」からは

「日向大神宮」への参道となる。

参道はかなり急峻で

標高差は約70mある。

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入口から参道を

15分ほど上ると

「手水舎」前の広場に到着する。

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「手水舎」横の

石段の上に

「内宮」と「外宮」の社殿がある。

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【日向大神宮】(ひむかい だいじんぐう)

 創  建 :顕宗天皇の治世
 創建者 :不明
 御祭神 :(内宮)
      天照大御神(アマテラスオオミカミ)
      多紀理毘売命(タギリヒメノミコト)
      市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)
      多岐都比売命(タギツヒメノミコト)
      (外宮)
      天津彦火瓊々杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)
      天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

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「日向大神宮」は

「京の伊勢」とも称される神社で

御祭神や建物構成は「伊勢神宮」と同じだ。 800p1160354
石段を上がると

「白木鳥居」の右に

「拝殿」と「外宮」。

左に「社務所」がある。

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「拝殿」は

柱が細いシンプルな構造だ。.

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「拝殿」を透して見る

「外宮」が神々しく見えた。

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先ずは

「外宮」に参拝した。

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「社殿」は

「伊勢神宮」と同じ「神明造」だ。

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「神明造」は

奥行きより幅が大きく

高床式倉庫から発展し

穀物の代わりに神宝を納めるように

変化したと考えられている。

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「外宮」の横を通り

更に奥に進むと

「内宮」への橋がある。

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橋を渡ると

「内宮」への石段がある。

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石段の上が

「内宮」だ。

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先ずは

「内宮」にも参拝した。

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「内宮」の「拝所」は

横に長い構造だ。

なんとなく格式高く思えた。

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三方を

山に囲まれた「社殿」を

木洩日が照らしていた。

今にも神様が

現れそうに感じた。

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境内の頂上に

「伊勢神宮遥拝所」がある。

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山道の石段は

一気には登れない険しさだ。

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山道を10分ほど登ると

「伊勢神宮遥拝所」に到着する。

遥拝所には石造りの鳥居がある。

この方向が「伊勢神宮」だ。

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現在は木々に覆われ

当時の面影は確認できなかったが

かつてはここから

「伊勢神宮」が見えたという。

「伊勢神宮」へ参拝したと同じ

御利益があると言われているため

江戸時代には訪れる参拝者が多かったようだ。

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振り向くと

「京都御所」の方向だ。

「伊勢神宮」と「京都御所」が

遙拝できる位置だったのだろう。

眼下には

「平安神宮」の大鳥居が見えた。

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【日向大神宮】
 日向大神宮は、清和天皇の勅願によって天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後応仁の乱で焼亡したが、寛永年關(1624-44)に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝える。
 境内の最奥に南面して建つ内宮本殿は桁行正面1間、背面2間、梁行2間の神明造の建物である。両脇に棟持柱を建て、屋根の棟には内削ぎの干木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)8本をのせている。本殿の前方に建つ四脚門の御門の屋根にも内削ぎの干木と堅魚木6本がのり、両脇に板垣がとりついて内宮の敷地を区切っている。
 内宮の前方一段下がったところに建つ外宮は、本殿・御門ともに内宮とほぼ同じ規模・形式をもつが、屋根の干木が外削ぎで堅魚木がそれぞれ1本少なくなる。
 本殿はともに造営年代に関する資料を欠くが、社蔵文書や「拾遺都名所図会」(天明7年、1787刊)から1 8世紀末にはすでに建っていたことがわかり、部材が一部取り替えられているものの、市内では例の少ない神明造本殿として貴重である。また、御門と板垣で敷地を区画する社殿構成は古式を伝えている。
 また、内宮・外宮のほか拝殿・社務所・摂社等一連の建造物が、敷地の高低差を利用して配されるこの神社の構成はみごとであり、周囲の山と一体となって優れた境内環境を形成している。
 内宮・外宮 京都市登録有形文化財
 境     内 文化財環境保全地区

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「境内」を見渡すと

参拝者はそれほど多くない。

知名度も低く不便な場所にあるのに

意外に若い外国人(欧米)が多いと思った。

スピリチュアルなものを求める

欧米人の若者が多いのかも知れない。

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さて

日増しに

陽射しが強くなってきた。

数時間の散歩だが

顔や手の日焼けが

見苦しく感じるようになった。

来週から

日焼け止めクリームを塗ろうと思った。

 

 Photo : Lumix TX1

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北野天満宮の梅の実。2018 晩春(京都)

今日の散歩。

散歩の途中

北野天満宮に寄ってみた。

「絵馬所」で

カップコーヒーを飲みながら

しばらく参拝者を眺めた。

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境内は一面新緑の景色だ。

「三光門」前の白梅も

枝が見えないほどの

青葉で覆われていた。

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青葉の下には

「梅の実」が大きく育っていた。

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「本殿」前の

「白玉砂利」の広場は

相変わらずの賑わいだ。

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「牛舎」には

大勢の外国人観光客が

盛んに写真を撮っていた。

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どうやら

大量の「絵馬」が

気になったようだ。

英文の「絵馬」の話が聞こえた。

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「牛舎」前の梅は

ほんのり色づいていた。

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境内には約1500本の梅の木があり

六月には約2㌧の実が収穫されるという。

収穫された実は

塩漬けにし梅雨明けに

土用干しされ正月の縁起物

「大福梅(おおふくうめ)」に使われる。

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「大福梅」は干した「梅の実」を

「ウラジロの葉」と一緒に

「奉書」に包んだもので

新年の祝膳で白湯に入れて飲み

「招福息災」を祈る縁起物だ。

想像しただけで生つばが出る。

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今年は早くも

笹飾りが出ていた。

皆の

願い事が叶うことを願う。

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土日は比較的

過ごしやすかった。

月曜から

また暑くなる予報だ。

どうにも寒暖差に

身体がついていかない。

「寒暖差疲労」というそうだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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天智天皇陵に参拝。2018 晩春(京都)

今日の散歩。

天智天皇陵へでかけた。

地下鉄「御陵駅」から

南東へ10分ほど歩くと

「三条通」に御陵の入り口がある。

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入口の橋から

御陵の門まで

アスファルトの参道が

300mほど続く。

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参道の両側には

民家が建ち並ぶが

緑に覆われた参道が

それを感じさせない。

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参道のアスファルトが

石畳に換わると

御陵の門に到達する。

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参道の両側から

門に覆い被さる

「モミジ」の新緑が美しかった。

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門から先が

御陵の森となる。

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門の脇には

「イノシシ注意」の

立て札があったが

森を見渡しても

痕跡はなかった。

最近彼方此方に出没するので

予防警告かもしれない。

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門からは

石畳の参道が

さらに200mほど続く。

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参道の先は

緑のトンネルだ。

覆う新緑が

陽に照らされ

石畳に緑が映し出されていた。

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緑のトンネルを抜けると

陵墓が見えてくる。

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玉砂利の

涼しげな木立の前に

陵墓がある。

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「上円下方」の御陵墓は

上円対辺長約46m

下方辺長約70m

高さ8mあるという。

御陵墓は全て

森に埋もれていた。

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【天智天皇 山科陵】

 (てんぢてんのう やましなのみささぎ)

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先ずは

ゆるりと参拝した。

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 代  数:第38代
 天皇名:天智天皇(てんぢてんのう)
 御  父:舒明天皇
 御  母:齊明天皇(女帝)
 御陵名:山科陵(やましなのみささぎ)
 陵  形:上円下方

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「天智天皇陵」は

考古学名「御廟野古墳」(ごびょうのこふん)

と呼ばれている。

調査によると

築造年は7世紀末~8世紀

つまりは古墳時代終末期の古墳で

形状の八角形が天下八方の支配者に

ふさわしいという道教の影響を受けた

正八角形の「八角墳」ということだ。

宮内庁により

第38代「天智天皇」の

陵墓だと治定されている。

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「天智天皇陵」は

京都にある最古の天皇陵となる。

「天智天皇」は

672年1月7日崩御されたが

「桓武天皇」によって

「平安京」に遷都されたのが

122年後の延暦十三年(794年)。

「天智天皇」が

「平安京」遷都前に

ここに葬られたということになる。

「天智天皇」には暗殺説もある。

歴史のミステリーだろう。

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今日は

風も涼しく

過ごしやすい日だった。

こんな日が続けば有り難い。

先週は

急に夏日が続き

体が対応できなかった。

困ったものだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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粟田神社に参拝。2018 晩春(京都)

今日の散歩。

粟田神社へでかけた。

地下鉄「東山駅」から

東へ10分ほど進むと

「三条通」に「粟田神社」がある。

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「粟田神社」(あわた じんじゃ)

 創  建 :貞観十八年(876)
 創建者 :不明
      一説には孝昭天皇の分かれである
      粟田氏が此の地を治めていた時に
      氏神として創建したとも云われている。
 御祭神 :素戔嗚尊(すさのおのみこと)
            大己貴命(おおなむちのみこと)

      旅行守護・厄除・病魔退散
       縁結び・安産・経営守護

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石畳の参道を進むと

「二ノ鳥居」の前を

旧東海道が横切る。

この辺りは

京都の七口(七つの出入口)の

一つである「粟田口」と呼ばれる場所で

京都を出入りする旅人は旅の安全を祈り

また道中の無事を感謝して参拝した。

何時しか「粟田神社」は

「旅立ち守護の神」として崇敬を集めてきた。.

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「二ノ鳥居」の扁額には

「感神院新宮」(かんじんいんしんぐう)とある。

これは旧社名の名残で

「八坂神社」と同じ「素盞鳴尊」

「大己貴命」を祭神とするところから

「感神院新宮」(粟田天王宮)と称されていた。

明治になり現在の「粟田神社」と改称された。

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「二ノ鳥居」から

「モミジ」に覆われた

参道の石段がつづく。

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石段両脇の

涼しげな場所に

「狛犬」が座っている。

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明治期建立の

「狛犬」の台座には

「五芒星」が刻まれていた。

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「石段」を

80mほど上ると

「社務所」前から「拝殿」に到着する。

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江戸時代の

絵図どおりの配置で

石段上の境内の中央に「拝殿」がある。

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高台にある境内からは

「平安神宮」の大鳥居が見える。

緑に囲まれた気持ちの良い境内だ。

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桧皮葺の「拝殿」は

元禄一六年(一七〇三)に建てれたものだ。

「拝殿」には

「御神刀」が飾られていた。

昨年秋参拝した時には

壁に掛けられていたが

下に降ろされたようだ。

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当神社が位置する粟田口近辺には

往古刀工が在住し屋号を「粟田口」

あるいは三条通に面したことより

「三条小鍛冶」とも号した。

平安~鎌倉期にかけては

「三条小鍛冶宗近」「粟田口藤四郎吉光」等の

名工を輩出している。

十月に行われる

粟田祭(あわたまつり)には

剣鉾巡行と神輿渡御が行われ

剣鉾は「祇園祭」の山鉾の原形といわれている。

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「拝殿」から奥に進むと

「モミジ」に覆われた

「本殿」がある。

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「本殿」は

正面に拝所を付設した

「幣殿」が接続する複合社殿である。

文化二年(一八〇五)六月に焼失後

文政六年(一八二三)に再建されたものだ。

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先ずは

鈴を鳴らし

「本殿」に参拝した。

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「拝所」脇には

多くの「絵馬」が掛けられている。

最近はどの神社仏閣でも

工夫を凝らした「絵馬」が増えた。

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当神社は

人気ゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」の

聖地だそうで

刀をモチーフにした「絵馬」や

手書きイラスト入りの「絵馬」が並んでいた。

参拝者のニーズに

答えるのも大変だなと思った。

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「境内」を見渡すと

一面「モミジ」に覆われている。

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何種類もの

「モミジ」が植えられ

新緑が美しい境内だ。

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「境内」には

七「末社」が祀られている。

「北向稲荷神社」

御創建年代は不詳。

御祭神は「雪丸稲荷」他三座。

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「雪丸稲荷」は

「三条小鍛冶宗近」(平安末期の名刀匠)が

「一条院」の勅命により剣を打つ際に

相槌を打ったお稲荷さんと云われている。

「宗近」は御百稲荷(昔はここを稲荷山といった)

に詣でて祈りその稲荷の神霊に

相槌を打って頂いて剣を打ち上げたそうだ。

打ち上げた剣の表には「小鍛冶宗近」

裏に「小狐」と銘を打ったと云われている。

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「鍛冶神社」は

参道石段下の「狛犬」から

少し入った場所にある。

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製鉄・鍛冶の神である.

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と共に

「三条小鍛冶宗近」「粟田口藤四郎吉光」が

一緒に祀られている。

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「出世恵美須神社」

創建年代は不詳。

もとは蹴上の夷谷に奉祀されていた。

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源九郎義経が牛若丸の幼少時代に奥州下向の時

源家再興の祈願をした「恵美須神」であり

出世又は門出恵美須と称された。

御神像は「伝教大師」の作と云われ

釣り上げた鯛を前にもち

大きく口を開けた笑姿で

日本最古の寄木造りの

「恵美須神像」と云われている。

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「朝日天満宮」

菅原道真公を祀る

京洛二十五社の一社。

祠と竹林との

景色が美しいと思った。

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他の「末社」も

 ・大神宮
 ・多賀社
 ・吉兵衛神社
 ・太郎兵衛神社

一廻りし

参拝を終えた。

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【粟田神社】
 粟田神社は、旧粟田口村の産土神である。江戸時代までは、感神院新宮、あるいは牛頭天皇を祭ることから粟田天王社、または粟田八大王子者と呼ばれていたが、現在は素盞嗚尊ほかを祭神とする。社殿によると、貞観十八年(八七六)に従五位上出羽守藤原興世が勅を奉して勧請したことに始まり、その後天台座主東陽坊忠尋大僧正が永久年間(一一一三~一八)に再建するが、応仁の乱で焼失し、明応九年(一五〇〇)に吉田兼俱が再興したという。
 本殿・幣殿は昭和八年の棟札写から、文化二年(一八〇五)六月に焼失後、文政六年(一八二三)に再建されたことが明らかとなる。建物は、三間社流造の前に桁行二間梁行三間で正面に拝所を付設した幣殿が接続する複合社殿である。
拝所の彫刻装飾には時代的と特色が見られ、また流造の屋根の前に入母屋造・妻入、さらにその正面に向唐破の屋根を続けて変化に富んだ外観をみせており、江戸時代後期の複合社殿として価値が高い。
 拝殿は確実な資料を欠くものの元禄一六年(一七〇三)に建てれたと伝え、細部様式もこの頃のものと判断される。
本殿・幣殿より建築年代は遡るものの、これらと一連のものとして貴重である。
  京都市指定有形文化財
  平成八年四月一日指定
  京都市

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さて

陽射しは強かったが

吹く風が涼しく

気持ちの良い一日だった。

来週は30℃に迫るという。

今年も

熱中症の季節がやってきた。

一年は早いものだ。

 

 Photo : Lumix TX1

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